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世界史のなかの中国:文革・琉球・チベット(汪暉)

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汪暉 著
石井剛・羽根次郎 訳
青土社2011

汪暉の書くものには、読者をひきつけてやまない魅力がある。該博な知識を駆使し、現実問題と巧みに結びつけることを得意とする彼は、まるで奇想天外な建築家のように、現実を解釈する新たな視点を提示し、一見全くの別物に見える個々の現象の間を貫く共通の構造を見つけ出す。今まで思考しようにも切り口が見つからず、もやもやした気持ちを抱えているのなら、彼を読めばあっという間にその霧が晴れるのを感じ、「なるほど!こうすればよかったのか!」と前に進めるようになり、いつのまにか汪暉の信者になってしまう。そうした思考力と筆力によって、彼は現代中国の紛うことなき思想の重鎮となり、実際、「新左派」と呼ばれる陣営の代表の筆頭が彼だ。

その魅力は、本書の第一章「中国における1960年代の消失」によく現れている。1960年代の中国で起きた最大の事件は文化大革命だが、文革後改革開放へと舵を切った中国は、文革をほぼ全面的に否定した。しかし、ここでの否定は批判による克服ではなく、「見て見ぬ振り」「なかったことにする」態度である。したがって、文革のように、数々の闘争(権力闘争だけではなく、中国の発展路線をめぐる党内の派閥間の論争、階級闘争なども含めて)を代表とする1960年代の中国の濃厚な政治色は、改革開放路線を受け継ぐ今の中国において完全に視野から消えており、その意味での「消失」なのだ。

こうした「消失」の状況を作り出したものを、汪暉は「脱政治化の政治」と呼ぶ。特に1960年代においては、政党政治の危機として現れていると彼は指摘する。「政党は特定の政治的価値観を持った団体から、構造的で統制的な権力体制へと変質を遂げた」、つまり、共産主義を実現するとか、階級のない平等な社会を目指すとかを捨てて、経済成長による国力増進のみに執心するようになり、そのためには社会の混乱を招くおそれのある、いかなる論争や思想運動をも強権で抑圧するのである。その結果、「一党制のもとでは二路線、あるいは複数路線が共存する構造が消えかかっている」。

同様なことは、中国だけではなく西洋(本文の「西洋」は日本を含む、以下同じ)でも起きている。文革とほぼ同時期の欧米や日本で起きた学生運動や社会運動は、紛れもなく政治的なものであり、その時代の思潮を動かし、大衆文化にまで大きな刻印を残した。しかし、西洋でもその後は経済成長を続けることが至上の課題となり、国家政策が資本の利益追求に大きく影響されるようになった。その結果、公共の利益や共通善はよそに追いやられ、複数政党制においても、どの政党の政策路線も一様に経済成長を柱とし、「富の増大」がすべての前提となった。終了したばかりの衆院選がまさにこの構図の好例である。大きな方向性での違いが不鮮明なため、政党は時に大連立を組み、「オール与党」と呼ばれる異常な状態を呈することさえある。したがって、西洋でも同様に「複数路線が共存する構造が消えかかっている」のである。このような状況では、1960年代は単なる「昔のこと」「かつてあったカウンター・カルチャー」などと振り返られるのみで、中国と同様に現在の政治言説から消失しているのだ。

ここまでの汪暉の分析は実に出色だ。ぼくが読んできた中国の文化大革命を西洋の同時代と並列させた論考は、ほぼ例外なく「西洋が発展しているときに、中国は混乱していただけだった」と嘆いているが、その視点がすでに成長主義に侵されている。汪暉はそのことをはっきりと自覚し、中国と西洋は「脱政治化」という視座からすれば同じ道をたどったと雄弁に論じた。これに続く「政治」の定義、今の世界を覆い尽くすヘゲモニー構造への反省も力強く、新鮮なわさびを食しているかと思うほど脳天を突き抜ける感を持つ。間違いなく一読や再読に値する名文であり、中国の読者だけでなく、世界中どの国の人間でも、停滞する政治に不満を持つなら、精読すべき論考だ。

だが、汪暉の視座が有効であっても、その先で必要とされる課題解決の方策となると、疑問を呈さざるを得ないところが多数ある。1960年代の消失から出発した汪暉は、「再政治化」するために1960年代にもどることを提唱している。さすがに中国では文革の混乱に戻れと言うわけがないので、彼が意識しているのは当時の中国共産党が持っていた政治路線への強烈な緊張感であり、そのために路線をめぐる論争をとことん行う姿勢であった。あの時代の論争を詳しく読んでいないので、当時の論客がどこまで真意を述べていたのかは不明だが、たとえ全員の言葉を信用するとしても、彼らの論争の結果出現したのは、10年に渡る大混乱、数十万から数百万ともされる数の犠牲者、人生を狂わされた億単位の人々、徹底的に破壊しつくされた中国人の精神世界などなどである。この惨状の直接の原因は独裁者の横暴だが、その独裁者はまさに路線論争への反応として文化大革命を起こしたのである。こうした政党と国家の権力構造、組織形態を反省するなく、単に論争の理念や精神だけを取り出そうとするのは、私には到底納得できないことである。もしかして、そうした党内論争の構図には文化大革命へとつながった必然性が潜んでいるのかもしれないのだから。

本書を通読すれば、汪暉が西洋由来の価値観に強い警戒感を持っていることがわかる。理念だけとはいえ文革の一面を評価したのにも、そうした警戒感があるためだろう。たしかに西洋のヘゲモニーが覆い尽くす世界は批判・反省されて然るべきものである。また、「公共の利益や共通善が追いやられ」ているのは、中国だけでなく全世界で起きていることである。そうした世界に生きる我々の不満を代弁し、洗練された理論に鍛え直しているのが汪暉の素晴らしさである。しかし、批判・反省をとことん行う彼だが、肝心なところで重大な欠落があるーー何が「公共の利益や共通善」なのか、そのことに全く言及がないのだ。人権、民主主義、言論の自由、個人の財産権、西洋の多くの人々がややもすれば無反省に受け入れているこれらの理念を、汪暉はすべて棚上げにしているようにも見える。もちろん、彼がきっぱりと拒否を表明しているわけではない。それでも、チベット問題を取り上げた第三章を読む限り、少なくともそれらを普遍的な価値として受け入れていないことが明白である。西洋のチベット観がオリエンタリズム的だということを論証した汪暉は、続いて人権、民主などの呼声もオリエンタリズムのうえに立脚すると断じた。彼からすれば、こうしたものもーーすくなくともチベットにおいてはーー西洋が押し付けた価値観ということになるのだ。

こうした論点は中国の現政権の立場と強い親和性を持ち、汪暉が論敵から批判される際に最もよく槍玉に上がるのもこの点だ。たしかに、彼が理論的に共産党政権の行いを正当化させ、横暴な振る舞いを矮小化させて無視していると言われても仕方なく、私も首を横に振りながら読んでいた。だが、それでも、本書の第1章にあるような分析の輝きが失われることにはならない。汪暉が世界的な影響力を持つ知識人であり、彼の信者が中国の若者の中に大勢いることに変わりはない。彼の思想に賛成するのも反対するのも構わないが、それが現代中国の重要な思潮の一つをなしている以上、知ることが必要なのだ。

ところで、人権や民主などの重要性を信じるぼくだが、それらが西洋から中国に持ち込まれたことは史実であり、それを無反省に全面的に受け入れることには反対だ。果たして、世界のどこにおいても適用される普遍はあるのか、あるとすればそれはなにか、次回はこのことに関する思考を読んでみたい。

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