ユダヤより先に選ばれたクリスチャン
キリストの携挙―13・ユダヤより先に選ばれたクリスチャン
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初めに結論を申し上げます。
エペソ人への手紙1章
1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
ユダヤは「地上の数多の民族の中からアブラハムから始まった神に選ばれた民」です。
クリスチャンは「世界の基が据えられる前に神に選ばれた神の国の民」です。
ユダヤは「地上で選ばれた民」です。
クリスチャンは「天で選ばれた民」です。
そして神は新約時代のクリスチャンと呼称される「世界の基が据えられる前に神に選ばれた神の国の民」を救うために、先に旧約時代からアブラハムを始祖とするユダヤを選びました。ですから「神の救いの計画」は
クリスチャンが「先」で、ユダヤは「後」です。
実際にイエス・キリストの十字架を信じたクリスチャンが先に救われて携挙されて、イエス・キリストを否定して十字架でイエス・キリストを殺したユダヤは携挙で地上に残されて黙示録の期間で救われます。
神の救いはユダヤが先でクリスチャンが後ではありません。クリスチャンが「先」でユダヤが「後」です。
エペソ人への手紙1章
1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
1:5 神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
1:7 このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
1:8 この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、
1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、
1:10 時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。
1:11 またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。
1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
1:13 このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。
1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。
1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
1:5 神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
クリスチャンは神が「世界の基が据えられる前から、この方にあって選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされた人々」です。
クリスチャンは神が「みこころの良しとするところにしたがって、イエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられた人々」です。
「世界の基が据えられる前から、」「愛をもってあらかじめ定めておられた」というのは時間的に「ユダヤの始祖のアブラハムが生まれる前から」という意味です。
「世界の基が据えられる前から、」の意味については次回詳しく解説します。
ローマ人への手紙8章
8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
8:29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
8:30 神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
「神のご計画にしたがって召された人たち」とはイエス・キリストを信じる私たちクリスチャンです。
「神は、あらかじめ知っている人たち」とはイエス・キリストを信じる私たちクリスチャンです。
「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。」とはイエス・キリストを信じる私たちクリスチャンを御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められた、という意味です。
ここでパウロが語っている「あらかじめ」とは「ユダヤの始祖のアブラハムが生まれる前に」という意味です。
ですから神の人類の救いの計画はクリスチャンが「先」で、ユダヤは「後」です。ユダヤが「先」でクリスチャンが「後」ではありません。
「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。」
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ユダヤの使命は歴史を通して「信仰のひな形(template)」を神によって世界の基が据えられる前から選ばれたクリスチャンに示すことです。
ユダヤより先に天で選ばれたクリスチャンの地上での使命はユダヤの祭司に代わってクリスチャンが霊的な祭司となってユダヤが建てたエルサレム神殿に代わってクリスチャンの心が神の霊が宿る「神の宮」となることです。
イエス・キリストも使徒たちも、特にパウロはそれぞれの教会への手紙でクリスチャンに向かって
あなたがたはキリストの十字架によって永遠の罪から贖われた霊的な祭司となってエクレシア(神に召された人々の集まり)として天の神を礼拝しなさい。
と教えています。クリスチャンは「万人祭司」です。
ヨハネの黙示録1章
1:6 また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。
20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。
キリストがイスラエルの地、ベツレヘムに生まれたのはイスラエルに向かって「神の国」を宣べ伝えるためです。神の国を宣べ伝えることによって
アブラハムから始まった神に選ばれた「イスラエルの時代」は私の十字架によって終わります。これから先は異邦人から選ばれたクリスチャンの「神の国の時代」に入ります。
と「宣言しに来た」のです。キリストはイスラエルの時代に代わって「神の国の到来」を宣べ伝えるためにイスラエルの地に誕生しました。だからキリストは三年半の伝道活動で「神の国は!神の国では!」とくり返しイスラエルの民に語りました。イスラエルの国と対極して「神の国は!」と語っています。地上のイスラエルの国に正反対して天の「神の国は!」と教えています。「イスラエルの国は▲▲▲でしたが、神の国は●●●ですよ!」とキリストは語っています。教えています。
マルコの福音書1章
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。
