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奈落の底に突き落とすだけの「自閉症の診断」なんておかしいよね
日本に住むいとこから突然メールが届いた。タイトルは「直子です」と、いとこの名前だけ。メールを開いてみると超長文だった。すぐに「相談だな」ってわかった。要約すると、いとこの来年小学1年生になる子供が自閉スペクトラム症の診断を得たけれど、医療&福祉からのサポートがなく、どうしていいかわからないといったものだったんだよね。いとこの直子ちゃんは奈落の底でもがいていた…。
十年ほど前の私と同じ状況。
メールを読み進めるうちにその頃の状況がフラッシュバックのように脳裏に蘇ってきて苦しくなってきた…。
●自分を責め続けた手探り状態の育児に追われた日々
「何でこんなにうまくいかないんだろ?」「私がやっぱりいけないの?」息子が生まれてから、というか、まさに生まれたその日から私は悩み続けたんだよね。
赤ちゃんってね、生まれた時に”原始反射”っていう、この世に生まれて生きて行くための最低限のスキルをいくつか身に付けて生まれてくるんだよね。その一つが吸啜反射。これはお母さんの乳首などが口に入ってきたときに強く吸う赤ちゃんの生まれ持った反応なんだけど、息子はおっぱいの飲み方を知らないまま生まれてきちゃったんだよね。だから、さほど吸わなくても飲める哺乳瓶からミルクは飲めたんだけど、母乳は飲めなかったんだよね…。
でもその頃の私にはそんな知識がなかったから「なんで私はこんなにダメな母親なんだろう」と息子誕生のその日から自分を責め続けたし、周囲からも「おっぱいの飲み方を知らない赤ちゃんなんて聞いた事がない」と暗に責め続けられたんだよね…。
●他の誰かの視線におびえ、自責の念に駆られた日々
そんな風に自分を責め続けたまま毎日のうまくいかない育児に孤軍奮闘していたわけなんだけど、ある時の集団乳児健診で別室に連れて行かれて「気になる事があるので市が主催する親子教室に参加して下さい」と告げられたんだよね。 「気になる事ってなんですか?」そう聞き続ける私に「それは答えられません」の一点張り。その時真っ先に感じたのが「この人たち私を疑ってるんだ。ダメな母親で虐待でもしてるんじゃないかって…」だったのね。
母親はまず自分を責める。子供に障害があるなんてこれっぽっちも考えてなかったから。そういう私の母親としての心理状態にどれだけの人が気づいてくれてたんだろう…。
そんな疑心暗鬼な精神状態だったし、息子も他の子とグループの中でうまく遊べるはずもなかったので、「どうせしんどい想いをしたり、恥をかくだけだから」とその集まりへの誘いを無視し続けてたんだけど、最終的には「親子ふれあいグループ」という謎の集団に無理やり入れられたんだよね。
入れられた理由も趣旨も具体的な説明もなく、マジックミラーの向こうから監視されてる事に「やっぱり私、何かまずい事してるんだ…」と不安が膨らむ一方だったんだよね。「子育て・息子に対する不安」と「自分に対する不安や自責の念」その両方と戦ってた。
●診断を得てもなお、苦しみ続けた日々
そんなわけのわからないグループに無理やり参加させられて「さぁここがそもそもの目的地ですよ」と紹介されたのが病院だった。児童精神科?なんだそれ?きいたことがない。「なぜ診察を受けなきゃいけないんですか?」の質問には「申し上げられません」の一点張り。とりあえず必要だからと無理矢理わけもわからず予約を入れさせられ、初診までの意味もわからず待たされた間、不安はさらに増大する一方だった。
地獄の日々だった。
そして初診。「お子さんは高機能自閉症又はアスペルガー症候群です」と告げられた。「それはどういうことですか?」「障害ってどういう事ですか?」「治るんですか?」「これからどうすればいいんですか?」「だれか私達を助けてくれるんですか?」という私の問いに「もっと障害の重い子なら今すぐ療育園に通えるけど、息子さんは無理です。とりあえず福祉事務所に行ってください。あとは本とか買って読んでみてください」と。
真っ暗なトンネルに置き去りにされた瞬間だった…。
そこから情報集めの日々が始まったんだよね。それは「息子の事を知る為」というより「自分の不安を打ち消す為」だった。 とにかく楽になりたかったんだよね。私が。
息子のアスペルガーの診断をきっかけに、それまで週3日数時間、予約をとって一時預かり枠で通ってた私立の保育園に「もう予約は一杯でこの先はとれません」と突然「もう来ないで」宣言され、他の保育園に入園できるまでの1年間、ただただ家にこもるだけだった。
●仲間との出会いに救われ、ようやく見えた光
ようやく保育園に入園できた時から少しづつ、暗闇に光が差してきだしたんだよね。保育園で同じ悩みを持つ仲間と知り合い、一緒に学び合い、どう息子と向き合えばいいかの方法も手に入れて、自分への不安が消えていった。そこで初めて私は息子にちゃんと向き合えるようになったんだと思う。
●親の努力に左右されない、診断後のサポートの大切さ
こんな感じで、息子と私にとって医療・福祉は、それなりの仕事はしてくれてたけど、「サポート」という意味では機能してなかったんだよね。本来、健診経由の親子教室の参加や障害の診断は「安心」を与える物のはずなのに「不安」を募らせる要因でしかなかったんだよね。そんな不安から救ってくれたのは、同じ悩みを持つ仲間と自分の行動力。
でもね、私は何かに動かされるように行動に移して今のアメリカでの息子との生活に至ってる訳なんだけど、子供に障害がある人がみんな行動力がある訳じゃないんだよね。今、日本の障害のある子供に対する支援はなんとなく機能しはじめてるようにも見えるけど、それを支えてるのは「親の努力・行動力」にまだまだ他ならないんだよね。でもそれっておかしいよね。
子供に障害があると知らされる。それは真っ暗なトンネルで突然置き去りにされる感じ。 出口がわからない不安。出口があるのかさえも分からないんだよね。 でも
‐出口の存在を知らされたり、
‐出口を見つける道具があると安心するし、
‐励まし合い相談できる仲間がいると安心するよね。
そしてなにより、
‐出口が見えてる事が一番安心。
子供に障害名を与える事が「医療&福祉&教育が連携した長期サポート」につながらなきゃ、それはただの拷問なんだよね。
医療・福祉・教育、それぞれが役割を持っているんだとは思うけど、個々がしっかりしていたとしても「連携」と「共有された長期ビジョン・サポート」がない限り、障害のある子供達や親は路頭に迷うだけだよね。
だからね、アメリカの就学前のIFSP(個別家族支援計画)、そして就学後のIEP(個別支援計画)のような、診断の有無にこだわらない無料で途切れる事のない医療・福祉・教育・セラピーといった総合的な早期療育のようなものが日本にも確立されて、行動を起こした親子だけが救われるんじゃなく、またサポートに恵まれている地域の親子だけが救われるんじゃなく、全ての不安を抱えている親子が安心できるようになってほしいなって、自分の苦しい過去を振り返ると切に願わずにはいられないんだよね。
奈落の底に突き落とすだけの「自閉症の診断」を
もう一切終わりにしなきゃいけない。
その為に、アスペルガー症候群と診断された息子を持つ親として私にできる事の一つは、「こういった過去は辛かった。だからこんな風にしてもらいたい」って声にすることかな、と。そう思って書いた今日のnoteです。
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