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病気とともに生きる苦しみ

3回目の春

早いもので造血幹細胞移植をして、3回目の春を迎えようとしております。
私は2019年の11月に臍帯血移植をしたのですが先日移植後2年の健康診断がありました。

もう免疫力も健康な人と変わらないぐらいまで上がってきていて大きな問題は一つもありませんでした( ;∀;)ヨカッタ。。
2年経ってもダイフェンなど感染症予防の薬と骨粗しょう症予防の薬はずっと飲み続けていたのですが、それももうなしでいいとのこと!
「わー!薬がゼロになった~!!」
なんて喜んでたのに、そのあと
「日常生活ですぐ息切れするんですよね」
と先生に言ったら
「去年の春に出たGVHD(移植後に出てくる合併症)の閉塞性細気管支炎でステロイド治療やったあとにアレルギーの内服薬と吸入やってたけど、それをやめたからかもしれませんね」
とのことで
「じゃあ…さっきゼロになったばっかりだけど……その薬また出します」
「がーーーーーん」
なかなかお薬がなくなりましぇん…(´;ω;`)
でもアレルギーの薬と吸入薬やるようになって息切れがましになったから…よしとしましょう。

険しい社会復帰への道

2021年の春、先ほども触れましたが造血幹細胞移植の合併症で閉塞性細気管支炎を発症したときにステロイド治療を行いました。
その副作用で激しい精神障害が起き、精神科の閉鎖病棟に入院しました。
その時に約10年働いた子ども服のお店も働き続ける事ができなくなり、退職しました。

そのときのことはこちらの記事に詳しく書きましたので、気になる方はこちらへどうぞ

精神科を退院してからも精神的にすごく不安定で大好きな読書、音楽、お絵かき、漫画を読むこと…なにもかもできなくなって、お笑い番組を見てもまったく笑う事ができませんでした。
普段ならちょっとしたギャグでも大笑いするような人間なんですけど…。
日中もなにをするわけでもなくずっと椅子に座っていました。
本当の廃人みたいになってました…今思い返すとぞっとします。
そんな状態だから夜になると毎日死んでしまいたいという気持ちで胸がいっぱいになっていました。
でも行動に移す気力も体力もない。
どうやって乗り越えたのか自分でもわかりませんが、時間が解決してくれたのかな…。

だんだん働いていないことへの後ろめたさが出てきて、2021年の9月から知り合いが勤めているビジネスホテルのフロントの仕事を始めました。
知り合いが一緒に働いているということもあり、順調に社会復帰できたように思えました。
前の販売の仕事はずっとフルタイムのアルバイトだったので、正社員で雇ってもらうことにすごく固執していました。
ホテルの仕事は正社員で雇ってもらえたので私自身すごくほっとしていました。
「ああ、これでまっとうに生きていける」

しかし2022年1月にまたしても精神的にめちゃくちゃ不安定になってしまいました…。
早朝からの仕事だったので朝4時に起床するのですが目は覚めているのに、身体が起こせないんです。
去年のステロイドの副作用のときに激しいうつ状態になったときも同じような現象があったので、嫌な予感。。
予感的中で涙がわけもなく出てきて、とてもじゃないけど仕事にはいけない状態。
その日は一日休んで、また明日になれば行けるだろうと思っていましたが、また次の日の朝4時に起きると同じ状態。
精神科を受診すると
「ステロイドの副作用の躁鬱状態が治って9月から働くことができていたけど、無理して働いてたからか今度はまた別でうつ病を発症してる感じですね」
とのことでした。
結局2022年2月末で退職ということになってしまいました。

