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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
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2024年9月の記事一覧

スーパースライドと言う存在

ローライフレックスは6 × 6-2ガンレフであるが、当時の商品構成としてはそれよりもワンサイズしたの127フィルムを使う4センチ× 4センチのサイズは夫人嘔吐みなされていたようである。

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南に向かって歩く

10年位前の事だったと思う。秋の非常に素晴らしい天気の午後であった。その時は私はプラハの東側の労働者外にあるネオルネッサンス様式の空色のホテルに宿泊していた。手元のライカエムファイブとモノクロフィルムを5本だけ持って、ぶらぶらと南に向けて歩き出したのである。

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ブラックロードで写真が変わるのか?

54年前の大阪万博に撮影に行った時は私が持参したのは1台のクローム仕上げのロードカメラであった。それでたくさん写真を撮って1970一年のニコンサロンの個展では、ロードカメラで撮影した写真をたくさん展示したのである。

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京都と言う街は、上から下を見下ろすには向いていない

カメラジャーナルの連載で安原カメラを持って出かけたところが京都であった。レンズはコシナレンダーの50ミリef 1.5がついていた。この大振りのレンズは意外と安原カメラに似合うのである。

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チューリップの花と、大仏の頭

チューリップの話すと大仏の頭と言うのは落語の三題噺みたいで何のことかわからないであろうがちょっと聞いてください。ウィーンの8年間にはいろいろな面白い人とか素晴らしい人とお付き合いがあったが、中で1番面白い人と言うのは日本の有名な大学の跡継ぎのお嬢様であった。ウィーンに音楽の勉強をしにきたのである。

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安原カメラの思い出

カメラジャーナルと言う名前の100円、雑誌は90年代半ばから10年位毎月発行していた。最後の1年は普通の同人雑誌みたいな暑い出版物になったが、最初の9年は8ページのペラペラなパンフレットの安いやつみたいなもので、ヨドバシカメラに並べておくとお客さんがタダだと思って持ち帰ったりしたので、後でプライスタグをつけるようにしたのである。

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フィレンツェ製のライカコピー、セカンドモデル

1947年にイタリアのフィレンツェで作られたエレクトラと言うカメラは、ごくごくシンプルなライカのスタンダードモデルを真似したようなタイプであった。それで最初のいわゆるモデルであるが、これはブラックの結晶仕上げで、なかなか存在感があって、好きなカメラである。

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 人類が2人歩いて行く

人類が歩いていく。後ろ姿と言うのは、人類が写真を観察するときの最もシンパシーを感じるシチュエーションの1つであると思う。だから1番有名な人類が歩いて行く後ろ姿と言うものは、友人スミスの撮影したタイトル忘れてしまったけど、楽園への歩行だっけ?あの種類のわかりやすい写真と言うのはちょっとポピュリズムすぎるところがあって、それは気に食わないけれども、写真を理解する。共通点としてはそれなりに有効だと私も考えるのだ。

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ウォーカーエバンスが撮った家族の記念写真

私の尊敬するウォーカーエバンスは、1938年から2年ほど当時の大不況の状況を記録する。アメリカ農業保全局のアサインメントでdeepサウスを広く旅行している。

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 1974ウィーン

人物スナップと言うのは半世紀やり続けてもなかなか思うように取れないところがある。特に少年少女のスナップショットと言うのは2つのやり方があって、1つは出会い頭にノーファインダーで撮影してしまうことだ。これだと非常に自然なスナップショットが取れる。これがまずその良い例と言うわけだ。スナップショットのカメラの高さと言うのは、目の高さと言うふうに決まっているわけではないのである。

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しまおと私1981中国広州

島尾は、私の古い友人である。もともと私は日大写真学科だったし、彼は東京造形大学だから何の接点もないと思われているが、高梨大写真家の若い友人ということで高梨自体が何かの雑誌に島尾のことを紹介していた。それで関係ができたのだと思うけれども、細かいところはよくわからない。

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ライカウィルスを感染させたぞ!

聖路加病院の主治医のたくちゃん先生は私のカメラ本の読者である。この前診察の時にやはりライカを買わなければいけませんよとライカウィルスを撒き散らしたら見事感染してこのカメラを手に入れたと言う。 そういえば30年位前に腰痛で順天堂大学に入院していた時に、院長先生がナースステーションに私のネームプレートを見て夜バラの花を持ってお見舞いに見えた。院長さんも私のカメラ本の読者なのである。 私が退院しても院長先生とはお付き合いがあってあっちこっち飲み歩いた。その時に院長先生が言うには

使うならここら辺のライカがよろしい

たくさんのライカ関係の本を出しているし、0間マイライフなどと言う。すごいタイトルの本も出しているので、四六時中ライカと一緒にいると勘違いされるのであるがそんな事は無い。

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カテドラルを撮影するのは大変な作業である

仕事の関係上、世界中の歴史に残る巨大なRoman Catholicあるいはプロテスタントのカテドラルを撮影してきた。長く住んだウィーンに存在したシュテファン大聖堂もそのうちの1つである。かなり狭い旧市街の中心の重要な部分を占めているのであるが、このカテドラルの全景を正しく見た人はいないというのが私の考え方である。

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