日本発達障害ネットワーク (JDDnet)第2回年次大会と、 字が読めない当事者の体験談
こんにちは。美術館をはしごする、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。
2006/12/11「JDDネット第2回年次大会」
昨日は友人にベビーを預けて、吉祥寺の成蹊大学まで行き、JDDネットの第2回年次大会に参加してきました。
JDDネットとは「日本発達障害ネットワーク」のこと。
■日本発達障害ネットワークとは
従来制度の谷間に置かれ支援の対象となっていなかった、あるいは適切な支援を受けられなかった、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害等の発達障害のある人およびその家族に対する支援を行うとともに、発達障害に関する社会一般の理解向上を図り、発達障害のある人の福祉の増進に寄与すること目指した団体です。
「NPO法人 アスペ・エルデの会」「NPO法人 えじそんくらぶ」「NPO法人 EDGE」「全国LD親の会」「社団法人 日本自閉症協会」の5団体を発起団体として、2005年12月3日に発足しました。
私が普段手に取る本や、資料を請求する団体のほとんどが一同に集まる大会で、当事者の体験談も聞ける貴重なひとときです。10:00-17:50と、みっちりがっつりお勉強してまいりました!
うちの長男はADD(注意欠陥障害)とLD(学習障害)の診断を受けていて、未診断だけれど私もまったく同じ傾向、次男も同じく……という状況で日々生活しています。
私は診断名を振りかざして特別視して欲しいわけではなくて、こういうひともいるんだよってことを多くのひとに知ってもらいたいと思っています。
例えば、静かにしなきゃいけないところで大声を出してしまう、急がなきゃいけないのにノロノロしてしまう、触っちゃいけないと分かっているのに触ってしまう、というシーンが日常の中に数え切れないほど連続して起きるのです。それも何年間も。
親は「何回言ったら分かるの!?」「いいかげんにしなさい!」と毎日叱り通しになる。子供は毎日怒られる。
また、「気をつけろ」と言っても道路に飛び出す、毎日忘れ物をする、うっかり屋どころでは済まされないほどの忘れ物、無くし物。「あんなに言ったのにどうしてちゃんと管理できないの?」とイライラ腹を立てる。
これがADD(注意欠陥障害)という脳の特性を調べていくうちに「わざと」じゃないんだ、と分かった。
そして、叱責では改善しないどころかより深刻な二次障害を生むことも分かった。また、彼らにとって理解しやすい方法というのがだんだん見えてきた。
相変わらず困難の連発だけれど、どうにか希望を持って試行錯誤しながらやっていけるようになった。
原因は脳内の伝達物質にあるらしいです。うまいこと出てないみたい。注意力が散漫なのもその辺に関係するそうです。
ま、脳の特性そのものの原因は何であれ最も重要なのは、このような特性があるということをちゃんと受け入れて、その子に合ったやり方を一緒に見つけてあげること。どうしてもうまく行かない問題があった場合は、それを補う方法を一緒に探してあげること。
何に困っているのかをよーく見て、困っている理由を見極めて、そのために何ができるかを模索する。
軽度発達障害のひとたちにとって、見守るひとがいるのといないのとで人生が左右されます。
特性をうまく伸ばしていくことで、ひとにはできない素晴らしい才能を開花することも可能です。
そのあたり、わくわくする。
今回、印象的だったのは学習障害の当事者の話。
彼は22歳で字が読めない・書けない障害を持ってます。でも見た目には全然その障害が分からない。そもそも、そんな障害があることすら知られていない。学習障害の特徴は「英語は100点だけど国語は0点」とか「読書は大好きなのに音読はまるでできない」とか、学習能力がとてもアンバランスなこと。何が得意で何が駄目かはひとによって全然違います。
うちの長男の場合は「字を書くこと」が苦手。漢字の正しい形を認識するのがちょっと難しいようです。
自己診断だけれど、私は数字が頭にひっかからない。私は理屈とからめないとものを覚えられないタイプなので、底値○○円なんて言われても記憶するための手がかりが一切無いの。
あと単位も置き換え(○メートルは○キロメートルとか)も駄目。年号もまったく覚えられなかったので日本史なんて散々たるものでした。
