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認知症介護〜"自分のために生きる"を気づかせた言葉

「人は旅立つ時は旅立つ」

「あなたにはお子がいるのだから、お子を優先に生きていいのよ。
そしてあなた自身を大切にしないといけないわ。

気を悪くしないでね、
でもおばあちゃんにはあと数年、
だけどお子にはまだ何十年というこれからがある。

おばあちゃんは旅立つ時は旅立つの。

あなたが倒れてはそれこそおばあちゃんの事はお世話できないし、
お子はどうなるの。

介護は本当に大変、ひとりじゃできない。
たくさん頼って、たくさん甘えたらいいのよ。」

「あぁー」湯船に使ったときのあの温かさ。
認知症の診断を受けたあの日以来、久しぶりに涙が出ました。

あの日とは違う安心の涙。

誰もがきっと避けてしまう、避けたくなるような「死」への意識。
「人は旅立つ時は旅立つ」
これは経験された方だからこその説得力のある言葉、そして腹に落ちる。

今は私があなたに伝えたい。
「大丈夫、あなたはあなたの人生を生きていい。自分のために生きていい。」

冒頭の言葉は、祖母の症状が出始めて1年くらいの頃、
まだ私がひとり抱え込んでいた頃に介護経験のある方から頂いた言葉です。

祖母にも私にも自分の人生があった、
あるのだと考え方が変わるきっかけ、誰かに頼るきっかけとなりました。

自分のために生きる

私は「やめなくてよかった」と思うことがあります。
介護のために「仕事」「今やっていることをやめる」ことをやめてよかった。

もし介護のためにやめていたら、
「祖母のせいで」といずれ責めてしまっていたかも知れません。
「介護」という世界にどっぷり浸かりまわりも見えなくなり、
子育てにも影響していたかも知れません。
恐ろしい結果、「介護事件」を招いていたかも知れません。

花の講師をしていた私は、
祖母のお世話に集中するためやめようか悩んでいましたが、
冒頭の言葉のおかげで今現在も続けることができています。

「孫はお花の先生なの」
いつもにこにこ自慢気にそう人に話していた祖母が浮かびます。

お花は祖母とのつながりでもありました。
祖母はお花が好きでプランターでよく育てていましたし、
いっしょにいけばな教室にも通っていたこともありました。

祖母が自分で見つけたこと

認知症でいけばなの生け方にパニックになり、
「もう生けたくない」とやる気をなくしかけた祖母ではありましたが、
鉢植えをプレゼントしたり、
そこから咲いた花をちょこんと切り、湯呑みや小さな一輪挿しに入れる。
大きなものでなくていい、ちゃんとしたいけばなでなくていい、
身近にあるもので簡単にできること。
祖母が祖母なりに、好きなことを続ける方法を自分で見つけたのです。

これが後に私が考えた「おちょこいけばな」につながります。

お花を飾り続けることで祖母が忘れなかったことが一つ。
佛壇にお花をお供えすること。
お供えの切花をいっしょに買いに行ったり、買って帰ると、
自分で佛壇のお花を切り、毎日朝夕お花の水換えもしたり、
「ご先祖様のおかげ」と、手を合わせる。
昔から先祖、佛壇を大切にしてきた祖母の姿は、
認知症になってからもそれらは忘れることのない日課でした。

お花があることで祖母や私、家族、家の中は明るい気持ちにもなれ、
エネルギーを高めてくれたように思います。

あなたにも「今」をやめないでほしいなと思います。
自分の人生を忘れないでください。
自分の人生を思い出してください。
やめようとしないください。

祖母の「旅立つ時には旅立つ」

認知症の症状が出始めてから3年をちょっと過ぎたくらいで、
祖母は旅立ちました。

症状が出始めてから1年くらいで祖母と同居。
この頃からケアマネージャーに相談し、
デイサービスやショートステイも利用していました。

自宅での出来事

祖母は膝が悪くサービスのお迎えの際には車椅子を使用、
ひとりで長く歩くことは膝への負担、痛みもありちょっと難しい。

ある夜、祖母がひとりトイレへ行く際に廊下で滑ってしまい腰を骨折。
寝室のそばにポータブルトイレを用意していたのですが、
祖母は「使いづらい」「トイレという感覚がしないからやりづらい」と言い、
頑張ってトイレまで手すりをつたい行っていました。

