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『GOAT』1 ジーヴァン/サンジャイ


DEVILと刻印されたフルフェイスヘルメットの下にジーヴァンの顔があってもやっぱりと思っただけで、特に驚きはしなかった。だってあのプロポーションと身体能力の高さはガンディー以外に彼しかいない。驚いたのは彼が恋人を手にかける時の自問自答をしながらの狼狽ぶりだ。完全に度肝を抜かれた。
この人一体何なの?

端的に言って、気が狂ってる。
そうとしか思えなかった。
その後「おじさん」と呼んで仲良くしていた仲間を前触れもなく殺したことでさらにジーヴァンの異常性が際だった。

だって、あまりにも脈絡がない。

ジーヴァンという青年は殺人衝動に身を任せる狂気の人物として存在している……最初に見た時はそう思った。

しかし二回目を見ると、ジーヴァンの行動にもちゃんとした意味があることが分かってくる。普通の人間には理解できなくても、ジーヴァンにとっての重要な行動の基準があるのだ。

タラパティのような優れた俳優ならばキャラクターを完全なものにするためその人物の心理の働きから作り上げているはず。ジーヴァンの異常な行動も突発的に見えてちゃんとした理由があるに違いない。

そう思って三回目を見る。まだ英語字幕の読み切れてない部分がかなりあるが、なんとなく分かってきた。

優しい両親の元で良い子に育っていたジーヴァンはメノンの策略で誘拐され、物乞いとして子ども達を使う組織に渡される。そこでは子ども達を支配するため徹底的に恐怖を与えている。日常的な暴行に加え、同情をひくために身体の一部を欠損させられる仲間の姿を目の当たりにし、5才のジーヴァンには自分に危害が加えられないよう祈る以外の事はできなくなる。

やがて遂にジーヴァンの指が落とされる寸前、恐怖の絶叫をあげたその時に銃声が響き、彼の指にシガーカッターをあてていた親玉が銃声と共にばったりと倒れ、窮地を脱する。

すんでの所でジーヴァンを救ったのはメノンだった。
メノンは彼を自宅へ連れ帰り、恐怖の記憶に苛まれる彼を手厚く世話させ、さらには自分の息子だと吹き込んで可愛がる。もちろん計略の内である。

この時点でジーヴァンが本来持っていた、実の両親に育まれた「優しい心」というのは恐怖に侵略されてほとんど残っていなかったのだと思う。素直な感情の発露からなる「心」などとっくに消えて、残っているのは今を生き延びるために最良の決断をくだす「装置」だけ。

着の身着のままで物乞いをし日々飢えていた生活から一転し、メノンが与えてくれたのは贅沢三昧の毎日。この生活を失わないためにジーヴァンはメノンを父と呼び、自分がサンジャイであることを積極的に受け入れたのだと思う。メノンの機嫌を損ねたら、そこに待っているのは死しかないのだ。

サンジャイは、メノンがガンディーに奪われたと思い込んでいる亡き息子の名前である。ガンディーはメノンを捕まえる目的で(+ウラニウムの奪還+オマールの成敗)列車に乗り込んだのであって、そこに彼の妻子も乗り合わせているとは知らなかったので、全くの筋違いなのだが。

憎い仇敵を殺すのに仇敵自身の子どもを使うというのは古来からある復讐法で、そのためにメノンはジーヴァンを誘拐し、洗脳してサンジャイとして手元に置いて大事に育てたのである。

その結果、サンジャイはメノンを父親として崇拝するようになった。
最初はメノンが望む通りに振る舞う事でサバイバルを図っていたのが次第に習慣となり、その脳の働きが本来の心があった所にできた穴を埋めたのだろう。それも一種の「心」とさえ言えるかもしれない。

けれどもその「心」は葛藤しない。葛藤のしようがないのだ。何故ならその働きの第一目的は「自分が生き延びること」で、そのために必要な第二目的として「父であるメノンが望む通りに振る舞う」ことが何より優先されるから。それ以外の選択肢などあり得ないのだ。

サンジャイはメノンと共に世界中を渡り歩きながら裏稼業を学び、10代にして彼の右腕となるまでに成長した。
ということは、サンジャイは普通に学校に行って社会性を身につけるという習慣をメノンからは学んでいないことになる。

それなのにモスクワで捨てられた仔犬のような瞳でガンディーを引き寄せ、寂しげな表情で「俺の父さん?」と問うことで息子の座を取り戻してインドに戻った時、当たり前のように家族としてなじんで生活できていたのは、そこにまだジーヴァンとして育っていた時の心がいくばくか残っていたからではないかと思うのだ。

