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1964年に今はもう存在しない都立新高校の体育祭の練習のショットだカメラはニコンエフでレンズはニッコール28ミリである。都立新高校と言うのはちょうど戦後のベビーブーマーのために作られて私の高校3年生の時に確か創立10周年を祝っていたのである。その記念式典に私は参加せずに勝手に記念式典の会場を動き回ってかなりネガティブな写真のシリーズを撮影してその写真を自分で構成して8ページのネガティブキャンペーンみたいな感じで当時のカメラ雑誌カメラ時代に8ページほどモノクロームで掲載したので
1970年に大阪の万国博覧会に行った時に持っていったカメラがロードと言うアマチュア用の40ミリの広角レンズがついたコンパクトカメラであった。それでエキスポをたくさん撮影してその翌年の1971年に銀座のニコンサロンで写真展を開催したのだが展示した作品の25%位はこのロードカメラで撮影したものだった。
カメラと言うものは人が持っているカメラがよく見えるものである。隣の家の芝生がきれいに見えると言う古今東西の心理はフィルムカメラの選び方にも影響を与える。
85ミリの明るいレンズと言うのは存在の魔物みたいなところがあって5年にいっぺんぐらい手に入れてしまう。パリのメゾンドライカに行った時、Su,marex 85/1.5があったのでついフラフラと買ってしまった。結構使われているレンズなのでコレクターは相手にしないのだが私のような実用主義の写真家はそれで充分なので手に入れたのだけれども、手に入れた理由と言うのはそれよりもこのイラストにあるのと同じオリジナルのレンズフードが付いていたことによる。
1970年頃にちょうど20代だった連中がしびれたのがいわゆるコンポラ写真と言うのである。とにかくいきなりアメリカからハードカバーの真四角な薄い写真集が輸入されてコンポラ写真と言うブームになった。実際のところは日本がストレートフォトグラフィーと言うアメリカで19世紀から定番となっている写真表現の黒船に初めて出会ったのが1970年と言うことである。
四半世紀ほど前に中古カメラブームがあったときに日本カメラだったと思うけれど坂崎幸之助さんとよく中古カメラ対談と言うのをやった。思い出すに中古カメラクルージングとか称してあらかじめマークした東京の中古カメラ屋さんを5つかそこいら回るのである。
片岡義男さんに最初にお目にかかったのはある大手出版社の雑誌の対談であってこれが20年位前だった。それから5年ほどほとんど毎週あって東京の周辺部の街を撮影して歩いた。片岡さんの間で東京の周辺部の写真集を作ろうと言うことになって大手出版社の担当編集さんもよんでずいぶん宴会をやったりしたのであるが、片岡さんぐらい偉い人であってもなかなか売れない写真集は大手出版社の責任者はオーケーを出さないのである。
1969年の8月にニコンサロンで最初の個展の東京シリーズをスタートさせたのであるが、その前の年が1968と言う年でどう思い記事1968と言う年代はブームになって何か非常に中男男後の時代の発火点みたいな評価の仕方であって確か東京都写真美術館でも10年位前に1968年をテーマにした企画展というのがあってミュージアムに収蔵されている写真の数点が使われたことがあった。その企画展はその後に韓国の方にも巡回したらしい。
マンハッタンのブロードウェイと5番街がゆるく交差する所の三角型の狭い狭い土地に立っているのがフラットアイアンビルディングである。確か1904年に竣工したと思うが当時はかなり話題になったのはまだEmpire State Buildingも、Chrysler Buildingもできていない時代だったからだ。
西ドイツはデュッセルドルフで作られたロボットカメラ。もともと第二次大戦中は飛行機に積んで空中撮影に使っていたのであるが、戦後になってから東西世界のスパイ合戦と言う新しい分野を見出して結構東西のスパイが使っていた。
中学生の頃に最初に手にした8ミリカメラがArcoの3本ターレットで当時最高級のカメラだった。定価が77,000円もしたのである。それを半額の40,000円にちょっと切れる位で中古で買ったのだがそれでも大変な高いカメラである。その頃この高級8ミリカメラを持って中学から高校にかけては公式カメラマンと言うことになっていて高校の旅行なので話好きな女の子をかけ回したりしたがそれをちゃんと編集して視聴覚教室上映会もやったのである。
1950年代の終わりの頃に国産一眼レフが各社から次々と発売された頃の話である。まだ交換レンズのラインナップと言うものは存在しなくてそこら辺のありあわせの100ミリとか135ミリのレンズでお茶を濁していたのである。でもこーゆーレンズを見てすごいなと思うのは必要は発明の母とはよく言ったものだと言うことだ。これはキャノンが1番最初に出したキャノンフレックスに使える最初の一眼レフ用のレンズなのである。外見を見て分かるようにこれはレンジファインダーのキャノンの100ミリそのものを一眼レ
1973年の5月だから50年前になるがウィーンに到着した直後にウィーンの友人のアンティークに詳しい奴に教えられていた古道具屋さんで買ったのがこの缶入りのカメラである。このお店はウィーンのちょっと西のはずれのところにある冴えない古道具屋であるがウィーンのアンティーク関係のバイヤーが珍しいものを第一次産業的に探しに来るので知る人ぞ知ると言う店なのだ。
世界的に有名な写真家と話をする機会はいろいろあったがその中の貴重な機会の1つはストリートフォトグラファーの巨匠リーフリードランダーであった。いつだか忘れたけれどもうコンタックスジーワンが出た最初の月にそれは秋でドイツのケルンで大きなカメラの見本市フォトキナが開催されていたのでその時私はコンタクト取材に行ったのである。