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碓氷峠と浅間山山麓、歴史探訪①

「碓氷峠」と言えば、日本の鉄道史の中でも最高の難所の一つ。かつて、長野新幹線が開通する前、一度だけ信越本線で長野から東京へ、特急「あさま」で通りましたが、深い山の中を、低速で進み、ここが碓氷峠かと。
今回は、宮本常一のように「歩く見る聞く」のゆっくり旅です。

ああ、栄枯盛衰「横川駅」

本日は、高崎駅から、SLもまだ走る北関東の拠点駅。最近、高崎駅の駅そばが無くなったそうで、いと悲し。

かつては信越本線

高崎駅を出て、新幹線に別れを告げて、北高崎、群馬八幡を過ぎて、旧中山道に並行して進みます。

安中駅は、左にグロテスクな東邦亜鉛の精錬所、しばらく進めば、新島襄ゆかりの安中教会がある
左に妙義山、中央の遠方には浅間山 手前はおじいさん

次は「磯部」、こちらは「温泉マーク」♨発祥の地と言われていて、浅間山の噴火の影響で湧き出た磯部温泉があります。高温の炭酸泉で泉質も珍しい、一度は訪ねたい北関東のお湯です。

左に妙義山と上信越自動車道が近づき、碓氷川が見え始めれば、終点の「横川」
見どころ多い信越線もこちらで終点

横川駅前には、峠の釜めし「おぎのや」本店があります。開店前、店の向かいには、峠の釜めしのちょっとしたギャラリーがあって、かつての横川駅とか峠の釜めしの変遷を知ることが出来ます。

座席数少ないですが、ゆっくり食べれるおススメスポットです!
横川駅 関東の駅100選 駅舎、歴史共に異論なし

廃線ウォーク、スタート!

さて、横川からは碓氷峠の廃線跡を歩きますが、実際は、どこまで歩けるのか、事前に確認。安中市の観光協会に電話したところ、
「クワが…△✖◆〇??」と早口で窓口の女性。
「すみません、もう一度お願いします」
「熊が出るんで、鈴は必ずつけてください」ということで、確かに春先に熊のニュースやってました(^^;

鉄道文化村  鉄さん親子なら、一日楽しめます
ここから旧熊ノ平駅まで、約2時間半

明治に採用した「アプト式」(線路の中央に歯車をかませて走る方式)にちなんだ遊歩道を、旧熊ノ平まで往きます。誰でも歩ける廃線ウォークですが、軽井沢まで抜ける全行程はイベント時しか歩けません。

こちらのEF63は体験運転ができるという鉄道文化村の目玉
展示の車輌の数と種類は豊富  模型じゃないですよ!
アプトの道を少し逸れたところに「碓氷関所跡」
碓氷関所は群盗を取り締まるために作られたのが899年、醍醐天皇の時

 江戸時代に入ってからこの場所に移動。明治2年に廃止されるまでに「入り鉄砲に出女」を取り締まる。門柱、門扉は当時のもの。

おじぎ石

再び、アプトの道に戻り、左手には、観覧用のトロッコ電車の線路と並行して、アプトの道が続きます。勾配は、60‰を超えるのか…。

朝8:30、歩いている人はほぼいません…
メジロに、鶯、キリギリスの声まで聞こえます
上信越道の巨大な斜張橋をくぐり 旧丸山変電所に到着
旧丸山変電所 まだ30分ほどしか歩いてないのに汗だく 

 建物は2棟あり、一つは機械室・変電所、もう一つは蓄電池設備の建物でした。碓氷峠は日本で一番早く電化された区間。というのも、蒸気機関車のトンネル通過の問題の一つは煙。煙で、低速運転だと、蒸気の機関士は、窒息するというリスクがあるのでした。

立派なレンガ造りの変電所 熱を逃がすためでしょう、窓も大きい

「峠の湯」からは、隧道エリア

トロッコと列車の終着は「とうげのゆ」 奥に日帰り温泉施設

ここは、標高484mですが、山の涼しさは感じられず。しかし、ここからは、碓氷峠のトンネル群に突入です。自販機で冷たいお茶を補給して、歩き始めます。

峠につきものの「力餅」
最初のトンネルは「1号トンネル」 トンネル長は187m

トンネル内も基本は、レンガで積み上げられており、上部の部分まで小さいレンガでどうやって均衡を保っているのか、芸術的でもあります。

トンネルの口径は思ったより小さく 電化の設備もなし…
2号トンネル こちらは入口部分もレンガ

2つ目のトンネルを抜けると左手に「碓氷湖」が見えてきます。

こちらは、坂本ダムで作られたダム湖
ダム湖と言ってもそこまで大きくない池のような規模ですが、静かにくつろげる湖
緑の中を3つのトンネルが続く 空気は冷たく心地良い
トンネル 退避所 トンネル内、劣化部分はコンクリートで補強
5号トンネルを抜けると!
めがね橋の橋上 右側にもアーチ橋(こちらは新幹線ではなく、旧信越本線)

さて、めがね橋に来ましたが、これを下から望むには数十m下に下ります。

レンガ200万個の「めがね橋」 

美しさと共に迫力もあるめがね橋 正式名称は碓氷第三橋梁 2年で完成
1894年(明治27年)から1963年(昭和38年)まで使われていた 
アーチ部分は、よく見ると劣化が激しい

全長91 m、川底からの高さ31 m、ここは第三橋梁なので、途中確かに、小さなレンガ造りの橋はあるも、この中尾川にかかる橋が飛び抜けて大きい。70年も使用し続けた貫禄のれんが橋です。かつてのめがね橋は下記の写真。

けん引するのはED42 電化されてますが、架線はない(碓氷峠の一世紀 RM-ライブラリーより)
途中、橋の下で、二匹のミヤマカラスアゲハが給水 人生二度目の遭遇! 美しすぎる!!

