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「食べること」と「知ること」

最近『ダンジョン飯』にはまり、夜更かししつつ読んでいました。

物語の根幹に関わるネタバレはしませんが
少し内容に関わる話題もあるので
今後読む予定があり情報ゼロの状態から読みたいという方はここで止めて
また読みに来てくださったら嬉しいです

『ダンジョン飯』は九井諒子さんという作家さんが
書かれた漫画作品になります。

wikipedia から概要を引用します。

登場人物が、古典的ファンタジー作品に登場する様々なモンスターを現実に存在する調理方法によってその場で料理しながらダンジョンを踏破していくという、アドベンチャーとグルメを混交させた作風の、グルメ・ファンタジー漫画。スライムやマンドラゴラ、バジリスクやゴーレムといった、ファンタジー作品では定番のモンスターの生態を改めて論理的に考察し、それに基づき「いかに調理すれば美味に食べられるか」を主眼に置いている。作中で作られた料理にはレシピが記載され、そのことによってファンタジーでありながらリアリティー、説得力を生じさせている。

登場する料理は
大サソリと歩き茸の水炊き
人喰い植物のタルト
ローストバジリスク
マンドレイクの甘露煮などなど…

グルメ漫画というと読んでいて
お腹が空いてしまって思わず「食べたい~」と
なるものだと思うのですけれども
こちらの作品、原材料が魔物なので
見た目は美味しそうなんですけれども
実際に食べるのはちょっとためらわれるな…と感じます。

この物語の中でも「魔物を食べる」というのは
かなり特殊な行為であるとされています。
他の冒険者たちに
「魔物を食べているんだ」という話をして
ドン引きされるというシーンが何度も出てきます。
通常はダンジョンを探索する際は
携帯食料を持ち込んでそれを食べています。

どうしてこのような特殊なことをすることになったかと言いますと
主人公であるライオスの妹が
ドラゴンに丸呑みされてしまうという出来事が起きたためです。

ドラゴンは活発に活動した後、休眠する期間があるため
その間食べ物の消化活動をしません。
すぐに助けに行けば胃袋の中から助け出せるかもしれないということで
急いでダンジョンの奥を目指します。

しかしダンジョンを探索しに行くためには準備が必要です。
食料や備品の調達に結構なお金がかかり
彼らはそんなお金もなく稼いでる暇もありません。
であれば食料は現地調達をしながら行こうということになったのが
魔物を食べるきっかけになっています。

主人公のライオスというのは
ちょっと変わった性格をしているという設定になっていまして
人間よりも魔物が好きで、非常に好奇心が旺盛です。
そして人間嫌いが高じて
心のどこかで魔物になることに密かな憧れがあったりします。

以前より実は魔物食に興味もあり
嫌がる他のメンバーを半ば無理矢理押し切って
食料現地調達の旅を始めてしまうということになっています。

この作品を通して感じた「食べる」ということについて
話をしていきたいと思います。

食べるために魔物を倒すとなると
その魔物のことをよく理解する必要があります。

もしただ倒すだけでいいのなら
ひたすら殴るとか、崖から突き落とすとか
魔法が使えるメンバーがいるのであれば
凍らせたり燃やして消し炭にするなどの方法も考えられます。
あるいは逃げるという方法もあります。

しかしその魔物を食べるという目的があるのであれば
相手をなるべく損傷しないようにしつつも
確実にとどめを刺すというように
戦いのレベルが上がってしまいます。

主人公のライオスは魔物が好きなので非常に詳しいのですけれども
通常暮らしていて滅多に遭遇しない生き物なので
とっさに急所がどこにあるのかというのがわからなかったりします。

そのため「あの生き物に似ている」とか
「構造はこうなっているはずだから」というふうに類推し
魔物の動きをじっくり観察したりして
対処するというシーンがたびたび登場します。
これが他のファンタジー作品とは違う点だなと感じます。

例えばクラーケン(タコやイカに似た化け物)が登場するのですが
襲いかかってくるシーンというのは非常に怖い存在なのですけれども
どんどん料理されていく過程を見ていくと
普通のタコやイカだなというふうに感じるように
どんどん身近な食材に見えてくるからとても不思議です。

通常私たちが普通に暮らしていて
どう料理したらいいかわからない
味のイメージがつかないというような
未知の食材に出会うということはほぼなく
だいたいわかったものを食べていると思います。
言い換えると普段は情報で食べていると言えるのかもしれません。

以前あるアーティストさんのアトリエに行った時に
とても面白い経験をしました。
その方が、訪れた人に飲み物を提供していました。
そこには中身がわからないヤカンが6~7個置いてありました。

「この飲み物は何ですか?」というふうに尋ねましたら
いたずらっぽく「当ててみて」とのお答えでした。
これはどういう意図があってのことかと言いますと
私たちは普段ラベル(情報)で飲み食いしているということを
感じてもらいたかったからということで
これも一種のアートでありその方の作品とのことです。

見た目から味が予想できない料理を口にするのは
私の場合エスニック料理屋さんに行った時くらいかなと思います。
スーパーに「何のものかよくわからないけれども何かの肉」
というものが売られていることはまずありえませんし
コンビニでウーロン茶を買って
「実はウーロン茶じゃありません」ということもありえません。
そのためウーロン茶を買ったら
安心して蓋を開けてゴクゴクと飲みます。

しかし、それがもし本当は何なのかわからないものだったとしたら
いきなりゴクゴクは飲んだりしないと思います。
慎重に口に運んで確かめるように飲み
(苦手な味だったらすぐにやめられるように)
味や香りを敏感に感じ取って
「これは過去に飲んだあれに似ているな」などと推測しながら
感覚をビビットにしながら飲むかなと思います。
『ダンジョン飯』に出てくる魔物食も
それとちょっと似ているなと感じました。

