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291本目のレンズ修行を終えた伊藤阿闍梨からの情報で食安が解体されてしまった。もたれて飲むのに丁度良かったガス管も撤去されてしまった。
コロコロウィルスで外食産業が大打撃である。
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知り合いが羽田国際線第2ターミナルオープンと同時に空港で働き始める予定が自宅待機になってしまった。欠航になっても電光掲示板は表示されるのだな。
銀座8丁目の寂しいお魚 1973年頃オーストリアウィーンにいた時に友達のピアニストが2冊の日本語の本を貸してくれた。そのうちの1つはかもめのジョナサンであってもう一つが寂しいお魚であった。どちらも単純なアメリカ人の好む。精神的向上を目指すようなレベルの低い本なので流し読みをしてしまった。でもこの2冊の本は70年代初めのベストセラーであったらしい。そのピアニストの女性は20代で若くして亡くなったので時々思い出す。
ちょうど5年前の1月にひどい帯状疱疹にやられて左手が全く使えなくなった。左手の感覚異常であるからこれは辛いものすごい痛みである。それで左手が普通の手のひらの幅の3倍位に膨れたのである。こうなるともはや何もしたくなくなるのであるが5月になったら少しは腫れがひいてきたので、パリに撮影に行ったのだった
我が家の小鳥の歴史はライカインコ社会主義人民共和国と言って、ライカ銀行4代にわたる独裁政権であった。最後のライカ銀行が11年前に昇天したときその独裁帝国が滅亡したのである。こういうペットロスと言うのは結構大変なものであってヨーロッパとか赤羽などに行った時に街を撮影するのと同時に私のもっと重要な任務はペットショップで小鳥を眺めてペットロスを癒すと言うことにあった。
最近元気が良いのは宅配便とアマゾンとUber Eatsである。街中のあっちこっちで私が人通りのないところを歩いていてすれ違うのは例の四角い大きなリュックサックを背負ったUber Eatsのスタッフの皆さんである。でもいろいろ噂を聞いてみると労働組合がないからアメリカ帝国主義に虐げられたりしてこれから労働組合を結成しようと言う動きがあったり大変なようだ。
片岡義男さんとは東京の周辺部をいろいろ歩き回って面白い思い出がたくさんある。それでこの前のブラパチワークショップは北区滝野川を歩きまわったのである。もう30年位前から私が好きなのがこの東洋不動産と言う小さな小さな不動産屋さんである。道の反対側から撮影してずいぶんいろんな雑誌に掲載したりした。
コロコロウィルス関係のテレワークが既に1ヶ月になろうとしている。それぞれの仕事場でそれぞれのいろんな展開があって大変なことだと思う。その中でズームで会議をするというのがある。皆さん今日はズームで5本やったからなどと言って安心しているようであるが、管理職と言うのは上からあーしろこーしろと言うだけで司令官の方だから実際に動いているわけではない。お気楽なものである。
四谷三丁目のホテルで知人友人が私の70歳の誕生日のパーティーをやってくれたのはちょうど2年前である。何か晴れがましいような恥ずかしいような非常に幸せな時間であった。生誕70年なのである。友人がその時の古い画像ファイルが偶然デジタルカメラの中から出てきたそうだ。デジカメと言うやつはその意味で全く油断ができないのである。
1976年頃にウィーンで撮影したスナップである。コルゲンコーワの会社が作ったワイドカメラである。こういうものは1950年代にはヨーロッパではちゃんとしたカメラとしては認められていなかったから実際に輸出された事はなかったと思う。日本の友人が暇に任せて送ってくれたガラクタカメラの中の1台であった。その当時私が実際にWienで使っていたワイドカメラはオリンパスワイドだけであったからこれはありがたかった。