79年 モハメッド・アリに負けた後のフォアマンの輝き 上
ジョージ・フォアマン物語 上巻
アリに負けて自分と闘うプロボクシングに目覚める
キンシャサの奇跡。――1974年10月30日、アフリカはザイール(今のコンゴ)の首都キンシャサで行われたプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチで、あのモハメッド・アリが、世界チャンピオンで勝ちが確実視されていたジョージ・フォアマンに競(せ)り勝った伝説の試合である。
(ヘッダー写真はアリが逆転勝ちを決めたパンチ。右はその以前、チャンピオンベルトをつけたフォアマン)。
1979年のクリスチャン新聞は、ジョージ・フォアマンが敗北の後、思いもしない経緯によってクリスチャンとなり、伝道者となってキリストの「救い」を伝えている、そんな本人へのインタビュー記事を載せている。
フォアマンとアリの試合
さて、モハメッド・アリといえばアメリカのスーパーヒーローだ。1996年アトランタオリンピックの開会式で、パーキンソン病で震える腕で聖火台に点火した。
アリの生涯はボクシングと共に、黒人への人種差別と闘うものでもあった。そのことにも後で触れたい。
ファイティングマネー15億円
74年キンシャサでの試合は鳴り物入りで行われた。
ファイティングマネーは両選手に500万ドル(15億円)ずつ。
象をも倒すフォアマンのパンチと、蝶のように舞うアリのスピード
「象をも倒す」と言われたフォアマンの超弩級のパンチと、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」アリのスピードの争いに注目が集まったが、大方の予想はフォアマンのKO勝ちであった。
何しろフォアマンはチャンピオンベルト獲得以来2回にわたって防衛し、年もアリより7歳若い25歳で勢いに乗っている。
一方アリは、ベトナム戦争徴兵拒否のため王座を追われ、その全盛期に3年間ボクシングをすることができなかった。そこから復帰後初の試合であった。
ロープ・ア・ドープ戦法でアリの意外な勝利
試合は意外な展開であった。アリは、ロープに追いやられたように見せながら体力を温存し(ロープ・ア・ドープ戦法)、フォアマンの強力なパンチをよけながら「お前のパンチはそれくらいか」と小声で挑発し続けた。
そして第8ラウンドにまで至った残り16秒に、アリの5連打の最後の右ストレートがフォアマンのあごを直撃し、アリのKO勝ちとなった。
その様子は、日本を含む世界60か国に中継された・・・。
アリと再度戦う権利を争う試合で負ける
当然のことながらフォアマンは、アリからチャンピオンシップを奪い返すべく猛烈に奮闘する。
それは再び試合に連勝して、タイトルマッチのリングに立てる権利を手に入れる駒を進めるということだ。
当然のことながら、「象をも倒す」実力のあるフォアマンは快進撃を続けた。
ところがである。「この試合に勝てば次はアリとのタイトルマッチ」という対ジミー・ヤング戦に敗退してしまうのである。ヤングは、フォアマンよりも「格下」の相手であった。3年間、懸命に闘い続けた挙げ句の果ての、まさかの敗北であった。
そのダメージはどんなであっただろうか。
実はその失意の敗北戦が、逆にフォアマンにとって、生き方が変わる転機となり、それはその後の長い人生を、粘り腰で挑み続ける契機となったのであった。
アリ戦5年後、クリスチャンになって来日したフォアマン
その辺りの消息を、アリに敗れて5年後、1979年のクリスチャン新聞記事が伝えているわけだ。これは彼の来日時に、当時の記者が単独インタビューしたもの。
クリスチャン新聞の記事は、「つい数年前までモハメッド・アリとの対決(1974年)で世界中の注目をあびた彼が生涯の大転機を迎えたのは今から2年前(77年)の3月、プエルトリコでの対ジミー・ヤング戦の激しい試合で破れたあと」のことであったと筆を進める。
ヤング戦敗北の直後に起こったことをフォアマンから直接訊いて、次のように伝えている。あっさりした記述だが深いものを含んでいる。
おぼろげな意識の中、十字架上のキリストの血を見た
激しい試合で敗れ、「顔や両手など体中、血だるまになったフォアマンさんは、更衣室で横たわっていた時、仮死状態になった。そしてもう一度息を吹き返した時、彼はおぼろげな意識の中で、十字架上で流されたキリストの血を見たという」。
そしてフォアマン本人のコメントを紹介する。「私の両親はクリスチャンでしたが私は決して信仰的な人間ではありませんでした」。
そして、「私は今までカネと名声のために生きていたので私自身は信じられませんでしたが、この不思議な体験を通して神の愛をはっきりと知りました」。
「キリストの血を見て神の愛を知った」とは?
両親はクリスチャンとしての信仰を持っていたが自分は信じられなかった。しかし今回、「キリストの血を見た」という体験を通して「神の愛を知った」というのだ。それはいったいどういうことだろうか?
