6~7月に銚子で味わえる極上の「入梅いわし」
銚子で6~7月に食べられる「入梅(にゅうばい)いわし」。
マイワシが1年の中で最もちょうどよく脂が乗り,いわゆるガチムチになっている時期です。
刺身で頂くと,身が舌の上で溶けていきます。まさに極上の美味さです。
刺身だけでなく,煮ても,焼いても,天ぷらにしても,そしてつみれ汁にしても,どれももちろんOKです。
しかも,いわしは美味しいだけでなく,頭の働きを良くするDHA(ドコサヘキサエン酸)や,血中のコレステロールを下げるEPA(エイコサペンタエン酸)が豊富に含まれていて,健康にも良い魚です。
これは,入梅いわしを銚子に食べに行くほかに選択肢はありえません。
私は毎年この季節に必ず銚子を訪れて,ふだん頑張っている自分へのご褒美にこの入梅いわしを味わう贅沢を満喫しています。
入梅いわしが食べられるお店はこちらです。
なお,ネットで「入梅いわし」をググると,なぜか判を押したように「産卵前で,一年で一番脂が乗っている時期」というフレーズが頻繁に出てくるのですが,マイワシの産卵期は2~5月ですし,最も脂が乗っているのは8~9月だけれども一番良い脂の乗り具合なのはこの入梅の時期,というのが正解です。
銚子港は,なんと,マイワシの水揚量日本一を誇っています。
そして,銚子港で水揚げされる魚の種類の中でも,マイワシが最多を占めています。
そんないわしは,銚子市の「市の魚」に制定されています。
先ほどの「銚子港(千葉県)188,105t (うち生鮮食用向け56,431t)」に,「あれっ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
「生鮮食用向けが意外と少ないけれど,他の用途は何?」と。
マイワシの用途は,食用よりも,肥料・餌料のほうが多いのです。
銚子でいわしが獲られるようになった歴史的背景も,江戸時代に関西,特に紀州和歌山から,田畑の肥料にするためにいわしを追い求めて人々がやってきたことにありました。
いわし(鰯)は「魚」へんに「弱」いと書きますが,その理由の一つが,腐りやすいということ。
いわしは血合いが多く,うまみ成分のイノシン酸の分解や脂肪の酸化速度がとても速いので,生で食べられる時間が極めて短いのです。
そんないわしは,乾燥して「干鰯(ほしか)」という肥料にして,昔から人々に利用されてきました。
干鰯は,中世から畿内で稲作や綿の栽培に使われ始めました。
江戸時代には,17世紀後半から18世紀後半にかけて新田開発がピークに達し,自給肥料が不足したことで,房総の干鰯がますます注目されました(武井弘一「イワシとニシンの江戸時代」25頁)。
いわしには,大漁と不漁の波があります。
いわしが不漁で不足していた江戸時代後半には,いわしの代わりにニシンも肥料としての利用が急速に広まりました(前掲武井41頁)。
「いわし」は,主にマイワシ・カタクチイワシ・ウルメイワシの3つを含んだ総称ですが,このうちマイワシとウルメイワシは,ニシンの仲間なのです(ニシン科。カタクチイワシはカタクチイワシ科)(渡邊良朗「イワシ 意外と知らないほんとの姿」6頁)。
いわしは,技術の発達によって美味しく食べられるようになった現在でも,肥料・餌料としての利用も多いことが,統計からわかります。
そして,技術の発達によって食べられるようになったとはいえ,他でもない銚子という場で獲れたばかりの新鮮ないわしを頂く美味さは,やはり格別です。
先ほど書いたように,いわしには大漁と不漁の波があり,江戸時代後半は不漁が続いていました。
ところが,幕末の1864(元治元)年,銚子は未曾有のいわしの大漁に湧きます。
そこで,銚子の人々は豊漁を祝う「大漁節」を作り,川口神社に奉納しました。
今でも銚子の人々の暮らしに溶け込んでいる大切な民謡で,祭りではもちろんこと,結婚式や宴会,学校の運動会などでも流れます。
有名なこの大漁節は,小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英訳しています(ただし,八雲自身は来銚していないようです)。
1864(元治元)年にいわしが大漁だったというのは定説となっていて,銚子のどこでもそのように説明されています。
しかし,「この年はいわしは大漁ではなかった。大漁節は大漁を祝った歌ではなく,大漁を祈願して作られた歌だ」という,有力な反対説があります。
郷土史家の関根昌吾氏は,ヒゲタ醤油の田中玄蕃家歴代当主が61年間にわたって銚子の出来事を詳細に記録した「玄蕃日記」を読み込み,他の年にはいわしの大漁がきちんと記録されているのに1864年には記載が全くないことを突き止め,そのほかの間接証拠・間接事実も併せて「この年は大漁ではなかった」と説得力ある結論を導いており,とても興味深いところです(関根昌吾「『玄蕃日記』と大漁節 再考 大漁節の成立とその周辺」)。
何度も書いているように,いわしには大漁と不漁の波があります。
しかし,なぜ大漁と不漁の波があるのか,その原因は長年の謎でした。
1980年代に入り,東北大学名誉教授の川崎健博士は,いわしが世界のいろんな海で同調して増減を繰り返していることに気づきました(マイワシ,カリフォルニアマイワシ,チリマイワシの増減が同じ)。
そして,それが単なる偶然の一致ではなく,気候の変動-海洋の変動-生物資源の変動が数十年周期で同調して起きているからだということを世界で初めて見いだし,これを「レジーム・シフト」と呼びました(川崎健「イワシと気候変動-漁業の未来を考える」)。
現在ではこの考え方が広く認められていて,川崎博士は世界の海洋と生物資源の研究者から「レジーム・シフトの父」と尊敬を込めて呼ばれているそうです(前掲渡邊76頁)。
世界のいわしは1970年代に急増し,1980年代後半にピークに達するという同調を見せます。
しかし,その後マイワシとチリマイワシは急減し,他方でカリフォルニアマイワシは増えて,同調が崩れました(前掲渡邊73頁)。カリフォルニアマイワシが増えているのは,漁獲が認められる量が厳密に制限されているからだと指摘されています(同103頁)。
川崎博士は,いわしの数十年のタイムスケールの変動リズムの中で,減っている時期に獲りすぎてリズムを破壊してしまう「乱獲」に,警鐘を鳴らしています(前掲川崎148頁)。
これから先も末永くいわしを食べられるように,歴史や地球という広大な世界にも思いを馳せながら,ぜひ,銚子の入梅いわしを堪能してみてください。