子どもと過ごす時間の、かけがえのなさ
「かけがえのない」という言葉がこれほどまでにしっくりくるものを、僕は知らない。子どもとともに過ごす時間は、本当に本当にかけがえのないものだ。
僕には 6 歳の息子と 2 歳半の娘がいる。6 年前に第一子が生まれたときのことをいまだに鮮明に覚えている。あの喜びと感動と、胸が満たされる感覚、嬉しくて嬉しくてそれだけで涙が出るようなあの気持ちを、僕は一生忘れることもないだろう。
その子とともにいる時間、これまでの 6 年半ほどで何度「大きくなったな」「成長したな」と思ったことだろう。昨日のことのように鮮やかに思い出される、彼が生まれたあの日から、何度も何度もその成長を噛みしめた。そしてそのたびに時の流れの速さに驚いた。
「この前まではあんなに小さかったのに」「つい最近までは歩くのもおぼつかなかったなずのに」「このあいだ生まれたばかりだったのに」。その時に感じるのは、成長への喜びももちろん大きいものの、過ぎさってしまってもう二度と戻ることはできない過去への羨望と切なさのようなものもある。ルンバを怖れて泣きついてきたあの愛しい小さい姿はもう二度と見ることはできないし、あの日生まれたばかりの赤ちゃんだった彼を初めて抱っこしてみたときに感じた、3キロばかりの軽さとそれと裏腹の命の重さは、もう二度と体験することはできない。それ以上に、あの気持ちの高鳴りは覚えていても、抱き上げた重さの感覚を僕の体は忘れてしまっていることが、とても悲しくさびしいとさえ思える。あの時のあの赤ちゃんを抱っこすることは、二度と叶わない。
過去の写真や動画を見返すとその度に、そのかわいく愛しい姿を思い出しながらも、当時の自分の感覚を徐々に忘れてしまっていることにさびしさが募る。できることなら当時に戻って、またその感覚を体験したい。
子どもと過ごす時間は、楽しいだけではなく、大変なこと、しんどいことがほんとうに山のようにある。疲れて嫌になって、なんとかその時間が早く過ぎないかと願ったりすることもある。
でも、過去の子どもたちのことを思い出してその過去に思いを馳せて寂しさと切なさを感じるたび、「今のこの瞬間がいかにかけがえのないものであるか」を思い出す。
今のこの瞬間は、数年後の未来からは絶対に戻ってこれないかけがえのない一瞬一瞬であり、今この瞬間に目の前にいる子どもたちは、未来の僕が「もしできることならもう一度その姿をリアルで見たい」「もし叶うならあの小さかった子たちをもう一度抱っこしたい」と思う対象なのだから。