天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます
キリストの携挙―10・天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます
前回の「キリストの携挙―9・終わりの日」からの続きです。
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マタイの福音書24章
24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
キリストが携挙に来るときは大きなラッパの響きとともに御使いたちを地上に遣わして天の果てから果てまで四方から(全世界から)、キリストが選んだ「クリスチャン」を集めて天に引き上げます。「天の果てから果てまで四方から」というのは携挙のときに「どの場所にいても、どのような環境に置かれていても、迫害で逃げ隠れていても、迫害で牢獄に繋がれていても、携挙されます!!!」という意味です。
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マタイの福音書24章
24:1 イエスが宮を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに向かって宮の建物を指し示した。
24:2 すると、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」
24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」
24:4 そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
24:5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。
24:6 また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
24:7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。
24:8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。
24:9 そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
24:10 そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
24:11 また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。
24:12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。
24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
24:14 御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。
24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──
24:16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。
24:17 屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません。
24:18 畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。
24:19 それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。
24:20 あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい。
24:21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。
24:22 もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。
24:23 そのとき、だれかが『見よ、ここにキリストがいる』とか『そこにいる』とか言っても、信じてはいけません。
24:24 偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。
24:25 いいですか。わたしはあなたがたに前もって話しました。
24:26 ですから、たとえだれかが『見よ、キリストは荒野にいる』と言っても、出て行ってはいけません。『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはいけません。
24:27 人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。
24:28 死体のあるところには、禿鷹が集まります。
24:29 そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。
24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。
24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
24:32 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。
24:33 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。
24:34 まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。
24:35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
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マタイの福音書24章
24:1 イエスが宮を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに向かって宮の建物を指し示した。
24:2 すると、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」
イエスは目の前にそびえるエルサレム神殿を指しながら弟子たちに向かって
「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」
と預言しました。ここでイエスが預言した「エルサレム神殿の崩壊」は、この後直ぐ来るローマによって破壊される「第二神殿の崩壊」を預言したのではありません。二千年後の終末のユダヤによって再建される「第三神殿の崩壊」を預言しています。キリスト教会や YouTube の牧師先生方が教えているすでに二千年前のローマによって滅ぼされた「第二神殿の崩壊」ではありません。携挙の直前に再建される「第三神殿の崩壊」を目の前に建っている「第二神殿を指しながら」イエスは「終末のエルサレム神殿の崩壊」を預言しています。エルサレム神殿の「今」を預言しているのではありません。「終末の神殿」を預言しています。キリストの預言は常に二千年前のユダヤの「今」を指しながらユダヤの「将来」を預言しています。それはその後の弟子たちとの会話をきちんと読めば分かります。
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24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」
ここで弟子たちは先ほどイエスが預言した「エルサレム神殿の崩壊」は、いつ、起こるのですか?と、イエスに聞いています。「そのようなこと」とはイエスが24章1節~2節で預言した「エルサレム神殿の崩壊」のことです。弟子たちはイエスが24章1節~2節で預言した
「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」
という「エルサレム神殿の崩壊」に対して、間を置いて場所をオリーブ山に移して先ほどの預言の続きとして
「あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」
とイエスに聞いています。「世が終わる時」とは「人類の終末」です。つまり、弟子たちはすでにイエスから終末の「世の終わり」について聖書に書いてある以外にもいろいろ聞いていて、その終末の預言の中でイエスの「エルサレム神殿崩壊の預言」を聞きました。だから、イエスが語った「エルサレム神殿の崩壊」は人類の終末の「世が終わる時の預言」だとなんとなく理解しながら
「あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」