1:15 「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
ルカの福音書4章
4:42 朝になって、イエスは寂しいところに出て行かれた。群衆はイエスを捜し回って、みもとまでやって来た。そして、イエスが自分たちから離れて行かないように、引き止めておこうとした。
4:43 しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
4:44 そしてユダヤの諸会堂で、宣教を続けられた。
ルカの福音書8章
8:1 その後、イエスは町や村を巡って神の国を説き、福音を宣べ伝えられた。十二人もお供をした。
ルカの福音書9章
9:1 イエスは十二人を呼び集めて、すべての悪霊を制して病気を癒やす力と権威を、彼らにお授けになった。
9:2 そして、神の国を宣べ伝え、病人を治すために、こう言って彼らを遣わされた。
9:3 「旅には何も持って行かないようにしなさい。杖も袋もパンも金もです。また下着も、それぞれ二枚持ってはいけません。
9:60 イエスは彼に言われた。「死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」
16:14 金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、イエスをあざ笑っていた。
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。
16:16 律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音が宣べ伝えられ、だれもが力ずくで、そこに入ろうとしています。
16:17 しかし、律法の一画が落ちるよりも、天地が滅びるほうが易しいのです。
特にルカの福音書16章16節に注目してください。
16:16 律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音が宣べ伝えられ、だれもが力ずくで、そこに入ろうとしています。
イエスははっきりと「律法と預言者はヨハネまでです。」と言っています。律法と預言者とは「旧約時代の律法と預言者」です。そしてヨハネは「バプテスマのヨハネ」です。
つまり、神の律法を守り神は預言者を通して語られた旧約のイスラエルの時代はバプテスマのヨハネの登場で終わりましたよ、お終いですよ、終結しましたよ、完結しましたよ、けじめがつきましたよ、区切りがつきましたよ、と、イスラエルの時代の「終結宣言」のためにキリストはイスラエルの地に誕生しました。そしてこれからは異邦人から選ばれたクリスチャンによる「神の国の時代」が始まり神の国の到来を告げるキリストの福音を三年半イスラエルに宣べ伝えました。
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新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書の中に「神の国」というワードは全部で52句出て来ます。そのうちイエスが直接「神の国は!」と言って神の国を語られた箇所は50句です。そしてクリスチャンのみなさんご存知でしたか?
★★★旧約聖書に「神の国」というワードは一つも出て来ません★★★
ウソでしょ?と思うならパソコンソフト・J-バイブルで聖句検索してみてください。ソフトがない方はネットで「聖句検索」と検索すると新日本聖書刊行会と日本聖書協会の聖句検索サイトが出て来ますから聖句検索サイトで「神の国」と検索して確認してみてください。いずれも「神の国」という「固有名詞」は一つもヒットしません。驚き桃の木山椒の木です。普段特別考えることがありませんから普通に考えてキリストが新約聖書で「神の国!」と語っているのだから当然旧約聖書のどこかに「神の国」というワードが出て来るはずだとみなさん考えていませんか?比喩として象徴として「神の国らしき記事」は多く書かれていますが「神の国」という固有名詞、ワードは一つも出て来ません。魔訶不思議中の不思議です。
つまり、旧約時代はキリストが語った「神の国」という概念は一切存在していませんでした。キリストが語った「神の国」はクリスチャンが死んだ後に魂が行く「死後の世界」を指して「神の国は!」とキリストは語っています。 クリスチャンの「死後の世界=神の国」です。イスラエル(ユダヤ)の「神の国」は常に「地上に神の王国を作る」という意識の「神の国」です。地上の世界にイスラエル中心の「神の国を作る」という意識です。そのイスラエルの神の国意識は五旬節の前の使徒たちの言葉に表れています。
使徒の働き1章
1:1 テオフィロ様。私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。
1:2 それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に上げられた日までのことでした。
1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
1:4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
1:7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
弟子たちをはじめ、ユダヤ民族が求めていた救い主は「イスラエルを再興して再び世界にイスラエル王国を輝かせてくださるイスラエルの救い主」です。この人間の地上の世界に天からイスラエルの救い主が降臨してイスラエル王国を再興してイスラエルを再び世界に輝かせる「神の国の意識」です。だから弟子たちがみな一緒に集まったとき、イエスに「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」と尋ねました。キリストは十字架の前まで弟子たちに多くの「天の神の国」を語りましたが弟子たちはキリストの「天の神の国」を「地上のイスラエル王国の再興」という意識で聴いていました。だからイエスと弟子たちの会話がまったく噛み合わず度々イエスから「あなたがたはわたしの言っていることがまだ分からないなのですか!」と怒られていました。
しかし五旬節で真理を解き明かす「御霊」に満たされてから弟子たちの「霊の目」が開かれてキリストが地上で生きている間に語っていた「天の神の国」を理解して体験しながら「天の神の国」を証しする福音を宣べ伝えていきました。旧約聖書に「神の国」というワードが一つも出て来ないのはこのような理由からです。
そして聖書は「ユダヤの選び」と「クリスチャンの選び」を明確に区別しています。
ユダヤは「地上の数多の民族の中からアブラハムから始まった神に選ばれた民」です。
クリスチャンは「世界の基が据えられる前から神に選ばれた神の国の民」です。
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新約聖書にはマタイが書いたイエス・キリストの系図とルカが書いたヨセフの系図が書かれています。マタイの福音書はイエス・キリストの系図で始まっています。
