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こんな日は銭湯へ(よもやま話①)
無事にアジアンフード企画を終えまして、カフェの飲み物は、チャイやフェアトレードのコーヒー・紅茶が人気、スイーツは、台湾から買ってきてもらったパイナップルケーキと本場さながらのあったかいホットックが大好評でした。アジア各国のことも知らないことばかりでしたが、お国自慢プレゼン素晴らしく、来月は台湾とかタイにでも行ってしまいたい気分ですW
さて、そんなこんなですが、現実は仕事が立て込み、3月中旬までは到底、遠出できそうにないので、こういう時は、
「遠くの温泉より、近くの銭湯」
ということで、銭湯アレコレを書いてみます~
日常の中の「非日常」
2月毎年恒例の今回で7回目ということで、今年もボンタンの湯に入りました。文京区の銭湯組合の企画かと思ったら、全国の銭湯で実施しているようです。
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なんとも言えない甘く苦味のあるボンタンの香りが湯舟に広がり、ぷかぷかと浮く大きなボンタンは、ひょっこりひょうたん島のようでもあり、なんとも艶めかしくもあり、イイ感じなんです。
温泉好きにとっては、家のお風呂に、入浴剤入れたり、「柚子」浮かべたり、「湯の素」使ったりと工夫しても、いまいちリラックスできない。
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ところが、銭湯に行くと、脱衣所と湯舟の高い天井に広い空間、鳴り響く桶の音、晴れやかにそびえ立つ富士山とか、数分歩いただけで、夜にこんな解放感を味わえるのは、ここしかないのではないか。まさに夜の都心のオアシス!
おまけに、薬湯があったり、電気風呂、水風呂があったり、凝った銭湯では露天風呂、最近では高濃度炭酸泉まであったりします。
まさに、日常の中の異空間、非日常なのです!
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銭湯の思い出
ここで、銭湯の私的体験を少しだけ。地元静岡にいるときには、さすがに温泉ばかりで、周りには沸かし湯の銭湯は一つもありませんでした。東京に出て来て、初めは東京都と埼玉の県境の埼玉側に住んでいたときも街に一軒あったようですが、そちらには行ったことはなく。
大学の研究室が忙しくなり、都心に引っ越してきてから、初めて銭湯、多いなと気づき、スポーツ後に行くようになったのでした。
引っ越してきた文京区は、山の手(つまり台地の上)と下町(台地の下の平地)が混在しているエリアで、特に下町の部分には銭湯がかなり多かったのです。今から30年以上前には、地図開いて思い出せるだけでも20軒はありました。しかし、今はたったの4軒、寂しい限りです。
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さて、東京で、初めて銭湯に入った頃(30年前)は、大人350円でした。ところが、今や550円。30年前だと、毎日通っても、回数券を使えば、月に一万円もかかりません。しかも、少し足を伸ばせば、あっちにも、こっちにも銭湯があるので、お湯の種類も、いろいろと楽しめるのでした。
そして、激減の銭湯に、さらに追い打ちをかけたのが、コロナ。これも大打撃でした。この5,6年で、区内では、一気に4,5軒くらい消えてしまいました。お隣の豊島区も同じくらいの銭湯が消えました。
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今はポスターで見るのみ…
水風呂にハマる
銭湯入り始めたばかりの頃、交代浴が健康に良いと気づき始め、これやり始めてから風邪もあまり引かなくなりました。
ある時、友だちと水風呂でこのことを話していると、
隣りからドスの聞いた声で、
山本小鉄風のおじさんが「水風呂交互に入ると、なんで風邪引かなくなるのか、分かってんのか!」と。
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頑丈そうな体で、医者でもなさそうだけど、ナニこの人…、と。
「人間はな、肌を刺激すると、胃腸の働きが良くなるんだぁ」
「そうすると、新陳代謝が良くなって、抵抗力も増すってことよ」
「だから、昔は乾布摩擦ってやっただろう、それも同じ原理だ」
|乾布摩擦《かんぷまさつ》!幼稚園の時にやったかもしれないが、もうすでに死語だろうと思いながらも、妙に説得力があるのでした。
近隣の銭湯には、自転車で行ける所はいくつかありますが、今でも、水風呂のある銭湯にはよく足を運びます。
銭湯の箴言!?
