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まずずいぶんいろんな国の軍用カメラを使っていた。アメリカ軍が自分の国のために作ったライカコピーのカードンとか西ドイツのオリーブ色の国をカメラライカM3などである。
自分のカメラをタクシーに忘れたのは初めてである。それが結構ショックで、これはお昼でも食べなければならないと思って目の前にあるお店に飛び込んで、自分の馬鹿を賛成するつもりで目の前を見たら私がハノイで1番好きな街のコーナーであるので、少しは慰められた
2000年と言う時に初めてハノイに行った時に路上で営業している床屋さんが非常に面白く思った。だからその時出した写真集でも床屋さんが出てくる。
四半世紀以上前のことになるけれども、高輪にカメラ屋さんがあった頃にそこに行く道の行すがらに突撃さんに出会ったのである。ライカエム4のブラックペイントを持っていた。それでライカの話が弾んだわけだが、突撃さんが私を認識したと言う事は、私が既に本を出していたから、知っていたと言う以外に考えられない。そうでなければ私は単なる通行人であって、突撃さんは私の認識のしようがなかったからだ。
コミュニティバスに乗るのに結構はまっているのである。普通の路線バスとは関係ないような路地の奥まで入っていけると言うのと、一旦乗ってしまうと降りるまでどこを走っていたのか全くわからないと言うところも素晴らしい。
日大の写真学科の学生の私が最初に取るところは銀座であった。それから新宿に行き、神田に行き、色々と訓練を積んで最終的に行ったのがモノレールができた頃の羽田空港である。