青のフラッグ
を読み終え、色々と思いを馳せております。
どうも、えりおです。
『少年ジャンプ+』(集英社)にて連載され、4月に完結を迎えた青春群像劇『青のフラッグ』を読み終えました。
進路や受験、恋や友情、そして自分自身のあり方など、様々な決断を迫られる高校生たちの物語。
どの登場人物も真っ直ぐで、不器用で、悩みながら、懸命に生きていて、その姿や心理描写がとても素晴らしく、読み終えて数日経つのですが、今も色々と思いを馳せているところです。
最終巻を読み終えた直後の感想を一言でいうと、"儚い"です。
自分の選択が正しいかなんて分からないけれど、それでもその瞬間の最適・最善を考え、選んできた未来。
変わらないものもあれば、移ろいゆくものもある。
始まるものもあれば、終わるものもある。
そういう”儚さ”を自分は感じました。
(「変わらないものもあれば、移ろいゆくものもある。始まるものもあれば、終わるものもある。」ってことを、自分は人生の"醍醐味"ではなく”儚く”感じる性格なんだなぁと思いました。)
また、本作を読み終えどうしても心情的にすっきりしない点があり、自分の中で考えを整理したいと思うことがありました。
それは、ケンスケという登場人物についてです。
本作に登場する人物たちは、様々な価値観を持っています。
そして、どの登場人物も自分自身の価値観に悩み、苦しんでいます。
それが痛いほど伝わり、読みながらとても胸を締め付けられるのです。
ですが、自分には唯一、全く共感のできない登場人物がいました。
それがケンスケです。
ケンスケは、ホモフォビア(同性愛嫌悪)が強く、友人(トーマ)のセクシャリティをアウティング(本人の了解を得ずに、第三者にセクシャリティを暴露)し、「俺にとってはすべての女性は性の対象なので女性のことを男性と同じようには扱えない」と主張する人物です。
ケンスケは、その主張や行動について友人やクラスメイトから批判されます。(逆に彼を擁護する人もいれば、静観する人もいます。)
最終巻のあとがきによると、作者は「何かオリジナルで特別なもの」を描きたいわけではなく、「生きている人間(の感情)」を描くとともに、ちゃんと相手と向き合い「話し合うこと」の重要性を本作のテーマにしていると語っています。
また、「多様性」というのはあくまでもテーマを表現する上での一つの要素であり、個々のキャラクターの感情を特別視せずに表現したいと考えたそうです。
そのため、ケンスケの主張にも耳を傾け、話し合うことが大切だとするストーリー展開になっています。
ただ、それを描くためにケンスケの一連の主張や行動にも一理あるとされ、アウティングされたトーマ以外の人間が、ケンスケを理解しようともせずに批判することの方が、むしろ”過激”な行為だとして描かれていました。
ここが、自分がどうしてもモヤモヤしてしまう点です。
もちろん、これはフィクションだし、LGBTQ+の権利侵害や差別を訴えるための作品ではないですが、どうしてもモヤモヤしてしまいます。
なので、少しずつこのモヤモヤをちゃんと自分の中で整理していきたいと思うのです。
< 参考 >
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