彼は貧しい家庭に生まれ、喧嘩や酒、窃盗に明け暮れ、中学もまともに卒業していない。
そんな人生のどん底にいたのがはい上がり、ボクシングと出会った。ボクシングに全てを賭けて、試合に勝つことではい上がってきた人間なのだ。
ようやくのことで得たチャンピオンの座であり、つかんだ富と名声なのだ。
「全て」を失った絶望感の中での体験
それを失うことは彼にとって「全て」を失うことに等しかったのではないか。
失ったチャンピオンシップを取り戻すのは当然だと、猛然と闘い続けた。その末に、ほんの一歩手前で、格下の相手に12ラウンドの末、敗れた。
その「仮死状態になった」時のことをwikipedia(英語版)は、「更衣室に戻って体調を崩し、極度の熱中症で臨死体験をした」と書いている。
その時のフォアマンにあったのは、「これまでの人生は何だったのだろう――。自分の全てを失ってしまった」という絶望感だけだったのではないだろうか。
「死の真っただ中にいる」ことに気付いた
また彼は臨死体験の中で、「虚無と絶望の恐ろしい場所に自分はいる。死の真っただ中にいる」ことに気づいたとwikipedia(英語版)は伝えている。これまでカネと名声のためだけに生きてきて、神のことなど考えたこともなかった彼だがその時、「神が、彼の生き方を変えるように求めている」ことを感じたという。
wikipedia(英語版)は続けて、「その経験の後、フォアマンは、ボーンアゲイン(新生)したクリスチャンになった」と記している。
クリスチャン新聞記事は、その際の、彼が内面で経験したことを記していたわけだ。
十字架上で流されたキリストの血を見たとは夢だったのか、幻視だろうか。しかし、このような体験談は有名人、無名人を問わず時々聞くことなので、記者はフォアマンが言った通りに活字にしたのだろう。
それは、カネと名声のためだけに生きてきて、死んだら「虚無と絶望の場所」に行くしかないと思っている彼の前に、十字架に掛けられて血を流してくださったキリストが姿を現してくださったわけだ。それがフォアマンにとって「神の愛を知った」という出来事であったのだ。
なぜなら、もし今死んだとしても「虚無と絶望の場所」に行く必要がないからだ。それは親が教えてくれたように、イエス様が「私の全ての罪の身代わり」となって死んだので、私はその罪への報いを受けなくていいからだ。
カネと名声しか眼中にない、自分のことしか考えてこなかった罪深い私も、赦されているのだということを、神の側からフォアマンに疑いようもなく示してくださったのだ。
それは、自分が「虚無と絶望の場所」に行くのは当然と思っているフォアマンにとって神の愛に他ならなかった。
クリスチャン新聞記者も、そのことが自分の体験として「分かる」から、すっと簡略に書いたのだろう。これは、アメリカ人だけのものではない、人類に普遍的なことなのだ。
映画「ベン・ハー」に表現された血を流されるキリスト
それにしても私、クリ時旅人がこのエピソードから思い出すのは、2000年前のパレスチナと地中海世界を舞台とした映画「ベン・ハー」の最後の場面である。それは、チャールストン・ヘストン演じる主人公ジュダ・ベン・ハーたちが、ローマ兵によって十字架刑に処せられるイエス・キリストをこの目で目撃し、そのキリストが十字架の上で語った赦(ゆる)しの言葉を聞き、そしてキリストの血が「流れてくる」場面である。
その血が流れて来た瞬間、ジュダ・ベン・ハーは深い怨讐を超えることができ、母と妹の業病も癒やされたという場面であった。
映画のそれは、世界中のクリスチャンにとってよく分かる表現なのだ。
何の罪もないキリストが殺されて血を流したということは、全人類のために、ご自分のいのちを捧げてくださったということなのだ。当時のハリウッドは、そのことを良く分かったうえで、ベン・ハーの生涯に、深いところで関わるイエスを見事に表現したのであった。
だからその血に触れたとき(映画では、正に「物理的に」その血が主人公と母・妹に触れたその時)、救いの出来事が起こったのであった。
両親から教えられていたキリストの「救い」が体験できたフォアマン
そのキリストの血が、時空を超えて「私のために」捧げてくださったものであり、救いをもたらしてくださったものなのだとフォアマンは理屈を超えて心に深いところで分かったのである。
彼の親は、そのことを体験的に知っていたのであろう。彼も子どもの頃から、そのことを語り聞かされていたのだろう。しかし信じなかった。というより、信じる必要がなかったということだろう。
彼はボクシングによってすでに、人生における成功を味わっていた。貧困から脱出し、光の当たらないところにいる悲哀を感じなくてもいい。すでにボクシングに救われていたのだ。