彼の「心」はその場所で生き延びるための最善の方法を選び出す。だからガンディーの家では彼らに気に入られるよう振る舞うのが当然でもあるのだが、だが全く社会性がなければ「愛に満ちた家族に囲まれて暮らす完璧な長男」をあんなにも上手に演じられないだろう。

それに幼い恋人同士だったシュリーニディーと再会した途端に当たり前のように結婚前提の恋人になることも。

メノンとの会話では「愛、愛、愛、で病気になりそうだ」等と毒づいていたサンジャイだが、胸の奥深くに眠っていたジーヴァンの心の残された部分はその生活を喜んでいたのではないだろうか? そしてその心はサンジャイが気がつかない内に少しずつ大きくなってきていたのかもしれない。

だからこそ、シュリーニディーを自分の手で殺さなければならない事態に陥った時、彼は初めて葛藤したのだ。

メノンに危険が及ばないようこの娘は今ここで始末する必要がある。
自分が深く愛している彼女を自分の手で殺すなんてできない。

二つの相反する命題に心を責め苛まれる経験はサンジャイにとってかつてないことだったから隠すことができず、その葛藤が全部声と態度に出てしまった。そう考えればあのシーンにも納得ができる。

端から見ると頭がおかしくなったとしか思えないが、彼にとっては真剣な悩みだった。文字通り心が引き裂かれるような苦しみだっただろう。ジーヴァンはシュリーニディーを心から愛していたのだ。

だが、サンジャイとして生き延びることを選んだ「装置」の方が強かった。「装置」がジーヴァンの心をねじ伏せ、彼はシュリーニディーの首を切り裂く。

この時、残っていたジーヴァンの心も死んでしまったのだと思う。
ジーヴァンは、自分がしたのが取り返しのつかない悪いことだと知っていた。
だからまるで慌てて逃げ出す子どものようにその場を立ち去る。自分の罪に脅えながらも自分が悪いんじゃないと言うかのように。

もしかしたらジーヴァンの心は死んだのではなく、悪に染まったのかもしれない。

でも、この時点でもうジーヴァンはガンディーの元へ帰れなくなった。サンジャイとして生きるしか道はなくなったのである。

サンジャイはシュリーニディーを人質に取ることで無事にメノンとその仲間を危機から救った。メノンの元に戻って祝いの席で踊りながら彼は「おじさん」と呼んで慕っていた父の腹心をいきなり刺殺する。

驚くメノンや仲間に彼はぽつぽつと説明する。こいつの面は割れている。だから今回10人が拘束され父さん(メノン)が逮捕されそうになった。ガンディーに尻尾を掴まれないためには、面が割れている奴を生かしておいてはいけない。

理屈は通っているので周囲は一応納得するが、サンジャイの様子がおかしいことにメノンを始め全員が戦慄する。

これはサンジャイの「装置」が葛藤を経て暴走し始めたことを意味するのだと思う。彼は「メノンを危険から守るため」殺したと言っているが、その殺しは「メノンの望み」ではなかったからだ。メノンが復讐を遂げるために必要な殺人ではなく、サンジャイが望んだ殺人。

自分は父を守るためにスリーニディーの喉をかっ切った。
そもそも父が危機に陥らなければそんなことは起こらなかったのだから、元凶となった奴には責任を取って貰う必要がある。自分は最愛の女性を犠牲にしているのだから、父だって腹心を失うぐらい、なんてことないはずだ。そのぐらいしないと、折り合いがつかないだろ?

うつろなサンジャイの表情の奧にそんな気持ちが透けてみえる。
彼自身も気づいてないかもしれないが、あの殺人はスリーニディーのための復讐だった。

という具合にタラパティはジーヴァンの心理を組み立てたんじゃないかと思う。取り敢えずここまではそう考えれば辻褄は合う。

この先は集中が途切れたのと字幕が追いきれなかったのとでちょっとよく分かりません。ジーヴァンが完全にサンジャイとなって当初の計画を実行に移したまではいいんだけど、ガンディーに邪魔されて頭に血が上ってからはもはや怒りにまかせて動いてたとしか解釈できないんですが……そこが彼の弱点ってことかな? 物事が自分の思い通りに進まないとブチ切れるタイプ。メノンに甘やかされてたからな~。

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