見出し画像

GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語 『光る君へ』44

俯瞰する『大内裏』建物の木材の色もお更に。焼失からの新造成ってる。
=宮中の皆さまお戻りに。
「きこえぬ。」今回ドラマ第一声は三条帝の御簾内からの「聞こえぬ。」
「(お聞きとり出来ねば)正しご判断できぬ。」と「譲位」をせまる公任、  俊賢、斉信、行成。  帝は(わざとか…)「とんちんかん」な答えを。
そんな帝の次の手は、「姫を頼通の嫡妻にせよ。」と 道長 に。
父 から聞かされた 頼通「隆姫 を連れて 都落ち、藤原 も 左大臣の息子 という 立場も捨てる。」って…あの日の まひろ と サブロー … 自分の デジャブ。
道長、空を見上げる。半月、上弦。 これだと=19時すぎ。のこと。
別の何処かから 藤式部・まひろ も同じ 月 を見ている。
「タイトル」               演出  黛 りんたろう
『土御門邸内』 道長、皇太后・彰子、藤式部 が 彰子 に供している。
「あそこまで、頼道 が拒むとは。」と 驚くというより 愚痴 の 道長 。
に 彰子 は「かつての 私みたい。」「帝も 父も 女子の心お考えになったことあるのか。」に 道長 は答えられず。「たとえ 頼道に降嫁されても 禔子様に子ができるとはかぎらない。」と言う言葉の矛先は、「三条帝の命令」への対応でなく「次の 皇子を増やしておこう(とも思っているのかい!)」という父・左大臣 へ刺した「釘」。 同席の 藤式部、とりなし…て「左大臣様 のように 倫子様 明子様の ご両人のお幸せをお考えにおられる方は他にいない。」と。 彰子は「「この婚儀、だれも幸せにせぬ。」と断ればよい。」と、さすが 皇太后さま。
妍子「けざやかなこと」と 娘・内親王と錦地を見ているところに 左大臣。姸子 中宮  嫌な顔をして「なにー?」 父・左大臣「お顔を見に。」に「なにをいまさら。」「生まれた時、皇子でないのか…と仰ったとか」と 聞き伝えに恨んでいる。「お見えになる時は いつもカカリの事。」への 苦言にしか来ていないでは。と。「道具 としての 私の唯一の慰めは贅沢と酒。」「私と 禎子 は、ここで諦めつつ生きて参ります。」と言い切る。が、歴史では
大叔母、叔母 の 東三条院 や 上東門院 にまさるとも劣らない存在となる。
『帝前』 道長に 返答 求める 帝。「頼道に会えてない。」と逃げる 左大臣に「聞こえぬ。」は 本当に聞こえないのと、「お前の言い訳など受け入れられない。」の「係り詞」。「内親王を妻にしたくない者などいない。」と 三条帝。
そして、その次の策、「左大臣のまま「準摂政」になれ。そうすれば、朕 は譲位 せずに済む。そなたの思うように 政を出来よう。」とまで言い出す。
………病身で、もう選択が無いとはいえ、そこまで 帝 で居たいのか…、政治的 実権 が無くてもいい…と言うその 価値は…。
『自邸』に御戻った 道長 頼通に「病になれ。」と。「内親王様 を要らぬとは言えぬ。」から、仮病 でこの 事態回避 を図る。弟 頼宗 に「宮中に噂を、」と 回避を 謀る。「隆姫 のためだとやりぬくのだ。」と 頼通を説得。
道長 の謀ったとおり 女房たちの雑談。「伊周さまの怨霊ですって。」は、皆 の頷く理由(なのが、当時。)。
『清涼殿』 「わが代は、たった四年半。でおわるのか。」と嘆く 帝 に、実資 アドヴァイス。「敦明 を 東宮にするなら、譲位する。」の入れ知恵。
三条帝 は 実資 に「唯一の忠臣。」と。
夜。月 を見る 帝 と 輔子皇后。 の 帝 に 月、見えているのか。哀れな二人。 
三日月 ? 前に映された 月 は「上弦の(半)月」その月は「満月」に膨らんで行く月。「三日月」に欠けることは無い。という事は あれから「満月」「下弦の月」「新月」と………「三週間」は過ぎたことになる。そうなの?
