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田中 長徳 2015年6月29日 ·Facebookの記事より あたしがヒゲタ醤油の末えいであることを知っている友人からギャラリーバウハウスでいただいた。明治39 年読売新聞発行。表四の田中ゲンバがあたしの先祖。当時東京駅はまだできていない。
私のカメラノートの関係者がまた京都に出かけたようである。初めて川床で食事をしました。とある。私は最近あまり京都に行く事はないが何かの拍子に鴨川を見ると床を建設しているところがあるいは床をばらしているところがそのどちらかにしか言う偶然出会うことがない。川床と言うのは実際に食事をすると言うのではなくて私の場合そこに京都の季節の移り変わりを感じるのである。ところで、10年以上前に京都に行った時に京都の人にこのガストロノミーの正確な言葉を教えてもらった。
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毎月1回開催されるブラパチワークショップである。今回は100年に1度の銀座案内と言うタイトルで行ったのだがそれには理由があった。アサヒカメラが残念ながら94年と言う歴史に6月20日の発売で終止符を打つことになった。もう一つは長年銀座で同じ味だったニコンサロンがこちらのほうは10月で終わりになってしまうのである。だから今回のブラパチワークショップはこの2つの偉大なモニュメントを追悼する市民集会と言うことになった。
北斗レンダーのユニークな2眼レフである。このメーカーは歴史的に重要なのに制作した2眼レフは2種類しかない。すなわちこの高級生ともう一つは初心者向けのようなシンプルなカメラである。しかもどちらもよく映るので冷静に考えてみるとこの種類のカメラに高級機はあってもそれはあまり市場としての存在感は無いのかもしれない。
鴨川に面した最高のロケーションにあるこのチャイニーズレストランは反対側は南座があるしおそらく京都にたくさんあるロケーションの中では1番ナイススポットだと思う。1970年代にヨーロッパから1時帰国した時に当時は6階建てであった京都ホテルに止まったりしてそこに極東の神秘を感じたりしたものだった。しかしそれから20年後位後に京都ホテルは今のようになってしまった。京都としてはかなりの高いビルと言うことで、いつだったかリザベーションの行き違いでホテル側がお詫びと言うことで最上階のロ
バケツリレーと言うのは極めて日本的な防火体制だと思う。戦前の政府が発行した爆撃に対する国民のやらなければならない指標と言うのをポスターにしたのがあってそれは実今見てもかなりグロテスクかつナンセンスなものなのである。要するにアメリカから焼夷弾の攻撃を受けたら隣組が力を合わせて火を消す止めろと言う無理な話である。
琵琶の思い出にはたくさんある。古い街を歩いていて街角にあるちょっとした時木が琵琶の木であると言うことに気がつくと何か呼吸が深くなるような気がする。その琵琶の木の味そのものはそんなに好きでは無いのだが家人のお弟子さんが1時たくさんビワの実を季節になると送ってきてくれた。錦での大きな鉢に山のように積んで部屋に置いてあったが私はお付き合いで一個食べるだけで残りは全部家人が食べたのである。
上野駅のエスカレーターも短いが、京都のヨドバシカメラのエスカレーターの短さにいつも感心する。最も73歳の老人の私にしてみるとこの1ヵ月ほど左足首の捻挫の傷がぶり返してきて1時は歩行困難なことであった。おかげさまで今は歩行ができるようになったが、この年になると階段10段分のエスカレーターというのがそれなりに大事なのである。
カップ酒と言うものをあまり飲んだことがない。その中でも好きなのはこのブランドである。ところが東京だと2ヶ所でしか売っていないひかはっふだが関西では普通にスーパーにあるようだ。話に聞くと三重県の鈴鹿市あたりでもスーパーで普通に売っているようである。私の場合このブランドを飲むのは葛飾区に行った時であって西新井の駅から歩いて、今はもうなくなってしまったリスボン公園の隣にある酒屋さんの自販機で買うのである。確か130円だった。
ライカが新型のAPS-Cレンジファインダカメラを出したので逆に15年前に出たエプソンのカメラの人気が出てきたぞ