再び、アプトの道に戻り、終着地点の熊ノ平駅に向かいます。6号トンネルは、この遊歩道区間で最長の546m。

この近辺は観光客が多く、遠くで歩いて話している人の声がすぐそばに聞こえる

それにしても、ここまですれ違った人で、鈴をつけていたのは、明らかに地元の方ばかり。一人、二人で歩くなら、鈴つけましょう~W

(安中市 碓氷峠マップより)
先が見えない
トンネルは岩盤の中掘っているのが分かる
こんな部分もあります 開口部もかなりの厚さのレンガ 
こちらもレンガ造りの橋 今では手がかかりすぎて造ることが出来ないでしょう
ED42パンタグラフはあるが使っていない(碓氷峠の一世紀 RM-ライブラリーより)
そろそろラストが見えてきた めがね橋以外はほぼひとり旅
10個目のトンネルを抜けて、熊ノ平へ 右側に別のトンネルがある

全体を見渡すと、計4本のトンネルがあり、歩いてきたのは、明らかに口径が小さく、熊ノ平駅で草刈りをしていたおじさんに聞けば、右二つは、「アプト式の時のだよ」ということで確かにアプトの道だった…。

旧熊ノ平駅から上り方面を眺める 昔の方がトンネルの径が小さかった
下り方面(軽井沢方面)はこちら二つのトンネル もともとはココは信号所

碓氷峠から軽井沢へ

熊ノ平駅から国道に降り、しばらく歩くと「熊ノ平」というバス停へ。ここは1日に一本しかバスが通っていない。こんなところを徒歩で歩く人はいないということか…。

くねくねの旧道を通るバスは1日一本
バス停の目の前にも、信越本線の遺構

ここまでゆっくり歩て来て、3時間弱。ストレッチしながら、ふくらはぎの部分が血まみれになっている!どうも山蛭やまびるにやられた模様。大体、血を吸われても気がつかないんですよね、どうも草むらに一度入った時にやられたか。遊歩道から外れないようにしましょう~
そして、バスを待つこと30分、予定通りバスは到着。ここから軽井沢まではバスで20分ほど。

山側には旧信越本線がちらほら見え、
谷側は峠に近いことを感じさせます

碓氷峠の看板が見えたら、一気に視界が開け、そのまま、そこが軽井沢。
地図で見て分かってはいたものの、碓氷峠の峠自体はなんかあっけなく通過です。

峠を越えて、群馬から長野へ

2年ぶりの軽井沢、これから知人の別荘にお邪魔して過ごします。家族とはこの後合流。しばし、駅前散策です。釜めし食べたいほどお腹は空いていないので、おぎのやのおむすびを食べます。知られざる、なかなかの逸品!

レンタサイクルの向こうに「離山」その奥に浅間山があります
山椒がめちゃくちゃきいてる「じゃこ山椒」

「軽井沢駅」と草軽電鉄

さて、軽井沢駅は、長野新幹線が通ってからは、近代的な風体で、遠方から見ると、少し山小屋みたいに見えます。碓氷峠に向かう広い敷地は、大規模開発真っただ中で、何ができるのやら。

地上3階の玄関口
つい最近までは旧信越本線の線路がまだ残ってましたが…

駅の西側には、旧軽井沢駅舎がひっそりと在ります。さらに、その奥には、旧「草軽電鉄」の機関車が保存。その名の通り、草津温泉ー軽井沢間、約55kmを軽便鉄道が繋いでおり、北軽井沢、嬬恋を経て、草津温泉に至る、今となっては夢の「高原鉄道」。

 それでも今は、「しなの鉄道」の改札に使われているのが嬉しい
右側が前 独特のフォルムから「カブトムシ」の愛称がついた

大正15年に全線開通して、終戦直後にはの46万人という乗客を乗せていたというのだから、スゴイ。軽井沢から草津温泉までを約2時間半から3時間かけて走る。過去のこんな映像を見てみると、絶対に乗りたくなる高原列車なのでした。ただ、鉄道好きじゃなきゃこれで2時間半はつらいかも。

さらにこれもまた有名ですが、日本で初めての天然色映画(カラー映画)、木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」の中に、カラーで草軽電鉄の映像が残っているのでした。木下恵介の映画としては、・・・な本(シナリオ)のですが、初の天然色ということで、こんな色のある絵になったのかは不明。ただ、煙ふく浅間山の山麓とかわいい草軽電鉄を偲ぶには、外せない映画なのでした。

草軽電車の露出は多い ©松竹

ということで、全然、歴史探訪になってない!と自らツッコミながら、今日はこのあたりで。(つづく)

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