認知症介護〜介護後喪失感〜「あなたはあなたの人生を生きて」
今までの私なら飛んで行っていた。
父方の祖母の訃報の知らせ、
93歳、覚悟はしていたもののやはり聞くと悲しい。
母方の祖母の認知症介護の後、
ぽっかりと穴が空いたような喪失感と言うのか。
介護ロス症候群
介護後うつ
介護後喪失感
介護後無気力
荷下ろしうつ病
今知ると、上記のことと言われるらしい。
介護後、そんな私は間違った。
元々父親の素行は悪く、
私、そして私の兄は私よりもっと距離を置くようにしていた。
しかし私はぽっかり空いた穴を埋めるように、介護の後悔と罪悪感を持ち、
また歳も取り少しは落ち着いたかと田舎にいる父親と、90近い祖母が気になり、ぽっかりと空いた穴を埋めるよう近くに引っ越しをしてしまう。
なぜかその時色々なことが重なって、
必然のように後押しされるかのように事は順調に進む引っ越しとなったのだが。
大失敗
父親の素行は相変わらず、いやそれはさらに悪化していた。
私に対して子どもたちに対して、更に祖母に対して、
子どもたちに見せられるものではなかった。
そして私は私を見失ってしまう…。
空いた穴に入ってきたのはまさに毒で、
私はその場所から出るまでの間、体調を崩し続けた。
原因不明の嘔吐を繰り返し、
ストレスから免疫力が落ち帯状疱疹にもなり、
人生初の副鼻腔炎、変形性関節症も発症…寝込むことが増えた。
しかしそんな私に容赦ない…。
もうここにはいられない、危ない。
本家
なぜこんなことになったのか。
いわゆる田舎の長男の娘、
兄もいるが小さい頃から兄は男ということで可愛がられ、
私は残念な子だったようだ。
生前母親から、
「あんたにヤキモチをやいていた、娘だったことが嫌だった」
と20歳の頃言われ、存在を拒否し続けられた理由を知った。
孫が産まれことで和解し、母親とはこれからという矢先。
母は長男の嫁として老後は田舎へ帰ることになっていたようで、
「私には田舎生活は無理かも」と不安を漏らしてもいたが、
その予行として、しばらく田舎へ行くと言っていた出発予定日の少し前に母は亡くなった。
これは後に、「母は行きたくなかった人」として、田舎で言われ続ける。
ずっと残念な◯◯家の娘
私は何とか気に入られようと頑張って生きてきた。
親に「良い娘」と評価されたかった。
しかしそんなことに気がつくのに私は40半ばまで気が付かなかった…
ようやく距離をおこう、縁を切ってもいいと父親へ対しそう決めた。
認められたい呪縛
母が亡くなった時に父親の本性を見て知ってしまったが、
その時もまだ私は気に入られるための行動を必死にしていた。
「母が亡くなった今、私がしっかりしなくては」
泣けなかった。
父と兄から「自分たちはダメだ、頼む」と言われ、
気丈に振る舞い、まわりから、
「母親が亡くなったのに泣きもしないなんてひどい娘だ」
と言われもした。
呪縛のように…親への"認められたい"のために生きてきた。
母が亡くなったことで田舎のことも、私が母の代わりに…。と、頼まれもしないのに動いた。
「毒親」という言葉を耳にするようになった、
自分の父親が毒親なのかはわからないが、
私は私が「評価に生きる」を勝手に生きていただけなのかも知れない。
もう行かなくていい
祖母の訃報は親戚からのLINE。
返信をどうしようか悩んだが、
どのような言葉で返信したらいいのかネットで調べ、
当たり障りない例文で返信をした。
今までの私なら無理をしてでも行ったと思う。
しかし直感に従う、
私はもう行かなくていい。
どう行動するべきかしばらく考えたが、
弔電を送ることにした。
呪縛が襲う。
田舎の葬儀のあり方は知っている。
見栄や見栄えをとても気にする。
豪華な花やお供え、花の数、人数など。
私は遠方だが豪華なお供えや供え花を送ろうと考えた。
「えらいね」
「すごいね」
「さすがだね」
遠くからも聞こえてきそうな評価の言葉たち。
…しかしやめた。
祖母が見られるわけでもなく、祖母に届くわけでもなく、
父親の満足、私の自己満足にしかすぎない。
見栄のために祖母の死を利用してはいけない。
生きているうちに孝行し、大事にすべきだ。
疎遠になってしまった数年は申し訳ない気持ちだが、
生きている間、私なりに祖母へは接してきたつもり、
ここに後悔、罪悪感はない。
親戚から「弔電ありがとう」とLINEがきた、
「父親が気にしている、時々近況を報告してやって」と。
あり得ない。
父親はそんな人ではない。
"去る者は追わず来るものは拒まず"だ。
私のことは「放っておけ」と言っているはず、
そんな風に言われた親戚や人を私は見てきたから。
何かある度に私は行動をしていた。
しかし、それらは私がやり過ぎただけの話。
私が頼まれる前から勝手に行動をして、頼まれても断らない。
それは私が選んだこと。
誰かのせいじゃない、毒親だったとしても、
私が自分で勝手に行動し過ぎただけの話。
否定され続ける人生
私は否定しない。
だけどやっと気がついたそれは、
私は"否定されて生きてきた"からだった。
世間体や見栄ばかり、
ほめられることもなく、
心配をされることなく、
会話もあまりなく、
親の顔色ばかり伺い、
居場所もなく、
そのため幼少期からよく祖母(介護をした祖母)のところへ行っていた。
家出をしたこともある。
早く家から出て行きたかった。
私の息子が不登校の時は、
「お前の子どもらはどうかしてる」
「まともな奴がいない」
などと言い。
しかしその息子が有名になると、
態度がガラッと変わる。
まわりに自慢もする。
別の息子に対しても、
自分の思い通りにするまでは優しく接し、
思い通りにならないと、
「お前はきちがいか、まともじゃないなら精神病院にでも入ってしまえ」
と。
…
私はこの言葉を最後に父親から離れる、縁を切る決心をした。
私はいい、何を言われても。
だけど子どもたちに対し傷つける必要はない。
その息子は私の再婚相手だった人から虐待を受けてしまい、
そのせいで心を殺してしまった。
長くケアも必要で未だ後遺症に悩まされる。
そのような息子に対し父親が言った言葉は、心をまた殺したと同じ。
私はこんな親のために、
認められたい呪縛に囚われ生きてきたのか。
人は存在するだけで素晴らしい。
ただそこに在ること、
それだけを感謝すればいい。
あなたがいてよかった。
ただそれだけ。
あなたがいてありがとう。
介護後の喪失感
あなたには気をつけてほしい。
私の時には情報が少なかったことから、
何もわからずにいたけど、
今は違う。
そうならないためにも、
自分の人生をちゃんと生きていてほしい。
介護をひとりで背負うことはせず、
必ず誰かに相談をして頼ってほしい。
介護する側、される側だけの狭い世界をつくらないよう、他の人との関わりを持ってほしい。
頑張ろうとしないでほしい、
まわりの目も気にしないでほしい。
親孝行するのが当たり前
介護は最後の親への恩返し
親の面倒をみられないなんて親不孝
という受け止めすぎてしまうこと
気をつけてほしい。
もしぽっかりと穴が空いたとしても、
そこに埋められるものは、
後悔や罪悪感であってほしくない。
あなたの人生で埋めてほしいです。
心疲れることなく孝養を尽くしてください。
あなたの身体と思考が健康であることが一番です。
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