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1969年の8月31日と言う日は私の銀座ニコンサロンでの最初の東京の個展がスタートした日だった。お天気は初日はあまり良くなくて小雨が降っていた。すでに51年の昔になるのである。当時のスタンダードと今の写真に対してのスタンダードの認識の仕方が全く異なっていると言うことには驚かざるを得ない。私の展示方法は四つ切りのプリントをドライマウントで固定したものを隙間なく会場に並べたものであった。全部で120点以上あったと思う。
猛暑である。老人なので熱中症を恐れて佃島の室内にこもって原稿書き何かやっていたら午前中の郵便でこの写真集が届いた。この写真集の良いところはまず軽いことである。しかもハードカバーであるから手に取りやすい。歳をとってわかるのであるが私が出した写真集はほとんどがハードカバーである。ハードカバーで2.5キロの重さのものを手に取ったままでページをめくるのは老人には重労働である。
ライブラリのメンバーから、森タワーの4fのampmが一月末で閉店になるという話を、 51fのヒルズクラブでランチを食べている時に聞いたのには吃驚した。 明日からランチはどうしようかと思ったのである。 この数年来ランチに食べているのはこのような写真の食品であって、これが仕事モードに は一番良い。 合計日本円315円なり。 クラブでランチもいいけど、毎日行くと社員食堂のような感覚になってしまうのが面白く ない。だから、ゲストが居る時には利用するけど、それ以外には上の状態がヒルズで
2眼レフワークショップと言う子顔レフの話と自分の作品を交互に入れ込んだハードカバーの本が10年近く前に出ていてこれは今でも印税が定期的に入る結構ロングランな私の本なのである。そこでいろいろな当時の2眼レフカメラで撮影した作例を載せているのであるが、戦後に作られた初期のカメラが私は大好きだ。新しく生まれ変わった日本のために優秀なカメラを作ろうと言う意気込みがそこに感じられる。意気込みが感じられるので材料もしっかり使ってあるからどうしても重くなる。オリンパスフレックスもその1台で
路上観察のネタとして肉屋さんなどで掲示している共食い看板と言うのは町歩きのイベントの中では既にスタンダードとなっている。要するに豚さんがコックさんの帽子をかぶって自分の肉をステーキしているところなどがいわゆる典型的共食い看板である。ブラパチワークショップの途中で秋葉原の肉の万世の広告で共食い看板が掲示されていてワークショップの参加者と話題がブチ切れたこともあった。
まだ30代の頃にニューヨーク近代美術館に1年間行ってアメリカのいろいろな写真を見てきた。1番注目していたのはロバートフランクであるがウォーカーエバンスもかなりたくさん見た。アンセルADAMASは面白くないからなぜアンセルが面白くないのかと言うことを検証するためにこれもかなりの数を見た。
朝、六本木駅で「楽しみにしているイヴェント」が2件ある。 ひとつは、以前にも書いた、東京メトロの遅延のおわびの掲示板である。これを「電光ニ ュース」というのは、自分のようなじじいの言い草であって、今はもっとモダンンな名称 があるのであろうが、それは知らない。
アメックスのプラチナ会員に送ってくる機関誌がある。タイトルは他のそういう手の機 関誌と同様なのでそのタイトルが思い出せないが、年間10万円の会費だから印刷の紙 だけは良い。 同様の機関誌にダイナーズの機関誌がある。その最新号が「カメラ特集」なので、滅多に そういう雑誌は見ないのだけど(たいていは積んだまま、ゴミ箱)それを開いてかなり驚 いた。主力の一眼レフ(当然のデジタル)の各種が1頁が1人のカメラマンで構成されているが、それはそれぞれのカメラマンの業界の仲良し仲悪し関係とし
3年ほど前にガラクタ屋さんで買った新品の頃は200,000円以上したカメラがこれである。オリジナルのパッケージから取扱説明書から全てついていたが前の持ち主は大切にしすぎてほとんど使ってなかったらしい。こういうそこそこに高級なカメラの値段の彼方と言うのはかなりすごいものがあって最近のGDPの20何%下落といい勝負である。
小池徹さんは大田区の出身でペンネームがのみかわと言うのである。のみかわは大田区を流れる有名な川で彼は8ミリムービーメーカーとして夢を馳せていた。それで私も真似をしてのみかわをずっと歩いて下のほうに行ったこともあった。
ライカにしてもコンタックスカメラにしてもそうだがすべての1番最初のモデルと言うのは真剣に作っているからその存在感は半端ではない。しかもデザインから考えても1番優れていると思うのが私の考えである。
東西ドイツが2つに分かれて西ドイツでできたのがOberkochenのカールツアイスである。当初は新型の西側のコンタックス用の広角レンズの供給ができなかった。それで本家の東ドイツになったカールツアイスJenaがTopogon 25mmを制作して供給したのである。敵国の陣営に塩を送ると言う感じだがなかなか友好的な感じが好きだ。ごく初期の西ドイツ製のコンタックスも標準レンズの5センチのやつはカールツアイスAus Jenaである。
猛暑なので外出はしない。5年前のFacebookを見ていると猛暑にもかかわらずよく外出をしているのはまだ若かったからである。大昔ラジオ深夜便で新聞の広告に私のことが出て並んでいたのがItuski Hiroyuki さんであった。さらばモスクワ愚連隊などで私の大学時代には気を沸かせる作家だった。家人はラジオ深夜便の時間帯によく聞いているらしいのでこの大作家の近況と言うのを伝えられて面白いと思ったのは、80代半ばになると外出がめんどくさいばかりか室内でこっちの椅子からあっちにの椅
カメラ人類として若い頃はカメラのエバレディケースなんて全く興味がなかった。それが還暦を過ぎた頃からだんだん興味が出てきたのである既に10年以上前であるがアサヒカメラに還暦からの写真の楽しみ入門と言う連載を3年位やった。その連載でいろいろなことがわかったのである。