とイエスに問い返しています。
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パウロ(たち)がそれぞれの教会に送った手紙の中には具体的な携挙の方法、手順が書かれているものがあります。
Ⅰコリント人への手紙15章
15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
Ⅰテサロニケ人への手紙4章~5章
4:14 イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。
4:15 私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。
4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
5:1 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。
5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。
5:3 人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。
クリスチャンのみなさん、パウロはどこで手紙に書いた具体的な携挙の方法、手順を知ったのか、分かりますか?答えは、ともにキリストの宣教をしているキリストの弟子から使徒となった「十二人の使徒たち」です。
イエスが預言した具体的な携挙の方法、手順を予め聞いていた弟子たちが、五旬節で御霊に満たされて使徒となってそこに後からパウロが加わったので、パウロはイエスの弟子だった使徒たちからイエスの携挙の預言を聞いて手紙に書いた、という流れです。イエスの携挙の預言は福音書に書かれている箇所だけではありません。他にもいろいろ語っています。ただ、イエスの携挙の預言は使徒たちが「弟子の時代」に聞いた将来の霊的な預言ですから、弟子の時代の彼らは「なんとなく漠然と」信じていました。使徒の働き1章6節で天に帰るキリストに弟子たちは「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」と聞いています。
使徒の働き1章
1:4 使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。」
1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」
1:7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。
弟子たちは五旬節で御霊に満たされる前まではイエスの携挙の預言は「十字架で殺されて甦ったキリストが再び地上に降りて来てイスラエル王国を建て直す」という意識でイエスの携挙の預言を聞いていました。しかし五旬節で御霊に満たされて「霊の目が開かれて」初めてイエスの携挙の預言が「霊的に」理解出来て、弟子たちは御霊に満たされてはじめてダニエルの預言、エゼキエルの預言などと併せて「ああ、あの預言は近いうちに来る携挙のことだったのか!」と理解して納得しました。だから、まだキリストの携挙がはっきりと理解出来なかった時代の福音書にはイエスが語った具体的な携挙の方法や手順については記録されていません。そして後から使徒たちから聞いたイエスの携挙の預言をパウロが代わってそれぞれの教会の手紙に書き送り、最後にヨハネが御霊によって黙示録の世界を見せられたので、さらに詳細な携挙の方法、手順を書いた手紙を七つの教会に送りました。
パウロが教会宛ての手紙に書いた以下の携挙の預言はキリストが弟子たちに語りキリストから聞いた携挙の預言を弟子たちがパウロに教えてパウロがそれをそのまま教会宛ての手紙に書いて送りました。
Ⅰコリント人への手紙15章
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
Ⅰテサロニケ人への手紙4章~5章
4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
5:1 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。
5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。
5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。
5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。
Ⅰテサロニケ人への手紙5章2節に「主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。」と書かれています。「あなたがた自身よく知っているからです。」と書かれているのは、手紙を受け取ったテサロニケの教会の信徒はすでにキリストがもう間もなく携挙に来ることを他の使徒たちから教えられてある程度のことは分かっていたから、それを前提にして、パウロは「主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。」と書いています。
パウロが教会宛ての手紙で書いた携挙の預言はイエスが弟子たちに語った預言です。
話しを戻します。
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ですからイエスが目の前のエルサレム神殿を指して預言した「エルサレム神殿崩壊の預言」は終末のこれからユダヤが再建する「第三神殿の崩壊」を預言しています。そして24章16節の旧約時代の預言者ダニエルによって預言されている『荒らす忌まわしいもの(666の反キリスト)』が聖なる所(終末のユダヤが再建したエルサレム神殿)に立っているのを見たら、携挙が起こり、携挙が終わった直後に神の怒りがエルサレム神殿の反キリストに下り、エルサレムの十分の一が倒れて七千人が死ぬほどの大地震が起こり(黙示録11章11節~13節)、そこで終末のユダヤが再建した第三神殿が大地震により粉々に崩壊します。だからイエスは666の反キリストが再建されたエルサレム神殿に入場したらユダヤは神殿から早く逃げなさい!避難しなさい!離れなさい!と警告しています。
マタイの福音書24章
24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──
24:16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。
24:17 屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません。
24:18 畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。
24:19 それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。
24:20 あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい。
24:21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。
24章21節の「そのときには、」とは、携挙によって教会の時代、恵みの時代が終わる「そのとき」です。
そして携挙の時は神殿から携挙の物凄い光景を目の当たりにした666の反キリストは世界中が見守る中で大地震による神殿崩壊の下敷きになり絶命したかに思われましたが、なんと、奇跡中の奇跡中の奇跡で命が助かり世界を驚かせて黙示録13章3節で再び世界を治めます。
ヨハネの黙示録13章
13:1 また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒涜する様々な名があった。
13:2 私が見たその獣は豹に似ていて、足は熊の足のよう、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と自分の王座と大きな権威を与えた。
13:3 その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、その致命的な傷は治った。全地は驚いてその獣に従い、
13:4 竜を拝んだ。竜が獣に権威を与えたからである。また人々は獣も拝んで言った。「だれがこの獣に比べられるだろうか。だれがこれと戦うことができるだろうか。」
黙示録13章3節の「その頭のうちの一つ」は黙示録11章7節で出て来た「底知れぬ所から上って来る獣」です。
ヨハネの黙示録11章
11:7 二人が証言を終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺してしまう。
「底知れぬ所から上って来る獣(666の反キリスト)」が終末の再建されたエルサレム神殿に入場して、携挙が来て、携挙が終わった後にエルサレムに大地震が起こって、神殿の下敷きになった666の反キリストの命が終わったと世界中の人々が思っていたら、666の反キリストの命は奇跡的に助かり復活しました。
