羊とやぎの裁き
死後の世界―4・羊とやぎの裁き
前回の「死後の裁きー3・信仰の人と行いの人」からの続きです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回は、ヨハネの福音書5章で語ったキリストの「裁きのメッセージ」はヨハネの黙示録20章の「大きな白い御座の裁き」を預言した「裁きのメッセージ」であること。そしてこの「裁きのメッセージ」はクリスチャン向けとノン・クリスチャン向けの二つのメッセージで語られていることを解説しました。
神様を信じないで亡くなったクリスチャンの両親はほんとうに地獄に行くのでしょうか?
神様を信じないで亡くなった赤ちゃんもほんとうに地獄に行くのでしょうか?
を知るためにとても重要な箇所なのでもう一度簡単に繰り返します。
ヨハネの福音書5章
前半のクリスチャン向けのメッセージ
↓↓↓↓
5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
後半のノン・クリスチャン向けのメッセージ
↓↓↓↓
5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
5:27 また父は、さばきを行う権威を子に与えてくださいました。子は人の子だからです。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。
5:30 わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。
ヨハネの福音書5章の「裁きのメッセージ」は黙示録20章の「大きな白い御座の裁き」を予め預言したメッセージです。
キリストは弟子たちに死後の裁き、携挙の前兆、永遠の御国について、いろいろなたとえ話しで語っています。そして、キリストが語った死後の裁き、携挙の前兆、永遠の御国は「ヨハネの黙示録で実際に起こること」を語っています。これから人類に起こる「終末」について(すでに起こっているのですが・・・)ヨハネの黙示録に書いてあることを二千年前に「人類の普遍的な終末のメッセージ」として弟子たちに語っています。ですからヨハネの福音書5章の「裁きのメッセージ」は黙示録の時系列と合わなければおかしいです。キリストの携挙の解釈(艱難・前・中・後)も黙示録の時系列と合わなければおかしいです。
もし、ヨハネの福音書5:28~29の「善を行った者」がクリスチャンで「悪を行った者」がノン・クリスチャンで大きな白い御座で裁かれることになれば、キリストが「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、」と言われたクリスチャンが、携挙でキリストの花嫁となって、黙示録19章の「子羊の婚礼」の宴の後に黙示録20章に行って、「大きな白い御座」で婿なるキリストが裁判官になって、花嫁なるクリスチャンの罪を裁くというシチュエーション、展開、流れになります。このようなシチュエーション、展開、流れは絶対あり得ません。完全な矛盾です。
また、キリストは
5:25 まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
と語りました。
クリスチャンは「死人」ではなく、すでに「生きた人」として携挙でキリストと結婚して「子羊の婚礼」でキリストとペチャクチャ会話をして、次に千年王国を治めます。ですからこのとき神の声を聞くのは「生きた人(クリスチャン)」ではありません。黙示録20章の「第一の復活」で復活することが出来なかったノン・クリスチャンの「死人」が神の声を聞いて「生きた者」となって墓から出てきて「大きな白い御座」に集められます。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
生きた人、クリスチャンはすでに千年王国から黙示録21章の「新しい天と新しい地」に移されています。墓の中にクリスチャンはいません。墓の中にいるのは「第一の復活」に与れなかったノン・クリスチャンと旧約時代の不信仰者たちだけです。
そして子の声(キリスト)によって墓から出て来た死人(生き返ったノン・クリスチャン)が「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」です。それから大きな白い御座で「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」が裁かれます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
キリスト教会の牧師は
聖書を読んではいるけど聖書を読んでいません。
神を見てはいるけど神を見ていません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヨハネの福音書5:28~29でキリストが語った「善を行った者と悪を行った者」は「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」です。「善を行ったクリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」ではありません。そして「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」が大きな白い御座で「善と悪の行い」と「いのちの書」によって裁かれていのちの書に名前が書かれている「善を行ったノン・クリスチャン」は黙示録21章の「新しい天と新しい地」に入り「いのちの書」に名前が書かれていない「悪を行ったノン・クリスチャン」は第二の死である「火の池」に投げ込まれます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここから今回のテーマに入ります。
今回は「大きな白い御座の裁き」をキリストが「羊とやぎ」にたとえて語っている場面の一部を解説をします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マタイの福音書25章にキリストが語られた「羊とやぎの裁き」が出て来ます。
マタイの福音書25章
25:31 人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。
25:32 そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、やぎを左に置きます。
25:34 それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。
25:35 あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。
25:38 いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。
25:39 いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25:40 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』
25:41 それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
25:42 おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、
25:43 わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。』
25:44 すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』
25:46 こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「羊とやぎの裁き」は次の順番で進んでいきます。
