「塩の道」序曲&初!野湯の変てこな旅①
今回は松本に居る知人を訪ねつつ、「塩の道」を歩く旅を計画しました。しかし、良くも悪くもインバウンドの影響で、なかなか宿が取れずに、当初の計画は頓挫、奇々怪々な旅となりました。今回も「電撃」でスタートして、先ずは松本に向かいます~
電撃で、夜の松本へ
本日は仕事を少しだけ切り上げて、特急「あずさ」にて新宿から松本へ向かいます。9月の金曜の夕方、1時間ごとに出る「あずさ」は、どの列車も満席のアナウンス。この時期はしっかり事前にチケット取りましょう~
甲斐・信州方面の「あずさ」と「かいじ」はE353系。勾配とカーブの連続する中央本線の特急は振り子電車から、正直、乗り心地が悪く、かつては本も読めない揺れ。新しい車両が投入されても揺れてましたが、このE353は超快適で、酔うこともなくなり、本当に進化しました!
長い笹子トンネルを抜けて、「甲斐大和」を通過、新大日影第二を抜ければ、勝沼からの甲府盆地の絶景車窓が広がります!
新宿から、甲府まで、1時30分弱!
見延線、この時間に、急行富士川の静岡行きに、接続がある。
甲府からは上り勾配が続いて、左の車窓には真っ暗な諏訪湖の気配だけ感じながら、駅弁食べれば、すぐに松本です!
駅から徒歩3分のニューステーションホテルに一泊。元々銭湯だったというホテルで、お風呂は檜風呂というこだわり。松本、もう少し余裕あれば、淺間温泉のチョイスありです。今日は早めの就寝💤
「塩の道」序曲は、松本から
塩は、ご存じの通り、人間にとって必要不可欠。昔、山間部に住む人たちはこれをどう確保するかは重要かつまさに死活問題。関東軍だった私の祖父は、自分が学生で一人暮らしの時「米と味噌と塩は家にあるか?3つあれば生きて行ける」って言ってました笑
「塩の道」の詳細はに少しずつ語るとして、信州に繋がる塩の道は新潟方面が有名ですが、静岡、愛知、北関東といろいろあります。
今回は松本から、新潟に抜ける道はどうなっているのかということで、スタートします。まずは、腹ごしらえ。
ニューステーションホテルから1時間、レンタサイクルを借りて、松本市内を廻ります。まず向かうのは、駅からそう遠くないところに、塩を運んだ牛がたどり着いたという「牛つなぎ石」。松本市内のど真ん中にあり、ここが「千国街道」と「野麦街道」起点。
ここから真っすぐ松本城へ走ります。途中には、個人のコレクションからスタートした時計博物館という珍しい博物館もあります。
ものの数分で、松本城!何度か見てますが、未だに登ったことがないという…。只今朝8時、開城時間は8時半からですが、既に並んでいます。混んでいると、天主閣までたどり着くのに2時間とか。あと、補修工事をしていて、来年、700円から1,200円という大幅値上げ。行くなら今か…。
「敵に塩を送る」
お城を後にして、一気に市内を南下し、次に向かうは「深志神社」。こちらは、「飴市」というお祭りが1月に行われます。
以下、「ああ、野麦峠」の山本茂実が遺した「塩の道」の一節より。
ということで、かの有名な「敵に塩を送る」のゆかりの神社。
松本市内の名所へ
続いて、松本の隠れ名所!?「源智の井戸」。このあたりは、女鳥羽川と薄川の扇状地がぶつかる所に、湧き出ている湧水群。付近にはいくつか井戸があり、味も水温も微妙に違うとのこと。「善光寺道名所図会」に「当国第一の名水」と書かれており、昔から名が知れ渡っていたのでした。
コップが置いてあったので、感謝して頂きました~。近くに湧水からの小川が流れる、水のきれいな街、大好きです。
日中には観光客でにぎわう蔵の街「中町通り」。こちらは松本の中心地で、何度も火事にあい、それで、蔵の街に変わったと聞きました。
「塩の道」ウォーキング、スタート!
さて、ようやく歩き始めですが、松本市内は、北に向かうルートが3あり、今回はごちゃごちゃしている道を避けて、一番東側のルートを選びました。
リンゴ畑の下に見える池は、塩倉池。この地域のことを塩倉と言い、上杉から武田に送られてきた塩を一時保管したという伝承がそのまま地名に。
地図は持ってますが、早々に迷子… 草刈りの機械音がするので、リンゴ畑のおじさんに道を聞くと、丁寧に教えてくれました。そして、
「もしかして、塩の道かね? 最近そっち行ってないから、今、どおなっているか分からんけど、行ってみて」「しかし、歩く人がいるもんだねぇ」という激励!?のお言葉をいただき、元気出ました。
なにせ、案内版などは一つもないので。
観光案内を見る限り、梓川と奈良井川の合流地点でもあり、河川に近い平野は人がまともに住める場所ではなかったのでしょう。それで、山沿い、山越えの街道が出来たと推測。
熊倉番所跡を探せ!
ここから、犀川を渡る「渡し」のある場所を探します。こちら側(右岸)には、熊倉番所、川を挟んで反対側には、「熊沢の渡し」の記念碑があるはず。対岸を見ても分からず、地図を頼りに、山側の番所を探します。
ようやく見つけました、熊倉番所跡。川の渡しと同時に、簡易の関所のような機能があった。しかし、見まわせど、この標識以外何もなし。
ということで、この石積みの上にわずかな平地があって、そこに番所があったのではないかと。さらに、ここから先は道らしい道がない…
豊科田沢の集落で癒される
9月中旬ですが、ここは信州なのか、という真夏の暑さ。休憩もなく歩き続けて、ようやく田沢の集落にたどり着く。
そして、またもや道に迷う。これで、今日、4度目。脱穀中のおじさんに道を聞き、「大変だねー、頑張って」とか、仕事中の方や家の中からも、挨拶されながら、皆さんに励まされました~
こんな所を歩く旅人はそうも居まいと思いつつ、日本の田舎ってこんな気持ちよく挨拶してくれるのか?長野の人たち気さく?静岡はみんな優しいけど、旅人にはこんな接し方しないなとか、何とか想いながら…。にしても、熊倉の渡しまで、あまりにも遠すぎる…。一旦、田沢駅へ進路変更。
田沢駅から熊倉の渡しへ
ということで、ここで昼になり、このまま安曇野へ向かうことに…。山の中では取れない選択肢ですが、今年の夏の猛暑をここでも食らうことになりましたが、気持ちの良い犀川で、疲れも取れて、午後からは、安曇野を歩くことに。(つづく)