「逃げ」って別に悪くない
毎日noteする!と言って3週間ほどで毎日更新を途切れさせてしまいました。
noteはもとはと言えば、自分の思考の整理のために始めてみました。実際、書いているうちにどんどん自分への理解が深まったり、あえて言語化しないといけない状況に置くことで、新たな発見があったりしました。
それが自分のこのパンデミックの中での小さな刺激だったりして。
でも、ちょうど先週あたりからですかね?仕事が本当にしんどくて、
なんだか本当に心が擦り減ってしまって、もう常に無気力で、気を抜いたらポロポロ涙が出てきてしまうレベルに到達してしまい、思考も特になくて、、、書けない、、、ということになってしまいました笑
うまいストレス発散の方法が見つからないのは大きい理由だと思います。
これまで海外旅行とフェスでこれまでストレスを大発散させてきた私は、それ以外の手段での“非日常感”の味わい方が分からないんですね。
去年、私はまったく同じ状況になっていました。10月くらいですね。
その時は、それでも逃げちゃダメだ、と強く思って心がボロ雑巾になっても、ちぎれても、とにかく働き続けたんです。
それは根底に、休む=逃げ、逃げ=弱い、悪、というのが自分の中に無意識に刷り込まれていたからだと思います。
でもその結果、丈夫な体も壊して、休日にもうまく笑えない、楽しさが見いだせない、そんな状態になってしまって、あれは私の人生の中でのどん底期に入りますね。
今の私は去年の状態に絶対何があってもなりたくない、と思ったので、有給をどーーんと取ってみました。入社してから初めて丸々11日間休みを作りました。
これは正解だったと思います。
別にこれは私の中では、逃げだとは思っていないし、もし逃げだと言われたとしても、自分にとって必要だったのだからだとしたら逃げて何が悪いの?っていうスタンスになりました。
去年までの私は他人軸で生きていたということになりますね、、
逃げ、という言葉は、他人から見た定義でしかないですよね、あなたはこうすべき、こうした方がいい、という前提があって、だからそこから外れるのは、逃げ。たとえどんな理由があっても。務まらなかったんだな、弱いな、と。
けど、別にそれを気にして、その軸に縛られていたら、自分を見失いますね。
そんなことに気付いた、久々に自分の心と向き合えるようになってきた、休日3日目です。
一度他人軸を忘れて、自分が本当に何をしたいのか、何者なのか、知りたいと思います。
そしてもし最後まで読んでくださった人がいたなら、ハグを送りたいです。
何をしようと私たちの人生なので、逃げだのなんだの言わせておいて、やりたいことをやれたらいいな、と思います。