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1973年5月11日の午後であった。ウィーンに到着して最初の町歩きの時ウィーン中心部の結構大きなチェーン店のカメラ屋さんのウインドウにこのカメラが展示してあった。
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デビットダグラスダンカンが朝鮮戦争を取材に行った時、持参したレンズに5センチと13.5センチのニッコールレンズであった。ニッコール伝説によるとその直前に世界的に有名な報道写真家はニコンのレンズ工場に行って、その優秀さにびっくりしたと言うのである。
2013年11月19日。プラハ。
ハッセルブラッド生誕100年のプレスツアーでカメラは何を持っていこうかと考えた。といっても私が使っているハッセルブラッドの1番新しいモデルは1957年に作られた500 Cである。
2005年にハッセルブラッド生誕100年と言うことでスウェーデンのヨーテボリに取材に行ったのであった。その時いろいろ面白い事実に出会ってそれを本にしたのがハッセルブラッドのムックである。
ガラクタ屋さんで買うものは、ほとんどがカメラとかレンズとかアクセサリーであるが、この虫眼鏡は私の視神経の日常にせがまれて買った数少ない実用品のうちの1つである。
写真家の小松さんは半世紀近い友達である。私の1970年代のウィーン時代に東京カメラクラブの田村さんから紹介された。小松さんは50年来世界中の人の暮らしを撮り続けている人である。
戦後になって、いろいろなメーカーでゴールド仕上げのカメラをたくさん出したが、どれも空振りであった。その中でただ2つだけゴールド仕上げで空振りでなかったレンズが存在する。それがこのゴールデンリコー16である。もう一つはパックスゴールデンビュー。
アンリカルティエブレッソンが常用しているレンズは50ミリの標準がもっぱらであるが撮影旅行に行く時がその他に90ミリも持参した。彼の撮影の視神経は全部5センチだと思っていたのだが写真集をよく観察すると非常に距離のある撮影シーンでその距離感はまさに5センチなのだが実際には9センチのレンズを使って撮影している。
日本にコンテンポラリーフォトグラファーズと言う四角いハードカバーの写真集が入ってきてこれが50年前の若手写真家つまり我々に多大な影響を受けてその後コンポラ写真になると言うブームが起こったのも大昔の話である。
エルマーレンズでもテッサーレンズでも4枚構成が標準と言うことになっている。それより下1枚レンズ構成の少ないレンズが好きなのである。理由はよくわからないが、レンズ構成が少ない方が、逆にレンズの余計な濁りとかゴミとか数が少ないから、ちゃんとした写真が映るのであろうと言う初心者的考えが常に半世紀以上私の頭脳に存在する。
ファーイーストの無名のレンズを発見したのは、戦争写真家デビットダグラスダンカンであった。ライフの写真家であった三木淳がデビット、ダグラスダンカンのポートレートをニッコール8.5センチで撮影してそのプリントを見せたら、デビットダグラスダンカンはそのシャープネスにびっくりしたと言う伝説である。