『GOAT』5 ジーヴァンとメノン
『GOAT』はある意味社会性の有無がテーマだと思ってる。何故ならガンディーとジーヴァンの違いがそこにあるから。ジーヴァン、普通に学校行ってないでしょ、あれ。メノンに裏社会に特化して育てられたから。その英才教育は確かに見事だった。躊躇無く身近な人を殺せるほどに。
あれはジーヴァンがメノンの実の息子じゃないからできたことなんだと思う。メノンは家族が存命だったら実子は欧米に留学させるなどして高等教育を受けさせたと思うんだよね。メノンはともかく、母親はそれを望んだはずだから。
『タライヴァー』ではヴィシュワは父の仕事を一切知らされないままオーストラリアでごく普通の教育を受けて社会性を身につけ育ってたじゃない。そうして至極真っ当で健全な精神を持つ青年となり、人望も得たわけじゃないですか。
メノンは下劣な精神の持ち主だったけれど高等教育は受けていたからその必要性は熟知していたはずなのよ。だからサンジャイが生きてたなら、その能力があれば有名大学に入れてたはず。その能力があるならMBAとらせたり弁護士にしたり、普通の社会で尊敬を得られる職業につけるようしたでしょう。でもジーヴァンにはそれをしなかった。なんていうかその辺が「血を分けてない」からだなあという感じなんだよね、養育はするけど将来の行く末を真剣に案じてないというか。
まあそもそもジーヴァンはガンディーに対する最終兵器として育てられているので高等教育は必要なかったんだろうけれど。 そうして「兵器」となるための英才教育はみっちり施したんだろうね。
ジーヴァンはそれでも「父親」と呼べるメノンがいたので、裏社会における「社会性」はしっかり身につけてちゃんと部下は使いこなせるようにはなっている。シャ(チェンナイでの部下)への態度を見ると結構人を人とも思ってないようだけど、少なくとも「恐怖」により他人を支配する、というやり方は身につけているわけだ。裏社会の社会性。
それでも最後ガンディーに負けるのは、彼と娘の間にある絆を分かってなかったから。自分にそれが分からないという事実に気づいてあたふたするジーヴァン。結局彼はガンディーの家族のフリをしていただけだったから。
血のつながった親子としての生活を与えてくれたガンディーなのに、それを受け入れなかったのはジーヴァン。可哀想でならないよ。