マガジンのカバー画像

チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
¥1,000 / 月
運営しているクリエイター

2024年10月の記事一覧

デジタルライカにつける偽物のレンジファインダ照明ウインドウシール

どこかのカメラ屋さんでライカエム10より後のデジタルライカボディーにシールを貼ってクラシックなライカのようにトップカバーにブライトフレームの光を取り入れる窓のように見せると言うバカバカしいシールを売りに出した。何枚分か知らないけどこれが5000円位するんだすごいなぁ。 仕事でライカエム10を使ったときに非常に使いにくいと思ったのは撮影直前にファインダーの中にLEDでブライトフレームが登場するんだけどその時の音というのが結構でかくてシャッター音と勘違いするんだね。まずデジタル

東京ニコン日記より、東松、ダンカン、三木さん20241031

東京ニコン日記は、ニコンのブランドが登場した50年をタイアップして出された戦勝版の800ページ近い写真集である。

¥200

御茶ノ水の聖橋と永代橋が同じ設計の人とは考えられない

永代橋は私にとって最初の現代的な橋であった。自分の生まれた文京区の音羽から長い長い路面電車に乗ってようやく着いた。日本橋からさらに東のほうに行くと、ブルーの鉄橋が隅田川にかかっている。それを超えると、もう別の世界と言う感覚がして、その先にあるのが深川の不動様であった。

¥200

オンラインで使う画像にどれだけのシャープネスが必要か?

我々の日常のコミュニケーションの手段と言うものはSNSである。SNSにアップする画像はiPhoneで充分である。

¥200

なぜ実際に撮影したテストフィルムをつけたのか?

ロードカメラにはこの時代のもののオリジナルパッケージを探すのはなかなか大変なことである。そして注目すべきはこの時代のオリジナルのパッケージと言うのは取扱説明書とか保証書だけではなくて、実際に出荷されるときにこのカメラのこのレンズで撮影されたテストフィルムがちゃんと添付されていることなのだ。

¥200

コンタックスのネームプレートは、ドイツ語よりもキリル文字の方が

ウィーンに暮らし始めた頃に安くて、使いやすいカメラがないかと探していたら、ベートーベンが十何回目かの引っ越しをした。中心部からちょっと町外れにあたる古い建物の1階がカメラ屋さんで、そこでソ連製のコンタックスを発見した。

¥200

写真家の視神経の変貌2

Sudekが、第一次大戦前自由で右腕を今ヨセフの失った後の作品である。光に対する美しい反応と言うよりも、ここでは雲を見据えた。もっとどっしりとした視神経が構築されている。

¥200

1983年1月1日のツインタワービル

この時住んでいたのはタイムズスクエアの近くのホテルである。ドルレートが280円の時に1週間で130ドル位するコストだから結構高かった。それで大晦日の大騒ぎをタイムズスクエアで体験した後にマンハッタンの全体が撮りたくなって、フイルムはフォルダーに1枚だけ残っていたのを持ってアンダーグラウンドに乗ってBrooklyn Heightsに撮影に出かけた。

¥200

写真家の視神経の変貌

Josef Sudekの場合は、第一次大戦でイタリア戦線にいた時に、友軍に間違って攻撃されて右手を失ってしまうのである。それから彼の本格的な写真家の仕事が始まったと言うのは結構皮肉なことである。

¥200

Canmeflexフレックスが1番様になる

^_^フランスのエクレールと言うフィルムカメラメーカーは映画な発明された当初からの代表的なカメラメーカーである。戦前はどこにでもあるような長方形の本体のカメラを制作していたが、戦後になって手持ちカメラにふさわしいムービーカメラを登場させて、それが一世を風靡したのであった。

¥200

スターリンの赤い星

私がヨーロッパに暮らしていた頃は、社会主義のヨーロッパが存在したから、その社会主義の国にぐるりと囲まれたのがオーストリアなのである。

¥200

プラハのアトリエの日時計

まだiCloudが実用化する。以前の話であるが、文庫本を1冊書くので全部の半分ぐらいまで書いたらそこでハードディスクがクラッシュしたのである。今では考えられないけれども、それで仕方ないのでいつも宿泊しているイスタンブールのブルーモスクの反対側のトルコの安いホテルで、左は最高裁判所と言う変なロケーションのホテルに3週間ぐらい宿泊して原稿を書き直したことがあった。

¥200

プラハの夕暮れを何回見たか?

 プラハのアトリエに34年間住んだと言うと皆さんびっくりするけれども、それは34年間ずっといたわけではなくて、プラハに2週間位で東京に3ヶ月いてプラハに3週間いてと言うような事の繰り返しの時間をトータルで計算してみたら全部で34年になったと言う意味だ。1989年のビロード革命の直後からここに暮らしてビロード革命四半世紀の2014年だったと思うけど、もうここに暮らすのは充分だと言う認識が生まれたのである。

¥200

カワウソさんが、お酒の相手

いつどこで買ったのかわからないが、木の葉の形をした器であって、カワウソさんが水辺で魚をとっていると言う構図がなかなかいい感じの筆先で描かれている。

¥200