マタイの福音書1章
1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、
1:3 ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、
↓↓↓↓(途中を省略します)
1:15 エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、
1:16 ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。
1:17 それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。
マタイが書いた系図はイエス・キリストの「戸籍上の系図」です。キリストはアブラハムを血統とするユダヤの子孫として生まれたことを証明する「戸籍上の系図」です。そしてキリストが戸籍に入っているユダヤの始祖、ユダヤのはじまりがアブラハムです。だからはじめに「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。」と書かれています。
そしてイエス・キリストの系図は
1:1 の「アブラハムの子、・・・」から始まって最後は1:17 の「・・・バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。」で終わっています。つまり、マタイが書いたイエス・キリストの系図は
アブラハムからイエス・キリストの誕生までが「イスラエル(ユダヤ)の時代ですよ!」と、預言しているイエス・キリストの系図です。
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次に、ルカが書いた「ヨセフの系図」を見ていきましょう。ルカが書いた「ヨセフの系図」は
ルカの福音書3章
3:23 イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。ヨセフはエリの子で、さかのぼると、
3:24 マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、
3:25 マタティア、アモス、ナホム、エスリ、ナガイ、
3:26 マハテ、マタティア、シメイ、ヨセク、ヨダ、
3:27 ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シェアルティエル、ネリ、
3:28 メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、
3:29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
3:30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エルヤキム、
3:31 メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
3:32 エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナフション、
3:33 アミナダブ、アデミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、
3:34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
3:35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、
3:36 ケナン、アルパクシャデ、セム、ノア、レメク、
3:37 メトシェラ、エノク、ヤレデ、マハラルエル、ケナン、
3:38 エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。
と書かれていて3:23の「イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、ヨセフの子と考えられていた。ヨセフはエリの子で、さかのぼると、」から始まって3:38 の「エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。」で終わっています。
これは、キリストの「霊的な系図」が書かれています。キリストの「神の子としての系図」が書かれています。そして系図の時系列が
マタイの系図は「アブラハム」からはじまって最後は「イエス・キリスト」で終わっています。
アブラハム→→→イエス・キリスト
です。
ルカの系図は「ヨセフ」からはじまって最後は「神」で終わっています。
ヨセフ→→→神
です。
系図の時系列の流れがマタイの系図は紀元前1800年(学説)の・過去から・1800年後のキリストの時代の・現代・へと書かれています。
ルカの系図は時系列の流れがキリストの時代の・現代・から紀元前5000年(学説)の・過去・へと書かれています。
マタイの系図 アブラハム→→→イエス・キリスト(過去から現代へと向かっている)
ルカの系図 ヨセフ→→→神(現代から過去へと向かっている)
クリスチャンのみなさん、二つの系図の違いの意味、分かりますか?
マタイの系図はキリストを十字架に架けた「イスラエル(ユダヤ)の系図」です。
ルカの系図はクリスチャンが信じる「イエス・キリストの系図」です。
マタイの系図は、イスラエルの信仰の発祥はアブラハムから始まりキリストの十字架で終わりを告げる「イスラエル(ユダヤ)の系図」です。
1:17 それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。
ルカの系図は、クリスチャンの信仰の発祥はヨセフの子としてベツレヘムで生まれたイエス・キリストから始まり創世記2章で男・アダムと女・エバを創られた神に至る信仰です。
3:38 エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。
創世記3章で神の敵となった蛇(サタン)の頭を打つのが神の敵意を顕現したイエス・キリストです。
創世記3章
3:14 神である【主】は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
3:15 わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
神の敵意を顕現したイエス・キリストによって蛇(サタン)の頭が砕かれます。
ヨハネの福音書12章
12:9 こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。
12:10 私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。
12:11 兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。
