「適切な支援」って、ババ抜きのペアが見つかるみたいなもの
発達障害の支援のプロ的立場の人って様々だよね。
OT・PT・ST・ABAといったセラピストだったり、学校の先生だったり、医療関係者などなど、他にもたくさんの肩書きをもつ支援のプロがいますよね。
でもね、「私は今まで自閉症の子を見てきたのでまかせてください」って自信満々の支援者でも、「あの人、いいよ」って口コミの評判がいい人でも【完璧・100%】にどの子にも合う支援者っていないよね。
基本的にはね、Child-Centered、Student-Centered, Client-Centeredって言って、支援を受ける側の人のニーズに合わせた支援って大切で、支援者側の得意な方法に当てはめようとするとうまく支援が機能しないケースが増えると思うのね。
発達障害の子への支援は「その子が支援の答えを持っている」が前提だと思うから。
そんな中でも私が思う「発達障害の子が一緒にいて特性を伸ばせる支援者」ってね、「~に違いない」ではなく「かもしれない」の引き出しをいっぱい持ってる人だと思うのね。
例えば、字を書くことに困ってる子に対して「やる気がないに違いない」「この子には難しすぎるに違いない」「ディステクシアに違いない」ではなく、
「見え方が違うのかも」「てのひらの感覚の問題かも」「環境が合ってないのかも」「えんぴつより先太ペンの方が書きやすいのかも」「運動企画の問題かも」「目だけで文字が追えないのかも」「下敷きがない方がいいのかも」「姿勢を維持するのが難しいからかも」「左手(書く方じゃない手)の使い方がうまくできてないからかも」「お手本の提示の仕方があってないのかも」「同時処理より継次処理的な説明の仕方の方がいいいのかも」・・・
って「かも」の引き出しがあればあるほど、その子に合った方法により近づけるよね。逆に言うと、「かも」の引き出しが少なければ少ない人ほど「~に違いない」って子供を自分の得意な方法に当てはめようとする傾向が強いように思うのね。
で、その「かもしれない」を元に支援の仕方を工夫していくわけなんだけど
●「子供が困ってることから”かもしれない”と探して見つけた原因」と
●「支援方法」
が、ババ抜きみたいにマッチするのがとっても大切だと思うんだよね。
子供が困ってる事、例えばそれがハートのエースならまずはそれが何かを探りあて、そして支援者(達)が持ってる手札(支援方法)とマッチさせる感じであってほしい。
だから手札(支援方法のバリエーション)は多い方がいい。ある支援者が、エースのカードを持っていない可能性があるのなら、他の支援者にゆだねる事も、チームで考える事も必要だと思うのね。
逆に言うと、支援者がその子の困り感を軽減する為に必要な支援方法(エースのカード)を持ってないのに、ちがったカード(支援)ばかりその子に与えてしまうと、その子は自信を失ってしまうだろうし、ひどいケースだと二次障害や、学習性無力感を引き起こしてしまうかもしれないんだよね。
だからね、理想は支援者がそれぞれたくさんのカードを持っている事だけど、それは中々難しいよね。だからこそ、支援者同士の情報交換や横のつながりが多ければ多いほど支援を受ける子供達にメリットがあると思うんだよね。
日本の学校では、なかなか専門者間の連携ができないってよく耳にするんだけど、学校だったり、学校外であったりの支援が、子供達にとって有効になるような体制がもっともっと進んでいってくれたらなぁ~、と日本の外から見ていて危惧していることを伝えたかったのが、今日のnote。
たくさんの方々に読んでいただいたり、支援方法を参考にしてもらえたらと思い記事を無料公開していますが、 今までもこれからも勉強を続ける私の為に「投げ銭」という形でご支援いただければすごく励みになります。 よろしくお願いします。