GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』36
長保元年(999年)の後宮入り-女御宣下から9年、 寛弘五年(1008年)
彰子(二十歳)の 春。
『藤壺』。藤式部、「物語」書いてる。 ホケキょ。
宮の宣治「「荷葉」にございます。」と香炉。中宮、香りを聞いて吐き気。
『土御門邸』。倫子と赤染衛門のところに、道長、走って帰って来て、彰子懐妊を知らせる。 ホケキょ。
おめでた。あれほど、待ちに待った喜びなのに、命がけの祈念のご利益に、
この道長夫婦は抱き合わない。のが平安の貴族なのだろう。ドラマでも。
数年前の現代、……姉をハグして送り出した内親王には閉口した。
『藤壺』女房達、「皆でしっかり中宮さまをお守り」と。 ホケキょ。
「タイトル」 今回の「演出」は 田中陽児氏
『藤壺』御前、藤式部呼ばれて来る。中宮、他を下がらせる。「今日は気分が良いゆえ内緒の話しを。」と「漢籍」を学びたい旨。帝のお好きな『新楽譜』密かに学んで帝を驚かせたいとのこと。
道長を囲んで、斉信「めでたい。」 公任「ややこしい。」に、行成「そのような事ありません。」と(皇位継承の順位を守らないことなど無い。と)道長を尊敬している行成。 とか、この件、苦しくて、(帝の爺となる…)道長「帝のご譲位の話しとなる故、この話しおわり。」と。
花山院崩御。の知らせ (ネット上「ナレ死」より省略された?「セリフ死」と呼ぶ人も。) 道綱が、居貞東宮に。
「敦康親王が東宮にでないと冷泉帝の皇統が途絶える。」と。
居貞東宮にも、青年の息子あり。
『藤壺』 今回の「藤」きれいだ。 良く出来てる。手直しされた。やはり前回出てきたのは、ドラマででも「造花」での植栽演出の様子だった…。くらい、良く違っいてる今回の「藤の花」のリアリティー。
中宮、「里下がり」を敦康親王に伝える。親王「まことの子がお生まれになれば、私は…」と、敦康自身、心配。 を、んな事無い。と彰子「今日までずっと一緒、親王さまだけが私といてくれた。」「裏切らない。」と。
(「裏切る」感じ…なのか。)親王の「本当に?」の一言、後々重くなる。
飛香舎の庭の「藤」きれい。
夜、彰子、「宮中」から退出。
土御門。両親、穆子ババも迎える。穆子さまご健在でなにより。
倫子、式部にしつらえた部屋案内。「存分に、書いてくれ。」と。
「中宮様が、見違えるほど明るくおなりになったのは、式部のおかげ。」と殿から聞いておる。ありがたく思っておる。これからも。」と。
昔から出入り-「勝手知ったる屋敷、自分の家のように過ごしておくれ。」
と言われた(あとの)まひろ・藤式部の表情。 懼れか、うしろめたさか?
彰子、藤式部と『新楽府』の勉強。 「好きなら痘痕も笑窪、嫌いになると傷を探す。が、傷こそ、その人をその人たらしめる宝。」と。
そこに彰子の兄妹、道長と来る。 生まれたばかりの「嬉子」も抱かれて。
「里下がり」の中宮に「藤壺」の女房たちも付き従って来ている。…そう、受け入れる実家が宮中の一舎を飲み込める器…財力…でないと、しっかり充分な姻戚=帝の妻、義父母とはなれない…という事がコレ。
で、付いて来ている左衛門の内侍、元から『土御門』付きの赤染衛門に 「よろしいの?」と。藤式部に「ご指南役奪われて(平気か)」とか、「藤式部と左大臣様おふたりの間柄は?」とか、焚きつける。
おとな・赤染衛門はソツなくかわす。
渡殿-いつかの、で、式部、左大臣と出くわすシーン挟んで。
『高松殿』か、今も。伊周邸、定子と一条帝の次女 9歳の媄子親王、没。清少納言がお悔やみに。
「秋には中宮に御子。左大臣に何もかも、帝のお心まで掌握された。」
「今帝は、藤式部の書いた物語が、いたくお気に入りだそうだ。」と伊周。藤式部がまひろと知って清少納言「その物語よみとうごさいます。」と。乞う。
『土御門邸』 朝廷の公事、公式に中宮さまご出産の記録する者たち。
とは別に、藤式部にも「ご出産の記録、書き残してくれ。」と道長。お側にいて中宮さまのお心わかっているおまえが書き留めた物、あとの娘たちにも残したい。そうです。 が、『紫式部日記』として残る、と。
が、道長の「依頼」で書いた=土御門家に残す物に「縁の下の者の憂鬱」を書くとは思えない。 近年では、モデル,俳優,コノシュアな 冨永 愛 が引用している「優美な湖の白鳥の水中での足掻き」の喩えは、この「日記」にある紫式部が「土御門第の池に浮く水鳥」を見ながら思ったことに始まっている「もの言い」。
伊周、右袖口からの赤い紐は何?