クリスチャンはアブラハムが生まれる前の創世記3章の時点ですでに「神の人類の救いの計画」の中でキリストを信じる「神の国の民」として選ばれていました。そしてクリスチャンにイエス・キリストを信じる「信仰のひな形(template)」「信仰の形式」を示すために、神はアブラハムを「イスラエルの信仰の始祖」として選んで旧約時代のユダヤの信仰を新約のクリスチャンの信仰のひな型としました。クリスチャンの使命は旧約時代のユダヤの信仰と神の救いの約束をイエス・キリストを信じる信仰によって実現することです。神の約束を具現化することです。ですから
ユダヤは「地上の数多の民族の中からアブラハムから始まった神に選ばれた民」です。
クリスチャンは「世界の基が据えられる前に神に選ばれた神の国の民」です。
神は新約時代のクリスチャンと呼称される「世界の基が据えられる前に天で神に選ばれた神の国の民」を救うために、先に地上で旧約時代のアブラハムを始祖とするユダヤ民族を選びました。
ユダヤの役割は「クリスチャンの救いの準備をすること」です。
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2024年10月の今現在、中東のガザからさらに戦火を広げているイスラエルの戦争は「目には目を!歯には歯を!やられたらやり返せ。倍返しだ十倍返しだ百倍返しだ!!!」のノリでやっています。「女、子どもも容赦しない、とにかくやるだけやっちまえ!!!」のイケイケのノリで無差別残虐戦争をイスラエルはハマス、さらにレバノンにまで戦火を広げています。そのうちどこかでイランが参戦して来るのも確実でしょう。それに対してイエス・キリストの教えはマタイの福音書5章で
マタイの福音書5章
5:38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。
5:40 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。
5:41 あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。
5:42 求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。
5:43 『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
5:45 天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。
5:46 自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。
5:47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。
5:48 ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。
と教えています。神の国の民(クリスチャン)はイスラエルの教えとは真逆な正反対のキリストの教えの通り地上で生きなければなりません。キリストの教えは
やられたらさらにやられなさい。敵に抵抗してはいけません。敵の好き放題に自分を任せなさい。それで殺されてもいいじゃない。クリスチャンは死んだ後に「永遠の神の国」に入るのですから敵に殺されてもいいじゃない。クリスチャンを殺した敵は死んだ後に「永遠の炎の中でもがき苦しむ永遠の刑罰」で父なる神様が復讐しますから、とにかくクリスチャンは自分の命を「神様に任せなさい。委ねなさい!」という教えです。実際に使徒たちは常に迫害に遭いながらいつも無抵抗で鞭打たれて牢獄に入れられて最後は全員殉教して天に凱旋していきました。
それにもかかわらず、福音派の牧師先生方は YouTube で盛んに「クリスチャンのみなさんイスラエルのために祈りましょう。イスラエルを応援しましょう。イスラエルの戦争は神様の御心を行っているのですから一生懸命応援しましょう。そうすれば早く携挙が来ますから」とかなんとか言ってイスラエルを「完全に擁護」しています。イエスの教えと真逆な正反対の教えをなにも分からない信徒に向かってメッセージしています。今のイスラエルの戦争は旧約時代のイスラエルの教えを引き継いだ「目には目を、歯には歯を、」の戦争です。「やられたらやり返せ。倍返しだ十倍返しだ百倍返しだ!!!」の戦争です。
イスラエルのために祈りましょうって・・・イスラエルの残虐戦争のなにを祈るのでしょうか?応援するって、イスラエルの残虐戦争を十字架の旗を振りながら「イスラエル頑張れ!!!」と応援するのでしょうか?
イスラエル(ユダヤ)は二千年前に神がユダヤの救いのために遣わしたイエス・キリストを十字架で処刑した時点で「神の選びの民」から外れてすでに「異邦の民」になっています。代わってそれまで異邦の民だった人々からイエス・キリストの救いを信じる人たちがクリスチャンとなって新たに「神の選びの民」となりました。ですから今現在中東で残虐戦争をしているイスラエルは神の選びから外れた「ただの異邦の民」です。だからクリスチャンが先に救われて携挙されます。ユダヤは携挙の時に地上に残されて二千年前に自分たちの祖先が十字架で処刑したイエス・キリストが正真正銘の本物のユダヤの救い主であることを認めて救われます。
日本の福音派の牧師たちは YouTube でイスラエルの「目には目を、歯には歯を、」の残虐な戦争を一所懸命応援しています。女、子どもも容赦しない残虐戦争をすることが神の御心です!!!となにも分からない信徒に向かって教え込んで応援しています。
福音派の牧師たちを見ていると、彼らはユダヤを「神格化」しています。ユダヤを「神扱い」しています。「ユダヤ詣」をしています。
ユダヤは神様から選ばれた民族ですからなにをしても赦されているのです。残虐戦争も神は赦しています。神の御心を行っています。だってユダヤは地上で唯一神から選ばれ「イスラエルの民」ですから、どんな残虐な戦争も神から赦されています。
という感覚、ノリで聖書を解釈してなにも分からない信徒に教えています。
なにも分からない信徒に向かって「ユダヤが●●●だからクリスチャンも●●●でなければいけません」と教えています。
クリスチャンは「イエス・キリストが●●●だからクリスチャンも●●●でなければいけません」でなければおかしいのです。
ユダヤが「目には目を歯には歯を」ならクリスチャンはイエスの教えに従って「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。」でなければおかしいのです。
ですから日本の福音派の牧師たちはいかに「デタラメな福音」をなにも分からない信徒に教えているか、です。
福音派の牧師たちはほんとうに困った人たちです。つまづきの石です。妨げの岩です。
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次回の「キリストの携挙ー14」に続きます。
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引用・聖書 新改訳2017 © 2017新日本聖書刊行会
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