これを書いている今もずっと自分を責めています。
自分に失望しています。

移植をしたあとからずっと周りの人から
「無理しちゃいかんよ」
「今はゆっくり休んでればいいだで!」
って言われ続けてきました。

移植後もすぐに体調がよくなって、異例の元気さで来てしまったからなのか
「私は大丈夫!」
という気持ちがどこかであったのかもしれません。

お金がもらえる制度になかなか自分が当てはまらず、静養に専念できる金銭状態を維持することが難しかったことが大きいです。
傷病手当金の請求すらしてもらえなかった職場もあります。
「働かざる者食うべからず」
なのか…と今でも悲しくなります。
調べると色々使える制度はありそうだけど、家族や友だちと話しているときでも意思疎通がうまくできなかったり自分が思っている返事をもらえないと「もういいよ!」って怒ってしまいそうになるくらい正常な状態じゃないのに、市役所とかに行って手続きなんてできない。

なによりもショックだったのが信じていた妹に
「お姉ちゃんはなんでも病気のせいにして甘えてる!みんながどんだけ心配してるのかわかってるの!?もうそんな状態でお金もなくて働けないなら外に出ずに家の中にずっといて!そして家族に迷惑かけないで!」
とすごい剣幕で言われたこと。
これはここに書くべきじゃないような気がするけど、私の今の一番の心の傷だから書かなければいけない。

私はライヴを観に行くことや買い物をすること、映画館に行くこと、動物園や公園にでかけること…外に出かけることが大好きな人間だ。
それを知っていて外に出るな、っていうことはそれすなわち
「死ね」
と言われていることと同義なんです。

妹にそれを言われた時から、もうこの人間のことを一生許すことはないと思っています。
仲良し姉妹だったけど、今までのすべての思い出をなかったことにしたい。
移植のときも無菌室で闘病する姿を誰よりも近くで見てきた妹にこれを言われたことがどれだけ悲しいことか。

昔は(今もあるのかもしれないが)知的障がいや精神障がいを持っている家族を近所の人に知られたくなくて、家の庭の隅に小屋を建ててそこに閉じ込めていたということを聞いたことがあるけれど、そのうち小屋を建てられてそこに閉じ込められるんじゃないかと恐れています。

病気を抱えて働けない方々で私と同じような状況、同じように苦しんでいる方って結構いると思います。
私は今まで割と幸せながんサバイバーだったと思います。
でもこういう思いしてる人達の方が圧倒的に多いんじゃないかなと、今やっと気が付きました。

移植して2年、やっとこの治療の深刻さに気が付くおバカさんです。
移植したときに2年でやっと社会復帰できる人が多いよ、って先生や看護師さんから教えてもらったのに…
ちゃんと2021年の11月までゆっくり静養していたなら、こんなことにはならなかったのかな。
この2年の間に無理して無理して働いて、今患っているうつ病が完治するのはかなり時間を要する気がしています。

このnoteを読んでくださっている方の中にこれから造血幹細胞移植をする方、いつか移植をするだろうと思っている方、移植治療中の方、移植後の方もいらっしゃると思いますが、みなさんには私のような失敗をしてほしくないです。
元気になれると早く社会復帰したい!という一心で、心と身体のバランスが崩れてしまって知らず知らずのうちに無理して頑張りすぎちゃうんですよね。
金銭的に余裕がある人はいいんですが、私のように貯金もほぼなくて独身で若い世代の患者さんは本当に金銭的な余裕のなさから無理をしがちだと思います。
世の中の「がんでも働ける」という流れも余計に無理をしてしまいますよね。

造血幹細胞移植患者になにか公的な支援があればいいのに。
せめて移植後に受ける予防接種が今は全額自己負担なのを保険適用にしてほしい。
これが…めちゃくちゃ高い!
(小さいころ受けた風疹・麻疹や3種混合ワクチンなどの免疫が、移植によりなくなるのでまたワクチンを接種しないといけない)


なんでコロナの治療費は国から出るのに、私たちにはなにも手を差し伸べてもらえないんだろう。
絶対コロナの治療費が公費負担なのを悪用してる健康な人がいると思っているんだけどどうなんでしょうか?
そういう人たちがいい思いして、本当に困っている人の声は聴いてくれないし届かない。
選挙には必ず行くけど、一向に私のような病気を抱えながら生きている若者が生きやすい世の中になっていかない。
どうしたらいいんだろう。

というわけで社会復帰への道はお先真っ暗!!

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