太宰は自殺する必要はなかった(暫定5
太宰治は聖書をよく読んでいた。素晴らしい内容だと思っていた。しかし「自分はとてもそんな風には生きられない」と絶望して死を選んでしまった。
そうじゃないよ。そんな風に生きられないダメな人間だからこそ、イエス様が身代わりになって、自分のいのちをかけて赦してくださったんじゃないか?
そのいちばん大事なメッセージを太宰に伝える人がいなかったのだろう。
あるいは、文学者の、感性豊かな太宰が魅力を感じるようなあり方で伝える人がいなかったのだろう(そうだよね、当時、クリスチャンの間でも儒教的な発想、雰囲気が濃厚だったもんな)。
しかし、日本のキリスト教はもっと進歩すべきだ。
太宰が聞いて、「こんな自分が赦されている」事がわかるコミュニケーション、伝え方(のスキル)を磨き向上させなければならない。
そういうことを世代の積み重ねの中で磨き上げていかなければならない。
そういうことを考えると、例えば元KGK総主事の大嶋重徳さんとかが大いに若い人たちのハートに届いているのは頼もしい(彼は、キリスト教主義の学校で、生徒らが聖書の話をありきたりの道徳訓だと思い、自分を裁くもの、あるいは自分を生かすことなんてないつまらないものと思っているところに、イエスは自分を生かしてくれる存在だと気づくような話しを、スキル性をもって、パッションをもって、ゲストとして招かれて語っている)。
神の大きな愛を求めている多くの人々に、もっとありのままに、分かりやすく、イエスが生きる根拠を与えてくれているんだという福音(よい知らせ)を伝えられる日本の教会でありたい。
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