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ビデオを見て書道観が一変した話

ビデオを見て書道観が一変した話

 相変わらず大げさなタイトルかもしれません。

 僕は小学校低学年から、近所で親戚がやってる日本習字に通っていました。特に真面目だったわけでも、上手かったわけでもありません。でもなぜか、続いて続いて10年以上お世話になりました。先生のお陰だと思います。

 習字、というだけあり基本的には、創始者の書かれたお手本を、真似して書くのがお稽古の内容です。法帖を見ての臨書や、創作はありませんでした。(正確に言えば、そこまで辿り着けませんでした。)

 ですので、大学に上がり、今の師匠にお世話になり、日々のお稽古をしていただき、自分で古典臨書し、公募展に出す、という流れになったのは、大きな戸惑いがありました。
 
 また、指導内容についてもです。
 僕は、習字というものは、いかに手本と同じように書くか、という認識でした。そんなとこに、線質とか、気合いとか、手本と違っても面白いとか、そんな事言われても、さっぱり意味分からん状態でした。美的素養もそれほど無いですしね。

 十余年習字をやっていたわけですから、大学に上がっても、そんな状態がすぐに変わるわけでなく、5年以上いやもっと、先生の言ってることがよく分からん状態でした。よく続きましたね。

 そんな習字の頭が、ガラッと変わった切っ掛けが、コレだ!というのが明瞭にあります。それが、ビデオです。

 残念ながら、いやらしい類のものではありません。天来書院の、「書・二十世紀の巨匠たち」というビデオです。豊道春海、西川寧、青山杉雨などなど、ビッグネームの紹介と共に、彼らが書いてる姿も収録されてます。貴重。

 その中の1人、西川寧の書き振りを見て、目から鱗が落ちました。
 運腕は無造作に、ざっくり、適当に動かしているだけに見えます。ところがどっこい、手元の字が映されると、実に伸び伸びして良い形の隷書だったのです。

 それを見た時、ああ、先生が仰ってたことって、こういうことかーと思いましたね。

 自分は今まで、普段の練習と作品とに乖離がありました。
 臨書は、法帖を見ながら形を細かく見たりするのに、いざ公募展の作品になると、やれ形を見すぎだの気合いを入れてだの、、、いやなんなん?って。
 当時は展覧会用の手本をもらってましたので、思いきってかく→荒くなる→手本と似なくなる→悪い。という思考でした。
 今思えば、お手本の意味も分かってなかったですね。

 話を戻して、ビデオを見て思いました。
 普段の臨書や練習は、思いっきり筆を運んでも、変なことにならないようにする為に、あるんやな。手本は大まかな方向を示してるだけで、塗り絵みたいにそっくり真似たところで、良いものは出来ないんだな、と。

 それ以来、書道へ取り組む意識が変わったと思います。良いか悪いか知らんけど!

 ありがとう天来書院のビデオ。お陰で今も書道を楽しんでいます。

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