西暦2000年と言う年に、ソ連製のハッセルブラッドの金属シャッター幕にサインをした
あちこちで講演会をやったりトークショーをやって地球上を行ったり来たりしていた四半世紀前のことである。記憶しているのは確か関西の方だったと思うけど、あるいは間違えているかもしれない。
ソ連製のハッセルブラッドのコピーであるサリュートに求められてサインをしたのである。
35ミリカメラでフォーカルプレーンシャッターのカーテンに文字が入っていると言うので考えれば、戦前のライカのボールベアリングがが入ったのがある。このモデルは、シャッター幕にkのイニシャルが入っているのである。戦後になってからはニコマートなどに入っている小原スクエアと言う金属シャッターがあるが、これの初期モデルにはまさに小原スクエアと言う文字列が登場する。
しかし35ミリ版よりも66サイズでしかも金属膜であると言うのは非常にサインがしやすい。それでこんなことになった。そのようなわけで、すっかり記憶から消されていた私がサインをした物件が、東京のどっかの飲み屋の酒の席に出てきて大笑いになったらしい。その話をFacebookに拾って画像をいただいたのがこのショットである。
私の読者の方で、オーソグラフィが好きと言う方がよくおられるようで、適当な紙がないと自分のメモ帳の裏のほうに書いてくださいとか、それはそれで非常にありがたいことではある。
いつだったか、大阪の方でライカM2のボディーに書いてくださいと言うので、カメラのファインダーのウインドウに書こうとしたら、それはやめてくれと言うので、ライカのトップカバーにサインをしたこともあった。
サインをしたライカで忘れられないのは10年ほど前に南千住を歩いていた時に、どっかのおじさんが自転車の荷台からものを落としたのである。それで私はそのものを拾って自転車のおじさんを追っかけて落とし物を渡したのであった。
この騒ぎで通行人が振り返っていた中で、1人の青年が私に声をかけてきたのだ。その人は私の読者さんであって、それは良いのだが、その後その青年が見せてくれたライカエム4なのであるが、驚いたことに。映画監督ビームヴェンダースのサインが入っていたのである。
その貴重な映画監督のサインは、削れて消えないように、プラスチックのシートが貼ってあった。
ライカの本体にサインをした記憶で、他に忘れられないのは、私が長年使っていたらライカエム6である。そのカメラを持ってライカの社長さんに会ったときに、彼はなかなか気の利くゼントルマンであるから、私のライカにーー田中長徳様、私の尊敬する写真家とかうまいことを書いてくれたのである。
それからしばらく後にちょうど東京カメラクラブをやっていた時なのであるが、会計担当の松崎さんと言う人がいて、この人は本物の会計部長なのであって、カメラクラブの不払いの会費を集めるのが得意な人だった。金を出せと言って手のひらを出すから、みんな払わないわけにはいかないのである。
その松崎さんが私のライカを欲しいと言うのでお譲りしたのである。それから1ヵ月後位経過して、私が松崎さんに会ったときに私がが譲ったカメラを見たらライカの社長のサインがきれいに消えているのである。私がそのことを言おうとしたら
あー、あの外人の汚いサイン?
大丈夫消しておいたから、、、
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カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは…
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