大学受験中の「書く練習」で、読解力と文章力が鍛えられた話

大学受験の時、国語の点数を伸ばしたくて、父にその旨の相談をした。
現代文の文章を読むのが苦手だったからか、論述が苦手だったからかは忘れたが、とにかく父は「新聞の社説を原稿用紙 1 枚にまとめる練習をするとよいかも」という助言をしてくれた。

当時は知らなかったが、あるいは父が言っていたことを忘れただけかもしれないが、これは「社説の縮約」として『日本語練習帳』(大野晋)に紹介されている練習方法だそうだ。

調べてみると、このトレーニングを実践している人はネット上でもちょいちょい見つかり、ある程度は知られているメソッドのようだ。

最初はこの練習にはあまり気が進まなかったが、国語の力をつける必要を感じていたこともあり、実践してみることにした。
また、日本語にうるさい父が言うことであるから、まあやってみて間違いはないのではないか、という気持ちもあった。

新聞の社説はおよそ 1400 字。それを原稿用紙 1 枚の 400 字にまとめる。
そう聞くだけだと、あまり大変そうには思えない。
400 字とずいぶん長く書けるんだから、大事なところを残してつなげるだけでよさそうに見える。
「100 字に要約せよ」という方がよっぽど難しそうだ。

しかし実際にやってみると、これがとても難しい。
まず、社説の文章構成をしっかりと読み解く必要がある。
「ここは単なる強調だな」「この段落は比喩だな」ということを読み解いて頭の中でしっかりと咀嚼する必要がある。

そして、その咀嚼した内容を、今度は正しい内容になるよう再構成する必要がある。自分で内容を改変してしまうのは禁物だ。
文章をそのまま抜き出すことが多くはなるが、自然な流れになるよう、筋が通った文章になるよう、文章としてしっかりと構成して書き出していく。

これは本当に難しく大変な作業だった。
しかし、本当によい訓練になった。

文章を正しく読むこと。
文章の構成を読み解くこと。
書いた人の主張を正しく把握すること。
さらに自分で筋の通った文章を書くこと。

そういった力がとても身に着いたと思う。

そもそも社説は、文章としてとてもレベルの高いものだ。
日本語は正しく使われ、事実・引用・著者の主張の書き分けが正しいマナーで行われ、論の展開も非常に洗練されている。
それらを深く読み解くだけでも、「理想的な文章のひとつの形態」としてとても勉強になった。

また、縮約をするネタを探すために毎日のように社説を読むようになったこともよいことだった。
おかげで、当時はずいぶん新聞を読む癖をつけることができた。

また、個人的には、父とのコミュニケーションも嬉しかった。
このトレーニングは、書くだけでも相当な訓練になるが、人に見てもらってフィードバックを受ける方がよい。
というか、なにごともそうだと思うが「人に見られる前提」がないと、どこか中途半端になったり、自分自身で甘えが生じたりするものだ。
そのため、2,3 週に一度この練習に取り組み、単身赴任中の父が自宅に帰ってくる度に見てもらって添削してもらっていた。

どういうことをフィードバックされたかは正直あまり覚えていないが、とにかく褒めてもらえた思い出だけは残っている。
10代後半の青年ともいえる男が、単に父親に褒められるだけで小さい子供のように嬉しいという事実が、当時の自分にも意外でなんとなく滑稽だったからか、そのことはすごくよく覚えているのだ。
ぼくは、父とのコミュニケーション、というか父に褒めてもらえたことが、単に嬉しかった。

父が亡くなったいま、当時のそのやり取りは、自分の中では忘れることのない大切な一場面だ。

そして最近、その当時を振り返って気づいたことがある。
このトレーニングは、その後のぼくの人生を大きく変えることになったのだ。

その話はまた、近々書いてみようと思う。

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