妻・娍子 皇后、の 膝枕。「きれいな月でございますよ。」と泣く。
敦明 を 東宮とすることで、彰子の第一子 淳成 東宮 が新たな「帝」に。
『大極殿』 豪華な『即位式』の様子。 うれしい再現ながら、「第4回」の(同じ場所のはずの)『五節の舞』の時と比べて、小振りに思えた。 
道長 → 摂政 に。彰子は 国母 に。後一条 帝 は8歳。子供天皇に、寄り添って 摂政・道長 。左大臣 でもある。
『土御門邸』 穆子 ばば様「殿を迎えて大中り。」笑う倫子。「わが家から帝か出るなんて。」と、『土御門家』の栄達を喜ぶ。
『為時屋敷』 為時、食べこぼし。「すっかり老い耄れたな。」「カタコもしっかり育ったし。そろそろ出家いたそうと思う。」「これからは ちやは や 惟規 の菩提を。」と。「お寺に行ってしまわれるのですか。」と問う
カタコ に在家での出家だと言い「じゃ何もかわらない。」と言われる。
「カタコ は 内裏に 出仕は考えぬのか?」と言う 為時。「よい女房なりそうだが。」と。
の時の まひろ の顔。心に何を思っているか…いろいろ思わせる=判らない表情秀逸。…楽しみなようで…。
「縁側」 為時、まひろ と二人になって「我は官人には向いておらなんだ。」「皆に苦労かけたな。」と。「ながらくご苦労様でございました。」と労う まひろ。岸谷 五朗 さん、老けた 為時 のいい顔。空を見る。
『宮中』『清涼殿』御簾内。 幼い 後一条帝 の(右)橫から 道長 が 帝 の言うべき「御言葉」を伝えてる。「ささやき摂政」の台詞を 幼帝 が下す。
右大臣 も、実資 も「ははっ。」と。
『陣』で、左大臣 中央に居て、右大臣 と 実資、道綱、公任 も。「あれもこれも変えては」と 顕光 右大臣。「公任殿は?」と 道綱。「お考えはあらためて 陣定で。」と、摂政 と「二役」の左大臣・道長。
二人になって 道長「意見を聞きたい。」と 公任 に。「道長 の筋の通し方は解ったうえで「欲張りすぎ」と。」「左大臣 やめよ。」と。 いよいよ自分のめざす「よりよい世の中」を実現出来る 座位に至ったと思っている 道長 だが、親友 公任 からの指摘に「違うのか?」と 現実とのギャップ を改めて考えるに至る。「道長 の為を思って。」言ってくれた友 公任…。
孤高の 道長 の座り姿 良くて、このうえなく「あわれなり」。
「譲位を促した自分が辞めよと言われる番なのか?」と。
『土御門邸』 宛がわれた 局 で書いてる 藤式部、『物語』の続き。
道長 が「暮れの挨拶に。」と来る。
「摂政と 左大臣を辞める。」「俺がやっても変わらぬ。」と。
「お疲れですね。」とまひろ。 史実 では 体調・病状も良くなくて。
上り詰めてはみたものの「想い」の 実現には「現実」は厳しい。 
息子 への 譲位 に、藤式部は「頼通様 にあなた様の「想い」伝わっていますの?」と問う。 「民を思う事、より良い世の中に…。という 俺の想い が伝わったとして 何になる?」と言う 道長 に、「大切なお気持ちは、いつか、先の代で 実現 なせるやも。」と 藤 式部 は「私はそれを念じております。」と。「おまえだけは念じていてくれ。」と 道長 が言っているところに、
倫子 様 が来て!「お二人で何をお話し?」と。「政務の事。」と言う 道長に「政のお話、藤式部にはなさるのね。(私にはした事も(相談も)ないのに…を滲ませての言葉)」と。 「彰子 皇太后様 のお考えを知らねば。」ならぬから、と(ここは、うまく)切り抜ける 道長 。
「藤式部 が男であればよい片腕になりましたのに残念でしたね。」と倫子。 藤式部 は「畏れおおいこと。」としか言えない。
が、倫子 がここに来た理由は。「殿の事を書き残してほしい。」「枕草子みたいに 殿 の華やかな生涯を」という頼み事であった。 
(この台詞…「華やかな「生涯」を」って、まるでもう「もう死ぬ」みたいで…。「この度の栄誉。この華やかな日々を書き留めておくれ。」と言いたかったのでしょうか。)  で「返事は今でなくて良い。考えてみて。」って。
鐘の音。
頼通 が 後一条帝 の 摂政 に。 『土御門邸』だろう、 兄弟三姉妹 対面。
母 倫子も。の「祝いの席」。
「父上あってのあなたがたですよ。」と 倫子 。
頼道 が、「早速だか 威子 入内してくれ。」と。「10歳の東宮様に19歳の私が?」と拒む 威子 に、母 倫子も「十年もすれば。初めての女に」と。
歳的には私が…と、妹 嬉子 が名乗るが「嬉子には嬉子の役目。今でない。」