25:32 そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、やぎを左に置きます。
(羊飼いが混在する羊とやぎをより分けて羊を自分の右に、やぎを左に、置きます)
↓↓↓↓
25:34 それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。
(羊飼いが置いた右にいる者たちは王様が決めた御国を受け継ぐ「羊」です)
↓↓↓↓
25:41 それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
(羊飼いが置いた左にいる者たちは王様が決めた「永遠の火」に入れられる「やぎ」です)
↓↓↓↓
25:46 こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
(永遠のいのちに入る「羊」と永遠の刑罰に入る「やぎ」がシャープに分けられて「永遠の裁き」が下されます)
そしてこの王様の裁きは「御国を受け継ぐ者」と「永遠の火に入る者」とを区別する裁きですから黙示録20章の「大きな白い御座」の場面をキリストは語っています。
羊とやぎは死後に「王様によって裁かれる目的」で羊飼いの手によって右と左に分けられた羊とやぎです。羊とやぎは死後に「裁かれる必要がある」から裁かれるために羊飼いの手によって区別されて王様の前に置かれました。そしてこの羊とやぎは死んだ後の黙示録20章の「大きな白い御座」で裁かれます。今まで耳にタコが出来るほど口酸っぱく散々言って来たように、これからも言い続けますが、黙示録20章の大きな白い御座にクリスチャンはいません。大きな白い御座の前に居るのはノン・クリスチャンと旧約時代の不信仰者たちだけです。それを前提に「羊とやぎの裁き」を考えると理解出来ると思います。
ヨハネの黙示録20章
20:14 それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。
20:15 いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
キリストが語った「やぎ」が黙示録20章の「大きな白い御座」で裁きを受けて永遠の刑罰の「火の池」に投げ込まれます。キリストが語った「羊」が永遠の「御国を受け継ぐ者」となります。つまり、羊とやぎの裁きは前回の「死後の世界―2・信仰の人と行いの人」と同じように「善を行ったノン・クリスチャン」と「悪を行ったノン・クリスチャン」が大きな白い御座で裁かれる様子をキリストが具体的に語っているメッセージです。
羊とやぎはクリスチャンとノン・クリスチャンではありません。また、ユダヤを助けたクリスチャンとユダヤを助けなかったノン・クリスチャンでもありません。神が愛する「最も小さい者たち」を助けたノン・クリスチャンと、神が愛する「最も小さい者たち」を助けなかったノン・クリスチャンの、二者です。
大きな白い御座の裁きの判定基準は王様(神)が愛する「最も小さい者たち」を助けたのか?助けなかったのか?で決まります。そして、王様(神)が愛する「最も小さい者たち」とは「クリスチャン」です。
黙示録20章の大きな白い御座の裁きで「彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。」と書いてありますが、ここに書かれている「自分の行い」とは、羊とやぎの裁きで出て来る「最も小さい者に対する行い」です。ノン・クリスチャンのクリスチャンに対する行いです。王様が羊とやぎに向かって「最も小さい者に対する行い」によって裁いたように、地上で生きている間にノン・クリスチャンがクリスチャンを助けたのか?助けなかったのか?の行いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
クリスチャンは「神の所有物」です。神がキリストの血によって罪から買い取った「神に所有された民」です。
クリスチャンのみなさんでも自分の物が盗まれたら怒りますよね?
自分の子どもが誰かに危害されたら怒りますよね?
自分の愛車が傷つけられたら怒り心頭になりますよね?
大金が盗まれたら警察に届けますよね?
神も人も同じです。
神は御自身が所有するクリスチャンが傷つけられたり、盗まれたり、棄損されたら、怒ります。父なる神にとってクリスチャンは「永遠の価値」があるから、永遠の御子・イエス・キリストの血によって、クリスチャンを罪から買い取りました。「永遠の価値」が棄損されたら、「永遠のお返し」で、神は報います。御子・イエス・キリストを与えたほどに愛するクリスチャンが傷つけられままで、盗まれたままで、棄損されたままで、神は終わりにしません。最後の裁きで、必ず決着をつけます。
暴君皇帝ネロも、ヒトラーも、現代のロシアの大統領も、北の将軍様も、となりの国の国家主席も、クリスチャン、ノン・クリスチャン関係なく神が愛する「小さき者」を迫害して死に追いやった国家の最高権力者は死後にサタンとともに「火の池」に放り込まれて燃え盛る炎の中で永遠にもがき苦しみます。永遠とは「終わりがない!!!」ということです。
神を知らないことは実に恐ろしいことです。
神はクリスチャンに対して悪を行う者を必ず「永遠の刑罰」で報います。倍返し、十倍返し、百倍返しどころではありません。「永遠返し」です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして
クリスチャンにしたことは神にしたことです。
クリスチャンに善を行った人は神に善を行った人です。
クリスチャンに悪を行った人は神に悪を行った人です。
だから王様(神)は
25:40 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』
と言いました。
これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人
とは、神に愛されて神の所有の民となった「クリスチャン」です。そして神が愛するクリスチャンを助けたノン・クリスチャンが「正しい人」となって「永遠のいのち」に入ります。
↓↓↓↓
25:40 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』
↓↓↓↓
25:46・・・正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
神が愛するわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人、クリスチャンを助けなかったノン・クリスチャンが神の怒りによって
↓↓↓↓
25:41「悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
↓↓↓↓
25:46 こうして、この者たちは永遠の刑罰に入ります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
羊とやぎはクリスチャンとノン・クリスチャンではありません。また、ユダヤを助けたクリスチャンとユダヤを助けなかったノン・クリスチャンでもありません。神が愛する「最も小さい者たち」を助けたノン・クリスチャンと、神が愛する「最も小さい者たち」を助けなかったノン・クリスチャンの、二者です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この続きは次回の「死後の世界―5」で投稿します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引用・聖書 新改訳 2017© 新日本聖書刊行会
#クリスチャン #キリスト教会 #キリスト教 #携挙 #ヨハネの黙示録 #聖書 #イエスキリスト #宗教 #死
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?