夜中にドタッとする音と、祖母の「助けて」の弱々しい声、
同居介護、ショートステイのない日はいつも耳をすまし気が気じゃなかった。

腰は圧迫骨折で手術なしの保存的療法。
骨折したことで介護認定が上がり、
病院は3ヶ月入院、退院からそのまま施設への入居となりました。

祖母の入院中も常にケアマネージャーと連絡を取り合い、
骨折の症状も落ち着いてきたため、
施設から自宅へ帰るための日も決めていました。

しかし、自宅に帰る予定の20日くらい前に持病の心臓が悪化し病院で検査、
そのまま入院となりました。
そして自宅に帰る予定だった日に、病院で旅立ちました。

骨折してから旅立ちまでおよそ10ヶ月でした。

終わり良ければ

これでよかったのか…後悔と罪悪感。
これについてはまた別の記事で詳しく書きたいと思いますが、
"看取れなかった"
病院でひとり息を引き取った祖母に対し、
私は申し訳ない気持ちになってしまいました。

まして帰宅予定日に祖母は違う姿で帰って来ましたから…
どう捉えていいのか、何の必然なのか…
しかし、状況は待ってはくれず、その後のことも忙しくやってきます。

祖母とは生前に"亡くなった後"について話をちゃんとしていて、それらを書き残していました。
私は母を突然亡くし親族はモメ…大変でしたから、祖母と私はちゃんと話しておくことにしたのです。

  • どんな葬儀でどう見送られたいか

  • 誰に連絡し、誰に来てもらうか

  • どのお墓に入り、墓守をどうするか。

私は祖母の最後の願い全うするため奮起します。

「終わり良ければ全て良し」
まさにこの言葉がピッタリです。

人は旅立つ時は旅立つ、
その時に人の本心がわかるのではないかと思うのです。
その人の人生の本当の姿がわかる。

祖母はそんな大事な旅立ちの時を、
私に託し、そして見せてくれました。

介護には正解も答えもなく、
途方に暮れてしまうこともあります。
自分を見失うこともあります。

そして色々な後悔や罪悪感にも襲われてしまいます。

ですが、知っていてほしいです"旅立ちの時"を。
そして"覚悟"をしておいてほしいです。

旅立ちに関し、触れたくない触れられたくない人、まだ早い、失礼な話など避けてしまいがちな話題のようですが、
最後の願いを全うすることは介護者が救われる。

これでよかったのか…
終わり良ければ全て良し

認知症って

症状が出始めてから頻繁に起こるようになるまであっという間だったように思います。

また極度なストレスがかかると一気に悪化する。

しかし、それ以上ということはなく、安定していく。

ただ安定と言っても慣れると言うのか、何か起こることは起こる。

いつまで続くのか先が見えないし、予測もできないこれからへの不安は変わらない。

介護は突然にやってきますが、
知っておくことで心構えができ、対応や心のあり方も違ってくると思います。

私の頃にはなかった情報が今は沢山あって、わかりやすくもなっているようです。

当時にはなかった、あってくれたらよかったのにと思う本もいくつかありました。
今後、紹介していきたいと思います。

最後に

もう一度伝えます。

冒頭の言葉より〜
誰もがきっと避けてしまう、避けたくなるような「死」への意識。「人は旅立つ時は旅立つ」これは経験された方だからこその説得力のある言葉、そして腹に落ちる。

今は私があなたに伝えたい。「大丈夫、あなたはあなたの人生を生きていい。自分のために生きていい。」

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