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昔(前世)の話

私は前世があるということを信じているし
過去生というのはいくつもあると思っている。
そして私は修道士、あるいは修道女だったことが
何度もあるように思う。

(今日はちょっと変な話になるので
「そういうのちょっと苦手…」という方は
また別の機会に読みに来ていただけると嬉しいです)

昨日、知人が主催するマルシェの手伝いをしていた。

私は普段、デスクワークで、かつ
ろくに人の顔を見ないで過ごしているから
たくさんの人がいる空間に慣れていないし
プチトラブルなど色んなことが起こるしで
とてもエネルギーを使った。

人の顔色や気分を読みとりがちなくせに
臨機応変にふるまうということができないし
愛想笑いを顔にはりつけている自分に嫌気がさすしで
家に帰ってぐったりとしてしまった。

そしてふと、こういうのを
ずっと繰り返してきたんだろうなということも感じた。

以前、モンサンミシェルの写真を見ていて
「あぁ、懐かしいな」という気持ちになった。

回廊から中庭をうつした写真で
静謐な空気が流れていた。

モンサンミシェルに限らず
おそらくどこかの修道院で
当時の私もこのような景色を
眺めていたことがあったように感じた。

普段は、静かな守られた空間で
神様の教えに従いながら
見知った人たちと羊皮紙の束の中で
平穏な気持ちですごしていたのだと思う。

ただ、たまに修道院の外へ行ったとき
外の世界のカオスや
人々とかかわるときに自分の中に湧きおこる
恐れ、嫉妬、哀れみ、優越感、劣等感、虚無感などの感情の嵐に
神の教えはどこへやらとなって帰ってきて
「疲れたな、ここは安全だ」と思いながら
中庭をぼーっと眺めていた気がする。

ただ、安全で守られた静かな場所でそれを守ることはたやすく
それでは本当に真理を理解しているということにならない
ということも感じていたのだと思う。

現代であれば、在宅ワークもできるし
ネットで何でも買えるし、Uber Eatsもあるし
当時の私よりもずっと引きこもって生活することすら可能だったりする。
何も好きこのんで知人の手伝いなどをして
「疲れた、疲れた」という必要もない。

けれどもおそらく
それをやりにもう一度地球に来たわけではないのだと思う。
昔のクセでつい、引きこもっている方が楽というだけで。

東尋坊みたいな崖から海に飛び込むというような
命知らずなスポーツを楽しんでいる人たちがいる。
(クリフ・ダイビングというらしい)

「危なー!!何を好き好んでそんな危険なことをするんだろう」
と思うけれど
地球に生を受けてくる人たちというのは
クリフ・ダイビング並みに危険なことを好む人たちらしい
ということを聞いたことがある。

ビジョンを描き、そのためにクリアしたい課題を決め
それを発動するための
ハードルやトラップ、落とし穴いばらの道を自ら設定し
「イケる、イケる!今度こそ課題クリアだ」と意気込み
そしてそれらを"すべて忘却"したうえで生まれるという
ハードモードゲームを楽しむ人たちだからだ。

中にはあまりにもハードな設定をしすぎて
出産という段階で「やっぱこんな設定無理!戻してください!」と叫ぶも
神様から「もう修正きかないので、このまま行ってください」と言われ
「嫌ぁぁぁーーー!!」と生まれてくるケースもあるそう。
だから赤ちゃんは生まれた瞬間、泣き叫ぶのだそう。
(本当かどうかわかりませんが)

それでも地球に肉体を持って生まれたいという魂は列をなしていて
スーパーアイドルのライブの
プラチナチケット並みに入手困難なのだとか。

だから私がどれだけ人に疲れ果て
自己嫌悪でぐちゃぐちゃぐったりしていたとしても
私の魂は
「ああ!これこれ!これをやりに来たのよ!」と
嬉々としているのだろうなとも思う。

カバー写真:Dylan LeaghによるPixabayからの画像

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