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カメラノートスペシャル3月第1弾 私のニコンF2祭り。ニコンF2の将来 1 日本デザインセンターと言う広告の当時はトップクラスの会社で仕事をしていたのは1970年から73年の03年間であった。世の中がこれからどんどん元気になっていくと言う時代に大手の広告代理店で仕事ができた事は希望と現実、失望と現実が半々になっていると言うのが最初の印象だった。
2 ニコンのカタログの仕事でヨーロッパを駆け足で回ったのは1981年のことだった。持参したのは1台のF、二台のF2そして1台のF3だった。
3 ウィーンに暮らした7年半の間にウィーンの写真家から頼まれて何台か個人的にF2を輸入して彼らに元の価格で譲ってあげたことがあった。
4 フイルム交換の時に1番混乱するのである。それ故どっちで裏蓋を外したのを脇の下に挟んでフィルム交換をしていた。
5 最初のニコンエフと第二のエフツーとの巻き上げの感覚の違いと言うのは撮影の時にかなりカメラの身体性を左右するものである。
6 ニコンエフの撮影で1番危険なのは巻き戻しのARリングの切り替えミスである。F2になってから巻き戻しはカメラの底にあるボタンになったのでリスクは大幅に軽減された。
7 F2でもそうだが当時の高級カメラは撮影目的に応じてファインダースクリーンを交換すると言う楽しみがあった。これは実は単なる思い込みに近かったのだが
8 F2はその前のモデルと同じようにミラーアップ装置が付いていた。だから私が最初に手に入れた2.1センチのニッコールはもっぱらFで使っていたのであるがF2にもそのまま使うことができる。これが私の未知の体験なのである。
9 フォトミックファインダーなどを馬鹿にしていた20代の私であった。だからこのカメラは三角形のペンタプリズムが1番良いと思っていた。最近その考えを改めたのである。
10 PCニッコールはニコンの一眼レフで私が1番愛用しているレンズである。何十年間も1番最初のPCニッコール3.5センチを使っていた。70過ぎて初めてPCニッコール28ミリを手に入れた。
11 2021ニコンF2ライフスタイル。こんな感じで構築してみたい。このカメラの使用上の基本はフイルムをたくさん取らないことだと思う。