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港・気仙沼&湯・花巻のんびり旅①

負傷の身ながらも、スケジュール変更せず、久しぶり東北への旅。前半は知人を訪ねて気仙沼、後半は少し足を延ばして、一大温泉地の花巻へ。気仙沼は初めての地、震災からの復興の様子もうかがいながら、また花巻では温泉で癒された後、偉人ゆかりの土地も訪ねてみます。

港町・気仙沼は雨

気仙沼は、宮城県の最北、岩手の文化圏かなと思える位置にあります。3連休の初日で、はやぶさ103号は満席。いつものテツの長い前置きは今日は満員の新幹線と土砂降りの雨のため炸裂せず。先日負傷の故、右手は吊ったまま(^^;、大人しく朝食を頂きます。

きのくにやカツサンドにクロワッサン朝の3点セット
一関着 こちらは岩手県

大宮~一関は、1時間45分、とんでもなく速い。しかし一関から、大船渡線に乗り換え、ここから気仙沼までは1時間半。1時間に一本もないため、こんな感じだと、仙台からバスとか、東京からも直行バスが良いのかもしれないです。

しかもローカル線は満員御礼

北上川を渡り、大船渡線、随一の景勝地、猊鼻渓げいびけいという渓谷で半分以上が下車。さらに1時間ほどで、気仙沼到着。

2両編成のキハ100形 

大船渡線なのに、気仙沼が終着駅。震災によりここから先は、BRT(バス高速輸送システム)しかありません。

ちょうど対面のホームにBRT
駅構内は半分以上がBRTのホーム

駅からは、知人姉が迎えてくれまして、内湾という気仙沼の港へ移動。早速、昼食に。こちら、魚屋さんが開いている食堂ということで、刺身一品を手に取り、大粒の牡蠣フライの定食を注文。この時期のおススメは、戻り鰹!見れば、見た目も確かに美味しそう。

魚屋さんが開いている食堂
トロのように、いや、中トロよりも美味しいカツオ! こんなのは初めて

この戻り鰹、普通はやや臭みがあるカツオですが、全然臭みがないのです。カツオの概念を覆す「戻り鰹」!さすが、カツオの水揚げ量、日本一の気仙沼!

港町ブルース~内湾ないわん地区

食堂から港までは徒歩1分。まちづくり拠点施設が4ブロックに分かれておりコミュニティプラザのような「創(ウマレル)」を拝見。

2mくらいの防潮堤の上に施設がある 手前にはゲート
中にはおしゃれなワーキングスペース 年会費1,000円!
リモートで仕事できる個人事業主だったら借りたい
こちらから港も眺められる

ちょうど気仙沼の遊覧船が出発。ウミネコが餌をおねだりして、船に集まってます。遠方には社のある蓬莱山のような地が浮かび、高台には、教会のような建物があり、独特の雰囲気ある港町です!

汽笛が鳴り響き…、そう言えば、ここは港町ブルース!

見つけましたよ、歌碑。昭和44年(1969年)の200万枚を超える大ヒット。

♬ 背伸びしてみる海峡を、今日も汽笛が遠ざかる ~ みなと~、宮古、釜石、気仙沼!
震災で流されてしまった歌碑ですが、森さんの支援も受け再建

伝承館~東日本大震災遺構

気仙沼の市街地から、車で20分ほど南へ。震災の記憶と教訓を伝えるために残された「旧向洋高校」の校舎と展示です。(現在の向洋高校は山手の方に移動。)

左上の破損は冷凍工場が流て校舎に当たった跡

ここでの津波の高さは4階の床まで、地上12m。この高校は奇跡的に犠牲者を出さずに、みんな避難出来たとのこと。

3階には流れ着いた車もそのまま残してある
当時、屋上には避難した教職員と工事関係者がさらに高いところに登ろうとした
校庭はパターゴルフ場に 遠方の松の木の岬(旭崎)では数名の命が助かった 

館内の展示品は撮影禁止ですが、当時の映像や被災者の証言者など、心に留めておかねばいけないメッセージを受け取りました。教訓が生きたこともあれば、想定を超えていたこともあり、火山、地震・津波、台風・洪水と災害の多い日本にとっては、人間の力ではどうにもならないことが数多いです。大学時代はこのあたりの研究の端くれに携わった者なので、痛いほど、人間の無力さを感じるしかありません。

もう一つの校舎も3階の窓ガラスまで水没

そして、この日はちょうど、東北大学の津波の大家の先生がラジオの公開録画をしていました。東北大学は昔から津波研究は盛んで世界的にも有名。館長さんもコメントしていましたが、館長さんも津波に飲み込まれ奇跡的に一命を取りとめた方でした。気仙沼では、是非ともこの館に寄ってください。

岩井崎

伝承館から車ですぐのところ、景勝地、岩井崎に向かいます。小さな松林を抜けると、目の前に太平洋が広がります。今日はどんよりとした海。

岩井崎と対岸の大島の半分以上は三陸復興国立公園に指定 開発が制限されている

ここには気仙沼を励ます二つのモニュメントが。

「龍の松」 震災でも残った松 プレートには以下の文 「この松ように震災にも負けず、強い気持ちを持ち続け、復興、さらにはふるさと創りに向け前進します」
気仙沼出身の横綱「秀ノ山雷五郎」 江戸時代の力士 9代目横綱

さて、宿泊は気仙沼市街地ですが、夕食は知人宅にて、ご両親と共に頂きました。実はこれが一番リーズナブルで美味しいということで、近くの大型スーパーのお寿司とお母さん作のおでん!

都心ではこのネタでは食べられない値段
20%オフ、これ1100円!! ネタも新鮮、おでんもおふくろの味!!

お母さん方の先祖が横綱秀ノ山ということで、どことなく横綱の気風溢れる恰幅とキャラクターで大いに盛り上がりました笑
秀ノ山の銅像も震災でも奇跡的に流されず、ノコッタと。

実家に帰ったようなひと時

宿は「一景閣」

宿に移動しまして、こちらは沿岸部の老舗の宿。被災しましたが、強靭な建物は残り、再開したホテルです。

1階は少し階段を下る 震災で沈んだそう
創業は大正5年(当時の写真) 右の小屋には海水を利用した塩風呂を提供

部屋も広く、館内も洋風で、老舗旅館というよりは今風のホテルです。今日は、移動も多かったですが、学びも笑も多く、あまり疲れていませんが、ゆっくり休み、明日に備えます。

人工のラジウム泉

祈りの丘へ

日曜日、市街地のすぐそばにある小高い丘、復興祈念公園を訪ねました。ここから市街地と港を見渡すことが出来ます。

夜明け前、昨日とはうってかわって快晴の気仙沼
「海へ」
ここで、明け方の讃美と気仙沼のためのお祈り
「三月」
 朝日がようやく顔を出す ガンバレ気仙沼! (つづく)

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