で、その22歳の青年はテストになると出題を読むだけでテスト時間が終わるほど本人は困ってた。彼の場合は、読める字の大きさというのが微妙にあるそうです。あと、光の具合。教室の電気では光って見えないとのこと。でも、彼は見た目も普通だし愛想もいいし運動もよくできたので、先生も友達も誰も「読めないんだ」ということを理解してくれなかったそうです。
部活で配られたプリントが読めなくて「お前はなんでいつも目を通してこないんだ。ふざけているのか!?」と度々怒られ、「この字の大きさでは僕は読めないんだ」と言ったらさらに大目玉をくらったとか。ひとは自分と他人が同じように物を見て同じように聞いて同じように感じていると思いがちなのよね。
彼の場合はとにかく本人が苦戦しながらも何とか自分も分かるようになりたい、と頑張るんだけれど、結局不登校になっちゃった。でも、高校だけは卒業したいという気持ちがあって、色々探して「美川特区アットマーク国際高等学校」と出会って人生が変わったと。
ここはプライベートコーチが常に伴走してくれる。そのままの自分を受け入れてくれて、駄目とか違うと一切否定されない。イエスマンなのではなくて、常に肯定しつつ方向を変えて伸ばして行ってくれる。
いままで親身になって勉強を教えてくれるひとはいたけれど、みんな結局は「私がこんなに一生懸命あなたのために教えているのに、どうしてあなたは理解ができないの?」という目線だった。でも、この高校は同じ目線で接してくれた……。
最後に印象的だったのは、当事者として一番求めるものとして出た「理屈抜きで信頼できる大人が欲しい」という言葉でした。
これって、障害があろうが無かろうが、全ての子供にとって必要なことと思う。
この高校の校長先生も会場に来ていて、「どんなスタッフを採用しているのか?」という質問に対して「うちの学校は2種類の先生がいます。スタディーコーチと呼ばれる教科担任は教員免許があることが条件です。でも、プライベートコーチはこころがあるかどうかの1点だけです。子供たちと共に育って進んで行く気があるかどうか。それだけです」と言っていました。
子供にとって親がプライベートコーチになれたら素晴らしいのにな、と思った。
他に今回とても勉強になったのは、次男がいまだに物を口に入れたり手でごはんを食べる癖があるのは触覚に関する感覚統合がうまく行っていないからでは、という方向性が見えたこと。
感覚統合についてはまだほとんど何も知らないので、これから勉強しようと思います。
子どもの望ましくない行為の裏側にはちゃんとした理由が必ずあると思う。
なかなか直らないことを叱責するんじゃなくて、「どうしてこの子はこんなことをしてしまうんだろう」「どうして直すことができないんだろう」「本人も何か困っているんじゃないだろうか」と考えられると良いよね。
JDDネット立ち上げのときは肩が抜けるほど本を買っちゃったのですが、今回はこの感覚統合に関する本とソーシャルスキルトレーニング(人付き合いのコツを身に付けること、困難な場面回避の為のスキル等、良好な人間関係と暮らしやすさを自ら築けることを目的とした練習を段階的に行う)の本だけを買って帰りました。
こういう大会や勉強会では、普通の書店ではかなわない品揃えが並ぶので時間がいくらあっても足りないワ!
すーっごく長くなっちゃったけれど、今日もまた色々考えてます。
我が家の当事者2名は近所の散髪屋に髪を切りに行ったっきり帰って来ません。混んでるのかなぁ。外もしっかり暗いし心配だわー。ちょっくら覗いてくるか。
つづく
次回は「お尻キックとすっぽかし未遂」をアップします。
■当時をふりかえって補足 2021.10.1
学習障害当事者の話は、生きづらさを抱える苦悩を感じると同時に、なんて魅力的で尊重すべき個性なんだろうと思う。今回の話では、文字の大きさや、光の加減で読めたり読めなかったりするとのこと。以前聞いた他のケースでは、落ちた教科書を拾う際、上下さかさまになった文字なら読めることに気づいた子や、教科書にオレンジ色のフィルムを敷いたら読めるようになったとか、本当に色々。前例が少ないので工夫が大変だと思うけど、苦手を克服するだけでなく、他の子にはできないことまでできそうで、この子たちの能力が最大限発揮される社会になるといいなと心から思う。
あと、いまはプライベートコーチがいる通信制の学校が増えているから、当時より環境は良くなっていますね!