カーチャンとテレビと抽象化
すべての道は抽象化に通ず
抽象化にあらずんば人にあらず
ここに具体は終わり抽象、始まる
こんな感じの発信をよく見ます。
いつの時代も流行り廃りがあり、
最近は抽象化⇔具体化が人気ですね。
いやいや抽象化ってみんなやってますよ?
それも大人から子供まで無意識に。
みんな無意識にやっていることではありますが
ただ無意識にやっているだけだと拡張性が無い。
ここは自覚的に抽象化できるようになりたいところ。
そもそも「抽象化」とは何ぞや?
なんで抽象化をするのか?
ということを明らかにしていきましょう。
で、抽象化って何?
抽象化とは
「異なるものごとから共通する要素を選んで抜き出し分類しまとめること」
と書くと何やら難しそうですが
子供の頃やったなぞなぞの
「この中で仲間外れは誰?」
というのと同じです。
この場合「仲間は誰?」
ということになりますね。
なぞなぞなら
答えはひとつしかありませんが
抽象化では仲間である理由や条件は
まとめる人が好きにやっていいので
対象が同じでも分け方、まとめ方は人によって異なります。
しかしそれでいいのです。
人によってものごとの分け方まとめ方が違うので
「これ仲間と違うやん」
と感じるまとめ方をされた抽象化もありますが
本人が仲間と言ったら仲間なんです。
つまりあなたが
「こいつらはおんなじ特徴があるから仲間」
そう思ったら抽象化はできているということです。
なんで抽象化するの?
抽象化する目的は
使う時や保存する時まとめておいた方が便利だからです。
人間はなるべく脳に負荷をかけないようにしています。
楽するよう楽するよう動く、ということです。
PCで画像や音声データを扱う時のことを思い出してください。
生データは解像度も高くきれいですが
普段使いするには保存するにも送るにも
データが大きすぎて不便です。
そこで色々なデータの圧縮方法を使ってデータを小さくします。
その圧縮方法は規格によって様々。
抽象化もそれと同じです。
ものごとを脳で扱いやすくまとめる。
まとめ方は人それぞれ。
それが抽象化です。
後で使うことを考えたら無意識ではなく
ちゃんと理屈に沿ってまとめておきたいですよね。
だから自覚的に抽象化できるようになりたいわけですよ。
抽象化と一緒に語られる具体化って何?
抽象化とセットで語られることの多い具体化について
少しふれておきましょう。
具体化とは
「曖昧なままではなく物事をはっきりした形にすること」
です。
買い物で言うなら
あれもこれもそれも欲しくて選べない~
ではなく
これ!とハッキリさせるようなものです。
しかし具体だけでは選択や思考に広がりが無くなります。
そこで抽象化⇔具体化のように両者の間を行き来する必要があるのです。
まだちょっと分かりにくいですね。
こういう時は実際の事例で見るのが一番です。
ということでカーチャンの出番。
カーチャンと歌番組
その昔、今と違ってテレビが娯楽の王様だった頃は
家族で一緒にテレビを見るということは普通でした。
テレビは基本的に特定の時間にテレビの前で待っている必要があります。
今のように一人一人が好きな時に好きなコンテンツを
スマホで見る未来が来てテレビが廃れる、
なんてことは誰も思いつきもしませんでした。
ちょっと不便。
だけど不便ゆえの良さもある。
いつの間にか家族が集まって
一つの番組を見ながら色々おしゃべりする。
そういう団らんのひと時でもありました。
家族の中で一緒にテレビを見る機会が多いのは誰か?
それはやっぱりお母さんでしょう。
昔は王道のテレビ番組と言えば歌番組でした。
毎日必ずどこかの局で歌番組を放映していたし
流行の歌と歌番組は直結していました。
家族で歌番組を見ていると必ずカーチャンが言い出すわけです。
「なんやの最近はみんな同じような格好で同じような歌を歌ってる。
みんなおんなじでわからへんわ~」
それを聞いた子供たちはこういいます。
「全然違うよ~なんでわからへんの」
実はこれ抽象視点と具体視点のぶつかり合いなんです。
カーチャンはなぜみんな同じに見えるのか?
子供たちはなぜみんな同じに見えないのか?
順に見ていきましょう。
カーチャンが見たのは若者向けのアイドルや歌手の曲です。
テレビに出てくる芸能人は何より売れることが大事です。
そのために容姿、ファッション、楽曲、歌唱法・・・
すべて視聴者が好む流行っている要素で出来ています。
流行りを意識すると当然全員似てきます。
同質化、という奴です。
コンビニや居酒屋チェーンの店構えって大体共通してますよね。
それと同じです。
カーチャンは同質化の進んでいる彼ら彼女らの外見や楽曲の共通点をとらえ
無意識に「最近のタレント」から似ている要素を切り出し、抽象化して
「こいつらはみんな仲間」と、まとめてしまったわけです。
似ている要素に視点を合わせて仲間としてグループ化したのですから
「みんなおんなじ」となるのは当たり前ですね。
カーチャンは今時のタレントを抽象化しているから
みんな同じに見えるのです。
一方子供たちがタレントを見ている視点は「具体」
こちらは無意識にひとりひとりを解像度高く見ているので
全員の異なる点に視点があっています。
それぞれの異なる点を個別に認識しているのですから
どれほど同質化が進んでいても、共通の要素があっても
「全然違う」となります。
子供たちはタレントをひとりひとり具体としてとらえているので
全然違う物として見ることができるのです。
カーチャンは抽象の視点。
子供たちは具体の視点。
双方同じテレビを見ながら無意識に抽象化と具体化をやっています。
視座の高さが違うのですからかみ合わないのは当然です。
どちらの言っていることも正しいし間違っているとも言えます。
このように我々は普段からテレビひとつ見るだけでも
無意識に抽象化⇔具体化を行き来しています。
同じコンビニでもセブンイレブンとファミリーマートでは
よく似ていても区別はつきますよね。
我々はちゃんと必要に応じて抽象と具体を切り替えているからです。
抽象化⇔具体化はそれほど特別なことではないんですね。
「こいつらはおんなじ特徴があるから仲間」
これさえ覚えておけば自由に抽象化は可能です。
自覚的に色々抽象化していきましょう。
自由に抽象化できると便利ですからね。
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