信仰の人と行いの人
前回の「死後の世界―2」からの続きです。
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ヨハネの黙示録20章の「大きな白い御座の裁き」についてキリストが語っている場面がヨハネの福音書5章19節~30節に書かれています。
ヨハネの福音書5章
5:19 イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。
5:20 それは、父が子を愛し、ご自分がすることをすべて、子にお示しになるからです。また、これよりも大きなわざを子にお示しになるので、あなたがたは驚くことになります。
5:21 父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。
5:23 それは、すべての人が、父を敬うのと同じように、子を敬うようになるためです。子を敬わない者は、子を遣わされた父も敬いません。
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
5:27 また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
5:30 わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。
5:19、5:24、5:25、には、それぞれメッセージの節目として「まことに、まことに、あなたがたに言います。」で始まっています。この「まことに、まことに、あなたがたに言います。」というワードは他でも出て来ますがキリストがよく使われるワードで特別なメッセージとして強調しながらメッセージの「区切り、節目」を表しています。
5:19 イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。
5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。
つまりヨハネの福音書5章19節~30節に書かれているキリストのメッセージは三つに区分けされたメッセージということです。そしてヨハネの福音書5章に書かれているこの箇所は前半と後半の二つのメッセージに分けられています。前半の5:19~5:24は「クリスチャン向け」のメッセージです。
後半の5:25~30は「ノン・クリスチャン向け」のメッセージです。
前半のクリスチャン向けのメッセージでは5:24で
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
と言って、前々回(死後の世界―1)で書いた「永遠のいのちを持ち、死からいのちに移っているクリスチャンに死後の裁きはありません」とキリストは教えています。
後半の5:28~29ではノン・クリスチャンに向けて
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
と言って「ノン・クリスチャンには死後の裁きがあります」とキリストは教えています。
ヨハネの福音書5章
前半のクリスチャン向けのメッセージ
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5:19 イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。
5:20 それは、父が子を愛し、ご自分がすることをすべて、子にお示しになるからです。また、これよりも大きなわざを子にお示しになるので、あなたがたは驚くことになります。
5:21 父が死人をよみがえらせ、いのちを与えられるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。
5:23 それは、すべての人が、父を敬うのと同じように、子を敬うようになるためです。子を敬わない者は、子を遣わされた父も敬いません。
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
後半のノン・クリスチャン向けのメッセージ
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5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
5:27 また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
5:30 わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。
後半のノン・クリスチャン向けに語った5:28~29の「善を行った者」と「悪を行った者」とは「クリスチャン」と「ノン・クリスチャン」ではありません。「善を行ったクリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」ではありません。「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」です。「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」の二者です。
キリスト教会では常に「クリスチャン=善 VS ノン・クリスチャン=悪」という先入観、前提で、ノン・クリスチャンを裁いていますから、この箇所も「死んで裁きを受けてクリスチャンはいのちを受けて天国に行き、ノン・クリスチャンは地獄に行きます」と教えています。
もう一度言います。
後半の5:28~29に書かれている
「善を行った者と悪を行った者」とは「クリスチャン」と「ノン・クリスチャン」ではありません。
「善を行ったクリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」ではありません。
「ノン・クリスチャン」と「ノン・クリスチャン」です。
「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」の二者です。
