李鴻章ーー東アジアの近代(岡本隆司)
李鴻章ーー東アジアの近代
岡本隆司
岩波書店2011
中国の一般大衆の李鴻章評価は低い。仮にも半生を清朝に捧げ、「三千年未曾有の大変局」のなかで思考と精力を限りを尽くし、狂瀾を既倒に廻らそうとした名臣であるにも関わらず、歴史教科書に登場するときは太平天国の乱を鎮圧した敵役か、不平等条約に甘んじた弱腰外交の代弁者という描き方をされてしまう。とりわけ彼の最後の舞台となった下関条約交渉では、まるで日本に靡いた大悪党のように取り上げられることすらある。少し頭を働かせば、歴史に名を残す人物をいとも単純に語るのは問題だらけなことに気づきそうなものだが、残念ながら、中国の義務教育のなかで育った子供には、そのような思考力も余裕もなかった。
かくいうぼくも、李鴻章は無能だと言わないまでも、外交では失敗したと思いこんでいた1人だった。大学以降は彼の時代に関する書物や同時代の他の人物の評伝などを読み、李鴻章に対するイメージが少しずつ変わってきてはいたが、やはり子供の頃から出来上がった記憶は強烈で、どうしてもこの名前を軽く見てしまいがちで、そもそも深く知ろうという気さえ起こらなかった。
だが、エズラ・ヴォーゲル氏の著書に記されたエピソードが、ぼくの印象を一変させた。同書によると、下関条約の交渉を終えた李鴻章は日本側トップの伊藤博文に向かってこう吐露したという。「一生をかけて清朝の改革に取り組み、国を強くしようと心血を注いだのに、結局はこのざまだ。伊藤博文さんよ、あなたが日本で成し遂げたことが羨ましい。あなたが私の任にあったら、何かもっとうまい方法はありましたか」。それを聞いた伊藤博文は考え込んだあげく、「いや、あなた以上のことは無理だったでしょう」と首を振った。
短いエピソードだが、ここに描かれているのは、決して弱腰の担当者などではない。むしろその逆で、勝者である日本のトップと思いを通わせ、尊敬を勝ち得た深謀遠慮の政治家の姿が浮かび上がるのである。エズラ・ヴォーゲルはそれ以上李鴻章に深入りしなかったが、ぼくの興味は一気に強まった。これは中国人以外が書いたものをもっと読まなければと思い、岡本隆司氏の本にたどり着いたわけである。
はたして、この本にある李鴻章は伊藤博文が尊敬したイメージそのままであった。若くして科挙に合格し、師・曽国藩の導きで出世街道。内政・外交・軍事すべてを司る強大な権力を手にした後は、太平天国の乱収束後の10年間の安定期を使い清朝を改革しようと動き出す。しかし、彼や彼と思いを同じくする大臣数名だけでは、近代産業遺産と呼ばれるような工場を数か所作れても、国全体を180度方向転換させることは叶わず、清朝はそのまま滅亡に向かい、3000年以上続いた中国の王朝体制もここに終焉を告げた。本書の記述を信用すれば、李鴻章はとんでもなく有能で、しかもおそらく1日たりとも努力を惜しまなかった。それでも、国を救えなかったのだ。
そんな彼に、著者はいたく好意的である。この本で記した事件のうち、日清戦争の直前に李鴻章が朝鮮の内乱への介入を決めたことのみを「判断ミス」と断じ、その他一切については英断として評価するか、「あの状況にあっては他に手はない」と理解を示す。著者が書くものを全面的に受け入れれば、李鴻章はもはや諸葛孔明の再来である。勝てる訳がないと知りつつも、国家をまとめる大義のために北伐を繰り返した孔明と同様、1870年代に「私がいくら努力しても、社会構造・政治体制を変えない限り清朝は強くなれない」と悟った李鴻章も、覚悟の上で無駄な努力をさらに30年間続けたことになる。この2人はいわば、歴史の舞台に登場した瞬間から、敗戦処理をする運命にあったのである。
多面性を持つのが歴史というものであり、ゆえに上記の理解もなりたつだろう。しかも、こうした「悲劇の英雄」のイメージは日本人好みだ。だが、「社会構造・政治体制」の変革の必要性に気が付きながら、それらに手を付ける姿勢さえ見せなかったことは、単なる時運で片付けておくべき命題ではない。著者が指摘したように、社会構造・政治体制の変革は今なお中国で実現されていないのだ。孫文、毛沢東、鄧小平を持ってしても無理であった。何故中国は、これほどまでに変革が困難なのか。
一言で答えを示せるものではないが、李鴻章に限って言えば、「自己否定することの難しさ」になるだろう。彼は科挙制度、王朝体制、宗族の繋がりによって生まれた人物であり、彼が変革が必要だと考えたのも、まさにこれらであった。すなわち、変革とは自分自身を形作ったものをすべて否定することになり、彼自身の存在意義もあやふやになりかねない。否定した先の社会構造の変革には大衆に目を向けなければならないが、科挙官僚出身の李鴻章にそのような期待をするのは、なおさら無理なことだと言わざるを得ない。むしろ彼は、こうした徹底的な自己否定が必要だと気づいた時点で、できるかできないか以前に、「やりたくなかった」のかもしれない。
だとすれば、李鴻章はもう悲劇の英雄ではない。斜陽の帝国の殉じたのは彼の選択であり、斜陽を背にしてこそ、彼は単なる科挙官僚として一生を終えるよりも絢爛な光を放つことができた。そのような生き方しかできないことが彼の悲劇であり、幸福でもあったのだ。
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