年の離れたお兄ちゃんと妹の話
妹が生まれた時、お兄ちゃんは小学校2年生。学校から帰宅したところに、産院にいるお父さんからの「生まれたよ!」という電話。お気に入りの小さな赤いマウンテンバイクを必死でこぎ、産院に駆けつけて来た。
そしてさっそく生まれたてホヤホヤの妹を看護師さんに抱かせてもらった時の写真がある。小さくてかよわい赤ちゃんをしっかり抱えなきゃという緊張と、大切な僕の宝物だと言わんばかりの誇らしさと喜びの入り混じった表情ーーー彼が妹にむける眼差しの本質は、この時からずっと変わっていない気がする。
「乳幼児と小学生」、そして後には「小学生と高校生」の子育て内容は当たり前だけど全然別物だ。もう少し年の差が小さければ、同時にこなせて楽だっただろうにと、よく私は「二度手間の子育て」と、ぼやいたものだ。
しかも、娘の出産前は、子育ても2回目だし経験済みだから・・・とタカをくくっていたが、今度は「高齢出産」の仲間入りで、その後の子育てはかなり身体のあちこちにこたえた。
そうして、どうしても下の娘の方に身も心も躍起になっていた頃、ある事件が起こる。
それはお兄ちゃんがピアノを始めて2回目の発表会での出来事だ。
その時お父さんが撮ったビデオを見ると、出番が近づき、客席前方の出演者席に順に並んで座っていたお兄ちゃんが急に立ち上がって振り返りキョロキョロ私たちの姿を探している。見つけるとニコッとしたらすぐまた前に向き直りちょこんと座った。ホント、幼い!
すぐにアナウンスが入り、舞台に上がり、ピアノ椅子に座った頃から事件の予兆が・・・。「オニイチャン」とか「ピアノ」とか、何となく聞き取れなくともない、幼な子の声が、マイクが拾った客席の雑音の中に混じる。
それが全然耳に入っていないかのように、いつものようにそそくさと弾き始めたお兄ちゃん。短い子どもらしい一曲目が終わり、二曲めのトルコ行進曲(原曲 ベートーヴェン)が始まった途端、私の頭部の影がビデオの画面の端を一瞬よぎる。間髪入れず、「いやああああ!」という幼な子の絶叫。そして、やまびこのような「いやあぁ」の連発は、だんだん小さくなって、ホールの重々しい低いドア音の後に、消えた。
その間、ビデオの画面の中心で、お兄ちゃんはひたすらピアノを弾き続けていた・・・飄々と、普段と何ら変わらぬ感じで・・・。
彼は、客席の騒ぎの方にチラリとすら目を向けることもなかった。驚いた様子も、動揺している様子も見せず、息子は、鼓笛隊のマーチのテンポを全く揺るがさずに弾き続けた・・・まるで自分の奏でるピアノの音色以外には何も聞こえていないかのように。そして、これまでで最高な位、見事にきっちりと弾き終えた。先生の「曲の最後は最後らしく『おさめて』ね」というアドバイスを守り、とても丁寧に心をこめて最後の音符を押さえ、充分な時間をおいて静かに鍵盤から両手を離した。トルコの鼓笛隊がだんだんと遠ざかり、彼方に去った光景が目に浮かんだ。
そうしてお兄ちゃんは立ち上がり、こちらを向いていつものような恥ずかしそうな顔でぴょこんとお辞儀をした…いや、するかしないうちに、客席からその日一番の大きな拍手が沸き起こった。あんな不意のトラブルをものともせず、自分の演奏をまっとうした小さな男の子に、皆んな「よくやった!」と心で言ってくれてるのが感じられた。
後日レッスンに行った時も先生は発表会を振り返り、「そのこと」について一番たくさんお兄ちゃんのことを褒めてくださった。
私は今でもこのビデオを観る度に、ハラハラドキドキがよみがえる。
小さな妹はその日もいつものように、お兄ちゃんがピアノに向かうと一緒に弾きたくて(ピアノに触りたくて)そばに行こうとしたのだった。彼女はもう、私の膝にはちょっと重すぎる程に成長していたので、客席の隣の座席に座らせていたのだが、舞台に上がった彼を見つけるや否や座席から降り、一歩一歩舞台へと近寄って行った。しかし私には、たかが子どもの短い演奏曲、彼女が舞台にはい上がろうとする前に「事」が終われば、という期待もあった。そうっと彼女の背後を追いながらも、もし途中で身体を抱き上げたりすると、かえって騒ぐだろうことも目に見えていた。しかし遂に、彼女は舞台の真下に行き着いた。ああ、もうだめだ!と、私は舞台に上がりかけた娘を後ろから抱き上げた途端、舞台の様子に目をやる余裕もなく必死で客席出口のドアへと急ぎ、ロビーに出たのだった。…そしてその後、閉まった防音ドアの中の様子は全く伺い知れなかった。
帰宅して、お父さんが撮ったビデオを自分の目で観るまでは、お兄ちゃんがたとえ中断したとしても何とか最後まで演奏する事ができたのか、彼がせっかく何日も練習してきた曲をちゃんと舞台で弾き切れたのか、どうか諦めずに弾いていますようにと、天に祈るような気持ちだったのを今でも覚えている。
年の離れたお兄ちゃんと妹…本当に色んな毎日があった。そんな中で、小さな妹の存在こそが、彼を紛れもない「お兄ちゃん」にしたのかもしれない、と思う。そしてきっとそれは現在の彼の人間性の大切な一部になっているのだと、思う。
ピカソの "Claude et Paroma"の絵葉書を見ると、リビングの食卓テーブルで、大学受験の参考書に取り組むお兄ちゃんと、挿絵いっぱいの図鑑を広げて小学校の宿題をする妹ーーそれが当たり前の日常だった頃を、ついこの間のことのように思い出す。
以上、ずい分と昔のことになってしまったけれど、うちの家族の大事な育児日記の一頁…。
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