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認知症〜関わる人間の恐ろしさ

認知症悪化怒涛の3ヶ月

思い出すことも辛く、書くことも苦しい出来事…
書くことが長く止まってしまいました。

そんなことも起こり得るんだということの、知るきっかけにしてほしいです。

身内からの騙し

近くに住んでいた唯一の身内となるその人は、私の母(亡)の弟になります。
年に片手ほどしか訪れてきませんでしたが、認知症のことを知ると何度も来るようになりました。

隠しておけなかったのは、祖母の金遣いが原因でした。
ブティック(今はセレクトショップ)で祖母は何十万、数万円のツケをして帰宅、そこへたまたま来ていたその人が取立てに来た店員と会い、驚き私にどういうことか聞いてきたと。

そして祖母はその人について、
「いつも来てはお金のことばかり言われる。今まで来なかったのに、嫌な感じ。」と言い出しました。
ある時「私に通帳と印鑑を預かってほしい」と言い預けられました。
そうすると怒り心頭の様子のその人は私を責め立ててきます。

「なぜお前に預ける必要があるのか、なぜお前が持っているのか、返せ!」
私の息子たちがいようと目の前で責め立て、私が「子どもがいるからやめてください」 と言っても容赦ありません。
「あなたのものでもなく、祖母のものですよ、祖母から預かりました。」
と言っても「とにかく渡せ」、そして祖母も責められる…。

通帳事件は何度も続きます…祖母の無くした、盗られた、
その人の返せ、通帳知らないか?
何度も再発行…。

さらには何年も来たことのないその人の子供が来て、祖母を数時間も軟禁したようなのです。
私はビルの2階、3階は祖母が住んでいたので、誰かが上がって行ったことはわかりました。えらく長居しているなと思ったのですが、まさかそんなことに。
後から祖母が言っていたのですが、「ここに判を押せ」ととにかくずっと言われ続け、ようやく押したところ解放され私の元へ来たのです。
どうやら祖母の資産に関しての念書を書かせるためだったようです。
祖母は「怖かった」と怯えていました。
「今まで来なかったのに、なぜこんなことに…こんな目に」と。

後にその人の息子の存在は祖母から消えてしまいました。

身内の罠

私にとっては大叔母ですが、その人にとっては母の妹。

そして、戸籍も勝手に養子縁組までしたのです。
祖母の資産も名義変更などされ、何もわからない祖母は言うなりのようでした。
「え、私そんな手続きしていない。」
「養子縁組⁉知らない。解消したい。」
「資産の名義変更なんて覚えがない。」

祖母はあっという間、数ヶ月で資産を取られてしまいました。
私は当時対処の仕方もわからず、
認知症が関わる人間の恐ろしさを目の当たりにしました。

お金を返さない

少し遠くに住んでいた私の身内になりますが、
ある時、仕事を始めるための資金を祖母から借りるため、奥さんと2人で頭を下げに来たようです。
しかし後に認知症いいことに返済しませんでした。

祖母が亡くなるまで、様子を見にも、入院の際お見舞いにも来ませんでした。
挙げ句には仕事が忙しいからと葬儀にも来ようとしませんでした。
奥さんはお金を借りる以外現れもしませんでした。

忙しくなるその仕事の資金を貸したのは祖母…
残念でなりません。
後にこの夫婦の存在は祖母から消えてしまいます。

認知症は本人以外の身内や人間へも影響してしまう。
こんな恐ろしいこと、私の大好きなミステリーの世界だけかと思っていましたが、
まさか自分が目の当たりにし、体験するなんて…本当に人に対し不信で、頼ろうにも人が怖く限界でした。
今思うと介護の数年より長い8ヶ月だったように感じます。

認知症の悪化

その人が入ってきてから祖母の認知症は一気に悪化したように思います。
・おどおどしている
・表情が険しい
・通帳を盗まれたとよく言う
・徘徊

"忘れる"のですが、嫌な思い不快な感情はあるようで、
ふと目が覚めたみたいに「あれどうなってる?」「どうなった?」と思い出すことも…そして「なぜそんなことに、こんなことに…」と哀しい顔をするのです。

祖母はその人から「逃れたい」「怖い」 」来てほしくない」
と、私に「助けてほしい」 と言うことが増えます。

祖母は穏やかな人なので、私も争うことは望まず、
"心でなされたことは心でかえる"と思い、
誰も責めることはせず、ただ耐え、時を過ごしていました。

当時子どもや友人からは「人が良すぎる、お人好し」と言われたものです。

その後その人は目が見えなくなり、また夫婦は体調を崩しました。

子育て介護

いつのまにか、子どもより祖母への対応が優先でした。
ですが、子どもたちは小学生、中学生なこともあり、また思いやりのある息子たちだったので救われた部分は大きいです。

ただ、当時私のような年齢で介護をしている、ましてやシングルマザーでなど皆無知るよしもありません。

そのため、やはり学校の役割や、子どもの習い事においては大変なこともありました。

配慮くださる方がいる一方で、
介護なんて知ったことかと心ないことをされ言われ、子どもが私に気を使い習い事をやめるところまで追い詰められもしました。

それほど当時の私たちの世代では、
介護ということが全く遠いことだったのです。
何度も言うようですが、
私自身が認知症ということを理解できないので周りはもっとわかるはずもありません。

仕方のないことですが、
同世代、まわりの保護者の方々と分かり合えないこと、
とことん 一人だと実感しました。

頼ることが罪のような、
誰かに知ってもらおうとすることが悪いことのような、
そのような思いもしたからこそ、子どもたちが習い事をやめる。
そんなところまで行ったのです。

幸いにも、私の行動を見て理解し信頼してくださる方がおり、それで配慮くださるようになったり、
子どもの在り方を見て、私たちを信頼し、やめなくていいと人力してくださる方がおり、やめず、また習い事の在り方まで見直してくださったり。助けられました。

お人好しでいい

"心でなされたことは心でかえる"
子どもたちも目の当たりにし、ほんとだと十干したことでした。
お人好しでいい、
子どもたちが守られた。それを知り、感じることができたことが大切なことです。

私は"認知症"が招く人間の恐ろしさを体験しましまが、
私のようなことがあなたに起こりませんよう、気をつけてほしいと思いこの記事を書く決心をしました。

"忘れる"けれど"感情"はある、"感じる心は在る"
認知症の本人もそうだけど、
あなた自身の心、忘れないでほしいです。

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