中宮、お産を前に「わたしも死ぬのであろうか?」と不安。呼び出された式部。中宮、皆を下がらせる。コレよくないよ。
中宮に、お母上様お呼びしましょうと言うが「心配かけたくない。」と。
「私も不安あった。」「帝の喜ばれるお顔思いうかべて。」と励ます。
真夜中から、お屋敷、騒がしくなる。ここからは『日記』記載の流れ。
あまたひしめく僧侶、僧都、陰陽師。叫び、暴れる「寄坐(ヨリマシ)」
恐ろしく強い「もののけ」には、。伊周の呪いも加勢して。
仕切の外の僧や「依坐」らの声に、倫子「うるさいこと。」は救われる。
魔除けの「うちまき(打ち撒き)」の米が髪に降ってきて、と『日記』にある『散米』。『源氏物語絵巻』には、大きな丸盆の米が描かれているが、ドラマでは、折敷=角盆だった。
庭から来た道綱と右大臣、中の事態にたじろぐ。
伊周の呪詛。 「道長~」と寄坐が叫ぶのは、伊周の声か?
道長の「お鎮まりくださりませ。」 に、調伏が効いたか、「ご誕生」。
「皇子さま」と頼道が、皆に知らせる。
道長「皇子さまか」と、呆然。 穆子ババさま「曾孫」見られた!
感謝でいっぱい…の時だが、「藤式部のみちびきによる…」って礼、ドラマの主人公だからか。中宮まで言う。「さんざんもうしましたよ。」と倫子。
『めずらしき ひかりさしそう さかづきは もちながらこそ ちよもめぐらめ』 を立ち聞きして道長。「その歌のこころ」を聞く。
「皇子さまという新しい光がくわわっためでたさに(祝杯は)千代も巡りつづける。」 とのこと。この歌 例の「望月の歌」に響いているような…。覚えておこう。二人、ひとつの柱はさんで座っている時間。
俊賢の「皇子ご誕生」の知らせに、妹・明子、またまだ張り合う気。
既に「(道長の)言いなりにはなりませぬ。」って、ちょっとあぶない。
帝、『土御門邸』にお出まし-行幸。
「抱かせよ。」と、彰子から直に。(『紫式部日記絵詞』には、彰子自身が、赤ちゃんの親王を抱いている「絵」があるが、中宮から帝へ直…はあったのか。「史書」確認してみないと。あ、そりゃぁ、考証なされての撮影か。)
早々と『親王宣旨』!
『五十の祝』 もちろん『土御門邸』で。
道綱、ドラマでは「桟敷(廊下)」に用意されている「折敷」数えて「全部五十個!」と燥いでる。宴の参列者への引き出物が、若宮の御前に奉げられている。という事。 「管弦」って「管」なくて「筝」のみの奏楽。
祝の宴、道長の「無礼講」宣言。 このシーンも『紫式部日記』から再現。
隆家も居る。右大臣の几帳破り、大納言実資の女房の「襲」の重ねている枚数(が、キマリ通りか)数えている。も再現。 クライマックスの公任の「若紫や…」に、このドラマでは、直に藤式部が、「光る君も居ないのに。(居るわけないよ!)」と言葉で返してる。
遠目で、御簾越しに、見ていた道長、藤式部を呼んで「歌を詠め」と。
「 いかにいかが 数えやるべき 八千歳の あ出してしき 君が御代をば 」。
に、道長(『日記』では、二度ばかり、声にだして繰り返し、てから、)
「 あしたづの 齢しあらば 君が代の 千歳の数も 数え取りてむ 」 と合せる。「用意してあったのよ。」と言われるくらい-良く呼応した歌だが、当時はこれくらいの事出来て当然…の宮廷-サロン。この「歌の応酬」で「不倫」どうこう…って。な感じ。
だが、この阿吽の呼吸に、ドラマでは、皆こおりつく。 倫子様さがる。
赤染衛門も厳しい貌に。 ありゃりゃ。
宴の場を去る折り、赤染衛門、式部に「左大臣様とはどういうお仲なの?」と。 で、 つづく
ネットでは、「道長、なんでだ?」とか「二人の関係が、倫子さまにバレた。」とか賑やか。
倫子の宴退出は『日記』に。でも、「息の合いすぎる(カラオケの)デュエットで、不倫バレバレ。」という様な話とは思えない。