狩猟採取時代何を口にするかというのは生死を分けるものでした。
まず見た目で大丈夫かを確認し、匂いを嗅ぎ
最後に口に含むのですが
つまり口の中の感覚というのは
命を守る最後の砦になるということです。

赤ちゃんというのは常によだれを出しているものかなと思います。
(私の母も私が赤ちゃんの頃は
 よだれをナイアガラの滝のように流していたと懐かしそうに話します)
また赤ちゃんは何でも口の中に入れてしまうから注意が必要です。
これはどうしてかと言いますと
唾液を通して非常に多くの情報というのが
脳にインストールされると言われているからです。

もし何かを本当に理解したいと思うときは
案外食べてみるのが一番なのかもしれません。

そのことから食べることと知ることについて考えてみたいと思います。
物事を理解することを
「咀嚼する」「飲み込む」「腹落ちさせる」などと
まるで何かを食べるように表現するのは言い得て妙かなと思います。

そして食べ物を食べるという行為は
生きていく上で必須なのですけれども
何を食べるのかというのはかなり吟味する必要があります。

「人は食べたものでできている」という言葉がありますが
別に牛を食べたら牛になり
豚を食べたら豚になるというわけではないのですけれども
『ダンジョン飯』のように魔物を食べるというと
何やら悪いものが体に入ってきそうという感じがして
嫌だなというふうな感覚があります。

これは情報というのも同じかなと思います。
年齢を重ねて経験を積むと
相手の言うことをそれこそ
「鵜呑み」にすることはまずないかなと思います。

これは相手の言うことをまるまる受け取ってしまうことで
精神的に不安定になったり
あるいはこれまで築いてきた「自分」というものが
揺らいだり崩れたりする可能性があるということを
無意識に感じ取っているからだと思います。

思春期の頃は大好きなアーティストの歌詞カードを
まるでバイブルのように扱っていて
一言一句をそれこそ神からのお告げのように
受け取っていたのですが
今はまずそんな受け取り方というのはしません。

『ダンジョン飯』の主人公ライオスは
人間よりも魔物が好きという変わり者なのですが
「食べる」ということを通して
自分を取り巻く世界を理解しようとしているという面があります。

これはかなり危険な行為であり
なぜなら食べることで自分の身に何が起きるかわからないからです。
しかし彼はそれを何度も繰り返します。
物語が後半に行くに従ってライオスが
とても真摯に相手のことを
「知ろう、分かろう」というふうにしているというシーンが
何度も出てきます。

彼の「何でも平気で食べてしまう」という性質に
その一端が現れていると言えると思います。
何事も決めつけるということがなく
一旦、口にしてから判断するという面があるのです。

どんな情報でも丸飲みするというのは危険なのですけれども
大人になるにつれある種、えり好みをし
分かったような気になっている面があるかもしれないなと感じました。

「これ」と決めたものを思い切って
自分の一部が変わるかもしれないとは思っていても
丸飲みしてしまうというのも
時として必要なのかもしれないなと感じました。

『ダンジョン飯』にはたくさんの種族というのが出てきます。
エルフ、ドワーフ、オークなどなど
人間もそのたくさんの種族の中の一つであり
「トールマン」というふうに呼ばれています。

ファンタジーではよくある設定といえばそうなのですけれども
この作品に多様性を感じるのは
いろんな種族と一緒に食卓を囲むシーンが多いからかなと感じます。

この作品を読んでみたいと思ったきっかけは
YouTubeで『ダンジョン飯』のアニメを
海外の人がすごく楽しそうに見ていたからでした。

その中に
「この作品にはとても多様性を感じるという」コメントが
いつくかありました。
欧米ではポリコレに非常に気を遣うので
昨今では多様性ではない作品を見つけるのは
逆に難しい くらいではと思うのですけれども…

私が印象的だったのはオークと一緒に食卓を囲むシーンでした。
オークというと『指輪物語』では
魔王サウロンに使役されている敵になっています。

映画『ロード・オブ・ザ・リング』のイメージが
どうしても強いのですけれども
彼らとはおよそ話なんて 通じそうにありませんし
一緒に宴会をするなんてもってのほかという感じがします。
『ダンジョン飯』では利害関係の対立というのはあるのですけれども
彼らなりの言い分があり、話をすることができます。

「同じ釜の飯を食う」という表現がありますが
同じものを一緒に食べていると
どこか気持ちが 通じ合う気がするというのは
万国共通のように感じます。

例えばある地球外生命体をホームパーティーに招待したとします。
その地球外生命体が
「これ見たことないなぁ」と言いながらもそれを食べてくれたり
「意外と美味しいとか」
「我々の星のアレに味が似ている」と言ってくれたら
なんだか嬉しいなと感じると思います。
どこか分かり合う術があるように感じます。
「今度そちらの星のものを食べてみたいですね」などと
話も弾みそうな感じがします。

逆に全く食べてくれなかったり
あるいは自分のカバンの中から何か取り出してもぐもぐ食べだす
というふうなことをされると
ちょっと悲しいというか
分かり合えないような気がするというか
なんならちょっと嫌なヤツかなと思ってしまうかもしれません。

一緒のものを食べることで自分と同じ存在だと感じる…
これは海外駐在員の方や現地で地元の方々と働く方などが
夕食などに招かれたら必ず出されたものは
何でも食べるというふうに心がけている聞いたことと通じると思います。


とても世界観が面白くてつい設定資料集を買ってしまいました。
今度、もう一つこの作品の大きなテーマである「欲」についても
書いてみたいなと思います。

カバー写真:UnsplashJimmy Deanが撮影した写真

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