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【自衛隊の前期教育編】訓練の厳格さと人生は似ている⑤

①別れの前触れ – 無骨な父の優しさ

人生には、どうしても避けられない別れや変化がある。ときに、それは耐えがたい寂しさを伴うものだ。しかし、その寂しさや変化の先には、新しい学びや成長が待っている。


私の父は、戦争を経験した頑固な男だった。口数が少なく、厳しい態度で接してくることが多かった。

私が子どものころ、父はまるで鉄のような存在で、感情を見せることはなかった。そんな父が、自衛隊に入隊する3か月前から急に私にかまうようになった。


それまで誘われたこともなかったのに、突然「パチンコに行こう」「居酒屋に行こう」と何度も声をかけてくるようになった。

最初は戸惑った。これまでそんな素振りを見せたことがなかった父が、どうして急にそんなことを言い出したのか。けれど、正直なところ、嬉しかった。


思い返せば、父なりに何かを感じ取っていたのかもしれない。子どもが社会に出て、家からいなくなる。毎日当たり前のようにいた存在が、突然いなくなる。そう考えたとき、父は寂しさを感じたのだろう。

戦争を生き抜き、感情を押し殺して生きてきた父が、自分なりに愛情を表現しようとしてくれていたのだ。



そして入隊前日、いつもは簡単な食事で済ませる母が、珍しくごちそうを作ってくれた。食卓に並んだ料理は、私が好きなものばかりだった。

そのときは「最後だから特別なのかな」と思ったが、今思えば、あれは母なりの精一杯の愛情だったのだと分かる。

父の寡黙な態度とは違い、母は料理を通して、私への思いを伝えようとしてくれていたのかもしれない。



あの頃の私は、両親の気持ちを深く考えることができるほど大人ではなかった。ただ、その場の出来事を受け止めるだけだった。

けれど、今になって思う。あのときの父の言葉、母の料理に込められたものを、もっとしっかりと受け止めていればよかった、と。

そして、その翌日、私は自衛隊へと旅立った。



②自衛隊入隊 – 試練の始まり

入隊の日、私は汽車とバスを乗り継いで、自衛隊の駐屯地へと向かった。まだ見ぬ世界への期待と、不安が入り混じる感覚だった。

新隊員として迎えられた私たちは、制服、靴、戦闘服、帽子、2士の階級章が支給され、寸法を測られた。そうして、厳格な世界の扉が開かれた。

入隊式の日、私は改めて「ここに来たんだな」と実感した。まわりを見れば、同じように緊張した面持ちの仲間たちがいた。

最初の朝は、起床ラッパの音とともに目を覚ました。とはいえ、ラッパが鳴る前から目は覚めていた。緊張と興奮が入り混じり、寝ていても体は警戒していたのかもしれない。



前期教育が始まると、すぐに「自衛隊の現実」に引きずり込まれた。点呼は毎朝夕2回あり、厳格な規律が求められた。

前期教育では連帯責任の厳しさを痛感した。誰かがミスをすれば、班全員が腕立て伏せ。ミスをした本人が悔しい思いをするだけでなく、全員が同じ罰を受ける。


それが、自衛隊の「連帯」の意味だった。

訓練から戻ると、シーツがぐちゃぐちゃになっていることがあった。誰かがきちんと整えていなかったのだろう。結果、班付けに怒鳴られることになる。そのたびに、全員でやり直しをさせられた。


班付けの名前は忘れてしまったが、漫画の両津勘吉を少しやせた感じの人でユニークさはなくガチな人だった。

班長はレンジャー3層の紳士の人で面倒見の良い人柄で今思えば、班付けが良い自衛官を教育させるために班付けが教育係で精神面も鍛えるためか汚れ役があったと思う。

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自衛隊で体験したことを綴ったストーリーです。

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