と。             翌年 威子 入内。
百舌彦 走り「三条帝の危篤。」伝える。 三条 帝 ⇀ 院、 頭丸めてる。「闇だ。」「闇でない時はあったかの~。」「娍子、闇を共に歩んでくれてうう嬉しかったぞ。」と 三条院 。  享年 42歳。
父 帝⇀院  逝去 で、敦明 親王、自ら 東宮 を下りる。 後ろ盾…居ないし。
によって、道長 の孫、敦成 親王 が 東宮 に。
翌年、道長 の 次女・三条帝の 中宮 だった 妍子 が 皇大后 となり。
道長 と 倫子 の 娘三人が、すべて「帝」の 妃 后 となる。
「中宮の祝い」の宴、道長 の 三女・新中宮 の 威子 をまん中に戴いて 土御門邸で夜。「今日のよき日…」と父・道長、当然 遜って挨拶。 「これで、頼通も存分に働ける。」「妃がたの御蔭。」と 三妃 に、家の繁栄、身の光栄、の謝礼。
庭に設えたの舞台で、頼道・頼宗 の兄弟・が『青海波』?を、紅葉 の枝を持って舞う。『青海波』かと思うのは、この光景は『源氏物語』『紅葉賀』の ビジュアル化と思うので。『物語』の始めの方で 青年 光源氏 と 頭中将(義理の兄弟)が舞うシーンを、ここに嵌めたのだろうと。
余談ながら 当時の『青海波』の衣装は「青・緑系」だったという 考証も。
なにしろ「寄せては返す海の波」の様子を舞う 舞。名の通り「青海」色だと。  にしても「舞台」が小さい。 篝火 の少なさは「満月」の明かり が
あってのことかもしれないが「私邸」での「穏座(二次会)」であっても(「土御門邸の」という)舞台の「設え」が、小さすぎる。
舞のあとの酒宴。楽人の演奏は続いている。ここからが「穏座」なのかも。
頼通・兄弟、(一条)四納言 皆 。
道長 が手にしている「杯」…大きい。 もう「椀」のサイズ。
目で合図し 実資 を呼んで、「摂政 に 盃を進めてくれぬか。」「喜んで。」と 実資 からの「太閤様からでございます。」の「椀の酒」受け 頼通 → 弟・頼宗→を挟むのは ドラマ の展開。 史料では、頼通 ⇀ 左大臣顕光 ⇀ 道長 ⇀ 右大臣 公季 と。 ドラマでは、その杯…椀 ⇀ 斉信、公任、俊賢、行成と、皆 に廻っていく。道長、感慨。  だが、この日 公任 は 喪中 で 不参加、
この場には居なかった。のが史実かと。 
の、頼道・頼宗 兄弟、さきほどの「舞 装束」で着座している。ちょっと驚き。装束の「舞の型」の「肩脱ぎ」のままの着付け…はどうなのだろう。
いや ✕ では。いくら 兄 でも 中宮 様 の祝い、「後宴」であっても「階の上」の「着座」の時は「装束」を「直し、正す」べきでしょう。身分の違う舞人への盃下賜ではないのだし。
道長 からの「盃」で 皆 に 廻る酒。注ぎ足し…は省略されたか「減らずの盃」皆に廻る 満ちる酒。今宵 は 行成 の出番なし。  
道長、月の光が照らす 庭近く-簀子に立って、また 実資 を呼んで「今宵は、まことに良い夜だ。」「歌 を詠みたくなった。」「に、返しの 歌をもらいたい」とたのむ。実資「これよりお歌を詠まれます。」と皆に。一同、庭 の方-道長 を見る。     (彰子「入内」の時、「屏風歌」進詠を拒否した実資。それへの意趣返しと考えるのは野暮かな。)
おりしも雲から月(が出せるのが「ドラマ」)-円い月が現れて「この夜をば」と詠いだす。柄本佑…独特の語り口。饒舌でなく、稚拙さも加味の、とにかく「この有名な歌」の旧来の捉えられ方をニュートラルにしてしまう口舌。見事。を 聞いていて、どんな気持ちなのかなその場の皆さま(「心の持ち様」の演技指導は。)。藤式部は、「えっ…」という表情も。というのも「私の歌…あの時の!」なのかな。敦成さまご誕生の時の自分の歌の続きのような道長の歌…。
倫子様は、この祝宴。吾が身の幸せ。を寿ぐ 殿 の 御歌 に只々うっとり。
「そのような優美なお歌に返歌はできない。」と実資。唐のゲンシンの故事を引き合いに「今宵も皆で唱和いたしましょう。」と。
皆、着座し直し「このよをば」を唱和。三度目にカメラは、藤式部-まひろ
涙の目。 「ボロ屋の抜けた天井の穴からの円い月」のカット挿入。-六条の廃屋で、サブローとまひろが見た月…なのだろう。
庭への階の上から、御殿の一方向を振り向く道長。まひろを見るか。四度目の唱和。…テーマ曲流れて、藤式部も見上げる「月」で、 つづく。
いよいよこのドラマ 終わり…か。あの日の 月 を、夫々、二人、見つめる。

いいなと思ったら応援しよう!