ところで神田川から少し花たところに、早稲田生、御用達の「豊川浴泉」という銭湯があります。こちら、かつて雑誌「一個人」に取り上げられており、その記事には銭湯の金言が並べられているのでした。
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★銭湯は人間観察の場所である★
まさに、銭湯は老いも若きも集うため、何気に目に入って来る光景は、非常に重要。
腰が曲がったおじいさんを見れば、
「あぁ、自分も20年、30年経てば、腰も曲がり、骨と皮、お尻もこんなになるだろう…」「そのうち自分も足を引きずる日が来るのだろうか」とか、
小さい坊主あたまの子どもを見れば、「自分もこんな頃があったなぁ~」「自分もおじいさん、おばあさんにへばりついていたなぁ」とかいろいろと思い浮かぶのでした。
特に「死」が遠い日本社会の中では、自分の未来はこんな姿になるとは普段は考えられない。しかし、いつの日かだれでもこのようになるのでした。「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」(伝道の書)
年配の方と一緒に入るお風呂は、銭湯に限らず、温泉でもいろいろと学びと気づきが多いものです。
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★「社会」を教えてくれる場所である★
地縁が薄くなったご時世で、他人の子供を叱るとか、最近はほとんど見かけないですよね。お風呂のマナーはやはり銭湯入る前に、身につけて欲しい。
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NPOのサッカーコーチをしていた頃、合宿先で、子どもたちを風呂に入れたら、みんなでお風呂に入った経験のない子供たちは大はしゃぎ。
湯舟に静かに入らない子供たちに何度注意しても、飛び込む、タオル浸けると散々。
ちょうど違うグランドでラグビーの練習をしていたごっついおじさんたちがお風呂に入ると、喝ッ!
「お前ら、黙って風呂入れ!」「タオル湯舟につけるな!」と。
しょんぼりとした子供たちは、静かになり
お風呂、上がった後は、
「ラグビーおやじ、怖えぇ~」と少年たち。
これも、銭湯・お風呂ならではの教育効果!
さらに、きわどい社会性というところでは、
豊島区に住んでいる友人が、友だちの背中を流してあげていたら、
隣りに座った背中にアレを入れているお方が、
「お前、先輩の背中を洗う時にはなぁ、下から上に、洗うんだ」
「こうですか?」
「そうよ、上から下に洗うのは失礼」
「ははぁ~、分かりました、ありがとうございます!」と。
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というこれは知らなくても良いマナーかもしれませんが(^^;
仁義なルールまで学べるのでした。
かつて、石原知事が、東京の銭湯を、中学生無料にした時期がありましたが、こんな銭湯文化を繋ぎたいという思いはあったかなと。やりたかったことは痛いほど、分かります。
★銭湯はアイデアが生まれる場所である★
家でシャワー浴びていると、ふと、いいアイデアとか浮かんだことないですか?銭湯も確かにそんな場所です。
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異空間のためか、別の回路が働くせいか、確かに頭が切り替わるのです。体の疲れだけでなく、心が疲れている時にも銭湯はおススメ。
さらには、世の汚れを洗い落としながら、一日の労苦と行いを反省し、悔い改めながら、浸かると、さら効果倍増。体も洗い、心も洗う。
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★銭湯は自分を見つめ直す場所である★
ということで、総じて、これ↑↑は一つの結論かもしれません。
身体と心を洗い流したところで、他人と自分の裸を見ながら…自分を顧みる。聖書には、人は何も持たずに生まれ、何も持たずに去っていくという話がありますが、まさに手の指輪一つも天の世界にはもっていくことが出来ません。
何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。(略)
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
銭湯に浸かっていると、こんな聖句が思い浮かぶのでした。コロナ後、このご時世なので、「沐浴」ならぬ「黙浴」が推奨されてますが、「人と話さず、神さまと対話」しながら、湯に浸かっております。
と記事を書きながら、なんだか、ひと風呂浴びたような気持になってきました、今日はこの辺りでおしまいです!
おやすみなさ~い