田中長徳ブラパチワークショップでいろいろなことが判明した。町歩きの記憶と町歩きの現実って摩訶不思議で実に面白い。🦉12/11NEW🦉
昨年の10月からブラパチワークショップがスタートした。この前の日曜日で15回やったことになる。そして来年の1月13日に予定している新春恒例の開運フォトワークショップで16回目。ただし今年の11月には私は捻挫をしてしまったので1回休みになった。老人だからといって体に自信を持ちすぎてはいけないカメラも体も資源も大切に使いましょう。
木村伊兵衛さんの有名なスナップショットで本郷森川町の交番を撮ったというのがある。昔ながらの小さな交番に警察官が立っていてねじりハチマキのおじさんと何か話をしている2人とも向こうを向いている。
その前を立派な洋服を着てソフトかぶった地元の紳士が歩いている。何か不思議な感じがしたのでよくその人の足元を見たら草履を履いているのである。今見ると変だけど昭和20年代にはこれはごくごく普通のファッションだったのだ。
この名作は木村伊兵衛さんにしてはスナップショットに登場する人物がちょっと多すぎて整理がつかないのであるがそれがこの写真の魅力になっている。私が撮影を手伝ったドイツの映画監督フォルカーシュレンドルフの映画でもやたら不自然にたくさんエキストラさんがいるのであった。その方が現実の風景には近いようである。
木村先生がその名作を撮影したのは昭和29年である。地下鉄丸ノ内線が開通した年である。木村先生はお住まいは日暮里の方だからそこから丸の内線を乗り継いで本郷三丁目までおいでになって森川町を撮影なさったのであろうか?
画面の真ん中におかっぱ頭の男の子がもろにカメラ目線で木村名人のライカを覗き込んでいる。年の頃なら7歳位だからこれは私田中長徳の分身かもしれない。
本郷と言う街は私の生まれた文京区音羽の次の山の先にある街なのである。でも地下鉄に乗ると2つ先の駅だから子供の頃はすごい遠方だと思っていた。それが小学校低学年の時に買ってもらった16インチのブルーメタリックの子供用自転車でその補助車が取れた初日私は自転車をどんどんこいで本郷まで行ったのである。自分の世界が新たに 開けたような気がした。
でも帰りには道に迷って結構大変だったらしい。
それで時代がずっと最近のほうに移って27〜 8年前の話だ。当時MONOマガジンと言う雑誌に私は連載を持っていたしこの出版社からたくさん書籍を出版した。1000ページのカメラの本なども出した。
ニコンのクールピックスの850だったと思うけれどもそれにフィッシュアイコンバージョンレンズをつけて東京中取り歩いたのである。そのタイトルは東京フィッシュと言うのである。魚眼レンズだからそういうタイトルにしたのだがこれはおそらく日本で1番最初に出版されデジタルカメラによる写真集になる予定であった。
MONOマガジンの社長は今井さんと言う立志伝中の人物で結構怖いおっさんであった。素人モデルの工藤夕貴を使って東京散歩カメラと言う豪華天然色写真集を出すときには1分間で話が決まったのである。でも経営者の時代を見る目というか気まぐれなところがあるからこの東京フィッシュと言う写真集はテスト印刷まで出ていながら結局市場には登場しなかった。そんなことをすっかり忘れていたのだが30年後になってこの前の日曜日に本郷森川町の公園でワークショップの話をしているときに私がお話をしているベンチの脇にあった不時着した空飛ぶ円盤みたいなものを見てみて急に30年近く前の話を思い出したのである。この空飛ぶ円盤を撮影した記憶があるのだ。
人間の記憶と言うのは実に不思議なものである物体を見せられある空間に立つと何十年も前の記憶がするするとほぐれてくるのである。それでせっかく記憶がほぐれたのでそのまま立ち去ってはもったいないから参加メンバーのカメラをここに置いて記念写真をした。
今回はカメラ友達の盆小原さんと言う人が飛行機で福岡から参加してくれた。いつものブラパチワークショップではカメラの記念撮影をした後に福岡にお住まいの盆小原さんを日本野鳥の会の会長に見立てて、参加者のカメラの与党と野党の比率をそして鳥の種類を判別してもらうのである。ところが昨日は盆小原さんが本郷にいたのでご本人も何か割り切れないような表情していた。
東京の街は不思議に満ちている。普通の皆さんは銀座新宿渋谷青山赤坂六本木あたりを歩いているのであろうがそれでは本当の東京の面白さわかりませんよ。
森川町2つ目の別の公園私はワークショップの続きで皆さんにお話しした。話し始めてしばらくたったら公園の向かい側自動車修理工場なのである。日曜日の午後と言うのにいきなり業務が始まってあたりは大変な騒音になった。
最初は向かいの公園ででかい声で話しているヒゲのじいさんがうるさいからそれに対抗して追っ払う意味で自分の工場の機械を持ち始めたのかと思った。ところがどうもそうでは無いようで閑静な本郷森川町の日曜日の午後の街の一鶴に響き渡るようなでかい音なのである。これで近隣住民は自動車修理工場に対して何も文句を言わないのだろうか?
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