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手作りの教会堂しか手伝わない建築会社・高田建設(83年)

「教会の人たちが助け合って200人収容の教会堂を手作りで完成した」。栃木県宇都宮市の峰町キリスト教会(キリスト宣教団)のことを1983年7月17日のクリスチャン新聞が記事にしている。
(このNOTE記事の末尾に、元のクリスチャン新聞記事のスクラップがあります)

300坪の敷地に120坪の平屋建て。普通に建築会社に依頼すれば5000万円はかかる会堂が2500万円で実現した。

これほどの低予算で建築を請け負った高田亀雄さんは、軽井沢で高田建築を経営しているが、「教会堂は、教会の人たちみんなで建て上げてもらいたい。牧師も信徒も汗を流して共に建てる。そのつながりが大事なんだ。建物よりも教会をつくっていきたい」というポリシーの持ち主。


重機を操る高田亀雄さんの勇姿。新聞紙上、網点で表現された荒い画像だが、ネット上では見当たらない貴重な写真である

1月からの工事開始だったが、春休み中の学生や、時間を繰り合わせて集まった婦人たちに仕事を一つ一つ教えた。

元々、軽井沢聖書学校も卒業し、伝道者として労していたが、宣教師らに請われて教会堂建築の手伝いをするようになり、約20年、教会堂建築専業で取り組んできた。
建てた教会堂は50を超える。


十字架の塔が高々と掲げられた、その時完成した教会堂。右の方に、三角形に高く屋根が突き出している建物は、その後増築された教会堂であろう。googlemapストリートビューより

「死から命に移してくださった方に何とかお役に立ちたい。キリストのすばらしさのためにやっている仕事で、お金を出せば会堂建築は終わりというところとはやりたくない」

牧師の安食さんは、高田建設で1年間働いた経験があり、「礼拝堂を建てるなら高田さんに頼もうと決めていました」。

宇都宮大学に近く学生伝道と、後に教会員になるドクターの個人病院での伝道に力を入れている。
4年前、安食牧師赴任前は50人だった教会員は70人になり、旧教会堂は何とも手狭になっていた。

交通の便が良くないので駐車場も必須で、300坪、200人収容の教会堂を目指すことになった。

私自身、1980年代後半に、この教会の特集記事のため、訪問して取材したことがあった記憶がおぼろげながら思い出された。
googlemapによると現在、周囲は住宅地が建て込んでいるが、取材した当時、教会堂の前が広々と空き地になっており、雨の後でそれがぬかるんで水たまりがあった記憶である。
また、83年の記事に出てくる「病院内での伝道に理解を示してくれている」お医者様が教会役員になっていて、そのご家庭で開かれていた家庭集会のことも出席して取材したことを思い出した。

追記

このNOTE記事をFacebookでシェアーしましたところ、高田建設(高田亀雄さん)が手がけた教会堂の情報を、お2人の方からいただきました。
ここに紹介します。

1

富山福音キリスト教会旧教会堂
いのちのことば社ゴスペルボックス=巡回キリスト教書店=撮影。2011年9月26日
富山県出身のK様からFBでお知らせ頂きました。「富山県在住のクリスチャン有志と教団越えて宣教師たちが手伝いました」と。ご自分も加わられたようです。「この建物の屋根を組み立てました。懐かしいですね。細かな所は高田さんが作りました」。また高田さんは、建築現場の「狭いバラックに寝起きしていた」と。
「軽井沢ペヌエルチャーチ」で牧会されている高田さんのご子息と、神学校が同じで交流があられるようです。高田さんは、「恵みシャレーの初期の建物にも関わった」とも。
富山福音キリスト教会は、2014年に新しい教会堂をお建てになったようです

2

岸和田北聖書教会堂(googleストリートビューより)
FBで菅原 豊さんから情報をご提供いただきました。ご自分の「母教会」だそうです。1976年頃に建て、その時、安食氏(まだ牧師になる前。私の記事中、「高田建設で1年間働いた経験があり」と書いた時期でしょうね)も一緒に労していてなつかしいとのことです。「私は牧師の息子でまだ小学2年生でしたが、安食先生はお若く、いろいろ構ってくださった」とも。
「屋根の色は変わりましたが、今も会堂はそのまま健在だと 思います」とのことです。

元のクリスチャン新聞記事スクラップ

クリスチャン新聞1983年7月17日号




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