13:3 その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、その致命的な傷は治った。全地は驚いてその獣に従い、・・・
「その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、」と書かれています。これは、イエスがマタイの福音書24章で弟子たちに預言した「エルサレム神殿の崩壊」が携挙で成就されて、神殿に立った反キリストが大地震によって「打たれた」ことが書かれています。しかし反キリストは奇跡的に助かって再び人類を治めます。
この辺のことはまた後で詳しく解説していきます。
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ヨハネの福音書24章
24:14 御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。
キリストの福音が全世界に宣べ伝えられてすべての民族に証しされてから「終わり」が来ます。「終わり」とは「携挙」です。携挙によって教会の時代、恵みの時代が「終わり」ます。そしてサタンを裁くための大艱難時代に入ります。
「終わりの日」について使徒たちがヨエルの預言を引用して語っています。
使徒の働き2章
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』
2章17節の「終わりの日」とは、携挙がまじかに迫った「教会の時代、恵みの時代が終わる直前のある一定の期間」です。教会の時代が終わろうとしている最後のある期間に神の霊が老若男女問わず偉い凡人問わずクリスチャンに注がれて人類最後の世界的な大リバイバルが起こります。そして世界的な大リバイバルは「平和な時代」に来るのではありません。2章19節の「血と火と立ち上る煙」の時代に来ます。すなわち「戦争の時代」に来ます。一昨年の2月にロシアから始まった戦争の火はイスラエルへとつづき、次はアジア、アフリカ、南米へと戦火が広がっていきます。世界の戦争の中で神の霊が教会に注がれて人類最後の大リバイバルが始ります。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』
イエスが弟子たちに預言したように「主の大いなる輝かしい日(キリストの携挙)」が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わります。しかし「主の御名を呼び求める者はみな救われて」携挙されます。
マタイの福音書24章
24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
「人の子」はイエス・キリストです。ですから「人の子が選んだ者たち」とは、新約時代にイエス・キリストを信じたすべての「クリスチャン」です。キリストを十字架刑で殺したユダヤは「人の子が選んだ者たち」ではありません。
キリスト教会や YouTube でこの箇所の「人の子が選んだ者たち」とは神が選んだユダヤだと教えている牧師がいますが、なにを言っているのでしょうか?キリストを散々貶して罵倒して嘲笑って唾をかけて十字架で殺したユダヤがなんで「キリストが選んだ者たち」になるのでしょうか?
こんなこと教会学校の小学生でも分かることです。
ユダヤは旧約時代に神に選ばれたアブラハムの子孫としてアブラハムの神と信仰を受け継いで「選びの民」となった民族です。そして自分たちの救い主を十字架で処刑した時点でユダヤは「選びの民」から外れて、替わってキリストを信じるクリスチャンが世のはじめより神に選ばれた「選びの民」となりました。ですからキリストの十字架以降のユダヤは「選びの民」から外れた「異邦の民」です。実際に活ける神の言葉・聖書はヨハネの黙示録で終わって教会の時代に入り、神はクリスチャンの心の中に神殿を作り御霊の住まいとされました。ですからユダヤはキリストの十字架以降は「選びの民」ではなく「異邦の民」です。最近、ユダヤに熱狂するシオニストの牧師先生方が YouTube で盛んに「イスラエルのために祈りましょう!イスラエルを応援しましょう!」と言って今のイスラエルを擁護していますが、今現在、中東で女、子どもも情け容赦ない問答無用の無慈悲な戦争をしているイスラエルはもはや神の恵みから外れた普通の「異邦の民」です。現実にこの二千年前間、神はイスラエルに一切何も語っていません。聖書は二千年前の黙示録で終わっています。もちろんイスラエルは携挙のときは地上に残されます。だからキリストは「荒らす忌まわしいものが聖なる所に立っているのを見たらユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。」と終末のイスラエルに警告しています。
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パウロが教会宛ての手紙の中で世のはじめより神から選ばれた「クリスチャン」に向かって言っています。
ローマ人への手紙8章
8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
8:29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
8:30 神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
・クリスチャンは「神のご計画にしたがって召された人たち」です。
・神は、あらかじめ知っている人たち(クリスチャン)を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たち(教会、エクレシア)の中で御子が長子となるためです。
・神は、あらかじめ定めた人たち(クリスチャン)をさらに召し、召した人たち(クリスチャン)をさらに義と認め、義と認めた人たち(クリスチャン)にはさらに栄光をお与えになりました。
エペソ人への手紙1章
1:3 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
1:5 神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
1:4 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
・クリスチャンは神から「キリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福を受けている人たち」です。
・クリスチャンは「世界の基が据えられる前から、この方(キリスト)にあって選ばれて、御前に(神の前に)聖なる、傷のない者にされた人たち」です。
・クリスチャンは「神のみこころの良しとするところにしたがって、イエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられた人たち」です。
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マタイの福音書24章
24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。
イエスが預言した「人の子がクリスチャンを携挙しに来る光景」をヨハネは実際に黙示録の世界で見たので黙示録の冒頭で同じことを書きました。イエスの預言とヨハネが黙示録で見た光景を読み比べて下さい。
マタイの福音書24章
24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。
ヨハネの黙示録1章
1:7 見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。
イエスが預言した携挙の光景を、ヨハネは実際に黙示録の世界で見ました。だからヨハネは御使いの命令に従って七つの教会に向けて携挙が本当に来ることを手紙に書いて警告しました。
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マタイの福音書24章
24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
人の子が携挙に来るときは大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わされて御使いたちは天の果てから果てまで四方から「人の子が選んだクリスチャン」を集めて空中に引き上げながら天に入ります。
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次回の「キリストの携挙ー8」に続きます。
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引用・聖書 新改訳2017 © 新日本聖書刊行会
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