しかし決定的に敗れた時、そして死に直面したその時、「もう自分の人生はおしまいだ。後には虚無があるだけだ」と、分からされてしまった。
けれどもどうしようもない時に、親から教えられていたように、神を求めればいいのだと気がついた。
そんなフォアマンに、十字架にかけられて血を流しているイエス様が姿を現してくださった。その時のフォアマンの気持ちは、「自分は神から見捨てられていなかった」というものではなかっただろうか。
アメリカ人だからといって、誰もがそういうクリスチャンであるわけではないのだが、そういう世界がよく理解されていたことは確かであろう。
世界に普遍の、アメリカでもよく知られている十字架による救い
そのことで私の心に浮かぶのはある賛美歌である。賛美歌といっても、アメリカの生んだ大衆作曲家フォスターが作ったポピュラーソングに、替え歌で歌詞をつけたものである。
そのフォスターの曲は「故郷の人々」。
「遙かなるスワニー河」と始まる日本でもよく知られる曲だ。
フォスターの替え歌で歌われた十字架の愛に感謝する賛美歌
このフォスターの曲に付けられた賛美歌の歌詞は次のものだ。
日本語訳が、キリスト教で言わんとするところのエッセンスをより明確に訳出しているのでそれを紹介したい。
この歌は、フォアマンが経験して述懐したことや、「ベン・ハー」にも表現された、キリストの十字架によって救われたという信仰を端的に表現している。
神のことばに立ち我は信ず
「神のことば」とは聖書のことを指す。
聖書に記されているとおり、イエス様が十字架にかかって血を流して、人類の、いや、私の身代わりになって死んでくださったことを信じて私は「救われた」という体験を歌い上げているのだ。
「神なんか知らない」という人間の罪からの救い
それは自分の修養や努力の結果ではなく、自分の外側から、神さまが「私の魂(たましい。soul。私という存在の最も深いところ)の底まで洗ってくださった」と自分で「感じる」ことができる体験を自分はしたのだ、という内容の歌である。
キリスト教で「罪」と言われているのは、一番根本的には、「自分は(人間にいのちを与えてくださった)神さま抜きで、神さまなどに頼らないで、自分の思う通りに生きる」という人間の生き方なのだ。それが人間の性(さが)だし、そういう風にしか人間は生きようがない。しかしそれはやがて虚無に向かっていく生き方なので、そうならないように神の側で、イエスの十字架によって救いを準備してくださったことに感謝する歌なのだ。
フォアマンの親もきっとこの全米で親しまれていた賛美歌を歌っていたことであろうし、フォアマンはこの歌を幼いときから聞かされてはきたけれど、「そんな体験は自分にはないよ」「信じられないよ」「そんなの要らないよ」と思ってきたのだろう。
それが正に、この賛美歌に歌われたように「救われた」、というのが、対ヤング戦直後に仮死状態の中でフォアマンの体験したことであった。
クリスチャンになって牙を抜かれたフォアマン?
1979年のクリスチャン新聞記事は、そんなフォアマンの新生(ボーン・アゲイン)体験を伝えたものであったのだ。
さらに記事は、フォアマンがボクシングを引退してしまい、伝道者になってしまったことを伝えている。
記事はフォアマンが聖書ばかり読んでいると伝える。そして、プロボクサーから伝道者(後に牧師)に転向してしまったことを、「ほとんどの人は私が狂ったと思っているようです。でも私は自分の体験と神の愛について彼らに証しをします」と語ってやまないことと、「私はもう人を倒すことには興味がありません。私の一番大きな関心は全ての人を愛し、神様のもとに連れて行くことです」「これからも神様の栄光のためだけに生きていこうと思います」とまで言っていることを記している。
それを読んだ時に、私の中に思いが浮かんだのは、「素晴らしいことであるかもしれないけれど、フォアマンはクリスチャンになって、牙を抜かれてしまったんだな、闘争心もなくなって。飼い慣らされた動物のようになってしまったのだな。つまらないことであるな」ということだった。
しかし、このNOTE記事を書くために、さらに続けてフォアマンのことを調べていて驚くべきことが分かった。
彼はその「新生」体験、そしてプロボクシングを引退してしまった後に、再度プロボクシングに復帰するのである。そしてその動機は正に、隣人への愛と神への愛であった。
アリと闘った頃と比べて、体型も変わって腹は突き出し、動きもきびきびとしていない。周囲のひとは皆、復帰に猛反対した。「それは(もう素人になった人間には)危険だよ」「恥をさらすだけだよ」と。
しかしフォアマンは、頑として自分の信念を貫き、観客が数十人しかいないローカルな試合から始めて、再びヘビー級世界チャンピオンを目指していくのである。
それは何故なのか、そして、どんな結末を迎えるのか? 中巻に記したいと思う。お楽しみに。