その二者のうち「善を行ったノン・クリスチャン」はよみがえっていのちを受けて天に入り、「悪を行ったノン・クリスチャン」はよみがえって裁き(永遠の悪の報い)を受けます。
クリスチャンは「信仰によって」永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移って、すでに天に入っています。
ノン・クリスチャンは地上で生きている間の善と悪の「行い」によっていのちが与えられて天に入る人と、裁き(永遠の悪の報い)を受けて地獄に入る人に、分かれます。ノン・クリスチャン全員が裁きを受けて地獄に行くのではありません。キリスト教会では地上で生きている間に神様を信じない人々は全員地獄に行くと教えていますが、最初から不信仰者は死んだら地獄行きがすでに決まっているのなら、大きな白い御座の裁きは必要ありません。死んですぐ地獄に直行すればいいだけの話しです。ノン・クリスチャンでも大きな白い御座の裁判で条件によってクリスチャンと同じ「新し天と新しい地に入ることが出来る人」がいるから、ノン・クリスチャンに向かってキリストは5:27~5:29で
5:27 また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
と教えています。
クリスチャンは「信仰によって」すでに天に入っています。
ノン・クリスチャンは「行い」によって天に入るか地獄に入るか裁かれます。これは「大きな白い御座の裁き」と一致します。
ヨハネの黙示録20章
20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着いておられる方を見た。地と天はその御前から逃げ去り、跡形もなくなった。
20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
20:13 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。
20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
20:12に「・・・自分の行いに応じてさばかれた。」と書かれていてノン・クリスチャンは「自分の行い」に応じて裁かれます。
20:13に「・・・彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。」と書かれていてノン・クリスチャンは「自分の行い」に応じて裁かれます。ノン・クリスチャンは「信仰」ではありません。「行い」です。地上で生きている間の「善と悪の行い」によって裁かれます。だからキリストは地上で予め弟子たちにヨハネの福音書5章で「大きな白い御座の裁き」を預言しました。クリスチャンに向かって「まことに、まことに、」と強調して
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
と言って「永遠のいのちを持ち、死からいのちに移っているクリスチャンに死後の裁きはありません」とキリストは教えています。
ノン・クリスチャンに向かっても同じように「まことに、まことに、」と言って
5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
5:27 また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
5:30 わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。
と言って「ノン・クリスチャンにも善悪の行いによる死後の裁きがあります」とキリストは教えています。
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ヨハネの福音書5章19節~24節に書かれているキリストの預言は黙示録20章の「大きな白い御座の裁き」の預言です。そして地上で信仰によって救われたクリスチャンはもはや罪の裁きはキリストの十字架を信じた時点で終わっていますから「大きな白い御座の裁きの法廷」にクリスチャンはいません。クリスチャンはこの時点ですでに千年王国から黙示録21章の「新しい天と新しい地」に移っています。
裁きの法廷に居るのはこれから裁きが必要なノン・クリスチャンと旧約時代の不信仰者たちだけです。そして生きている間に善を行い「いのちの書」に名前が書かれてあるノン・クリスチャンだけがクリスチャンに続いて次の「新しい天と新しい地」に入ります。生きている間に悪を行い「いのちの書」に名前が書かれていないノン・クリスチャンは第二の死である20:15の「火の池」に投げ込まれて永遠の刑罰を受けます。
ただし、さらにその先の黙示録21章の「聖なる都、新しいエルサレム」には「子羊のいのちの書」に名前が書かれたクリスチャンと旧約時代の信仰者だけしか入れません。「子羊のいのちの書」に名前が書かれていないノン・クリスチャンたちは「新しい天と新しい地」で行き止まりです。「新しい天と新しい地」で永遠に過ごします。そこがクリスチャンと「新しい天と新しい地」に入れたノン・クリスチャンの絶対的な永遠の格差です。隔たりです。違いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「大きな白い御座」の前にはクリスチャンはいません。居るのは死後に裁きが必要なノン・クリスチャンだけです。ですから「大きな白い御座の裁き」は「ノン・クリスチャンを裁くためのノン・クリスチャン専用の裁きの法廷」です。だからキリストはヨハネの福音書5章でクリスチャンに向かって「クリスチャンが死後に裁かれることはありません」と預言して、ノン・クリスチャンに向かっては「死後にノン・クリスチャンは行いによって裁かれます」と預言しました。
問題は、「いのちの書」にはいったい何が書かれているのか?ということです。
次回の「死後の世界―4」に続きます。
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引用・聖書 新改訳 2017© 新日本聖書刊行会
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