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しなくてもいいことを毎日する
私は化粧が大好きだ。外出する際には必ず化粧をする。面倒に感じるときもあるが、私にとって化粧をしている時間は、癒しを与えてくれる大切なルーティーンだ。
私が初めて化粧をしたのは、小学校6年生の頃だ。ダンスを習っていたため、イベント等で化粧をする機会があった。別人のようになった自分の顔を見て、当時の私は衝撃を受けた。
新しいことを覚えて嬉しくなった私は、休日には必ず化粧をするようになった。当然だが、始めたばかりの頃の化粧はひどいものだった。範囲の広すぎるアイシャドウに、嫌に濡れて見えるラメ、インコみたいに丸くて真っ赤なチーク、本来の唇から大幅にはみ出たピンクのグロスを塗り、得意げな顔で歩いていた。
病院にもそのような化粧で行ったことがあるが、皮膚科へ魚の目を除去しに行ったはずが、発熱を疑われ大恥をかいたので、それ以来病院に化粧をしていくのはやめた。
しかし中学校へ入学後、私は人生における暗黒期を迎えたため、化粧をすることがパッタリとなくなった。
暗いところで本を読み続けた結果、私の視力はグンと下がり、ビン底のような眼鏡をかけていた。さらに、思春期特有の人生を憂いた焦点の合わない虚ろな目をしていたため、化粧をする気が起きなかった。むしろ、化粧をしていた小6の頃の自分を「色気づいてて痛かったなぁ」と自虐していた。
また、当時はニキビがひどく赤ら顔だったため、なおさら肌に負担のかかる化粧などできなかった。
再び化粧をするようになったのは、高校3年生の頃だ。
10年近くかけていたビン底眼鏡を卒業し、コンタクトを付けるようになった。今までずっと視界の端にチラついていた眼鏡のフレームがなくなり、視野が広くなったように感じた。頭をブン回して踊っても眼鏡が吹き飛ぶことはないし、寒暖差でレンズが曇ることもない。「コンタクト最高~!!!」と周囲の人間に言い続けていた。
しかし、眼鏡が顔の余白を埋めていたことに気づき、なんだか顔が寂しくなったようにも感じた。小6の頃にやめた化粧を再びしたくなったのだ。
ドラッグストアへ駆け込み、母親と相談しながら日本製のプチプラコスメを購入した。化粧下地やパウダーファンデ、ナチュラルなブラウンアイシャドウ、コーラルピンクのチークとリップを買い揃え、心置きなくメイクを楽しんだ。
そして現在に至る。毎日化粧をし続けたことにより、自分の顔の特徴を完璧に理解し、最大限魅力的になれる方法を見つけた。もちろん、その方法は毎日ミリ単位で更新中だ。
「目尻が上がっていて第一印象だとキツい性格に見られるため、アイラインは平行か斜め下に引く」「求心顔で顔の余白が多いため、チークはこめかみから斜めにつける」「リップはツヤ感と血色感が程よく出るものを選ぶ」「ホクロやソバカスはあえて見せることで、ナチュラルな雰囲気を出す」など、ポイントを挙げ出したらキリがない。
このようなルーティーンも、その日の服装や気分に合わせて変えるため、毎日化粧をするのが本当に楽しい。
化粧をする理由がポジティブに変わったのは、ここ最近のことだ。
前述のように、私が高3から化粧を再開した理由は、顔の余白が気になったからだ。つまり、自分のスッピンに自信がなかったのだ。根底には「コンプレックスを解消したい」というネガティブな感情があった。
現在でも自分のスッピンに自信はないが、昔は自分の顔が嫌いだった。
現在と同様、毎朝早起きして顔の準備をするのが高校時代のルーティーンだった。
もともと一重瞼だったため、瞼をヘアピンなどの細い棒でグイグイ押し込み、細く切った絆創膏を目に貼り付けて、無理やり二重瞼にしていた。アイプチを試したこともあるが、液が肌に合わずかぶれてしまった。アイテープも試したが、自分の好きな幅に切れる絆創膏が最適だった。
校則で化粧を禁止されていたので、バレない程度の色付き化粧下地とクリアマスカラ、リップティントを塗り登校した。
ニキビは完治したが、クレーター痕は残ってしまったし、色素沈着や毛穴が気になり、素肌を人に見せるのが怖かった。親には「ニキビは青春のシンボルだよ」と慰められたが、私の心には全く響かなかった。「痒いし痛いし、潰れると汁が出るし、ブツブツの赤黒いシンボルなんかあってたまるか。たいして青春もしてないし。」とずっと心の中で愚痴っていた。
コンプレックスとは根深いもので、いくら親や友人に「頑張りすぎなくても、そのままで大丈夫だよ」と言われても、心が安らぐことなんてなかった。
大学に入学してからしばらく経ったある日、友人に「〇〇は、毎日丁寧に化粧して来るよね!」と言われた。もちろん嫌味ではなく、純粋な褒め言葉だと分かっていた。だから私は、「ありがとう。化粧をしないと外に出られないんだ。朝起きたときからこの顔だったらいいのになぁ。」と返事をした。
すると友人は「私は自分のスッピンも化粧した顔も、どっちも好き。変身したみたいで嬉しくなるんだよね!」とまっすぐに言われた。
私は正直、その言葉を聞いた瞬間にイラっとした。私から見れば、その子は顔が整っているし、素材を活かしたナチュラルメイクをしていた。「可愛い子が自分の顔を好きなのは、当たり前だろうが。」という、禍々しい嫉妬の感情が抑えきれなかった。
その日の帰宅後、私は化粧を落としてスッピンになった自分の顔をまじまじと見た。正面から長時間眺めたあと、コンプレックスである瞼と、ニキビ跡の残る肌を交互に見て、触れた。
「やっぱり、まだ好きにはなれない」と、シャワーを浴びて湯船に浸かった。普段なら風呂に入って一晩寝ればスッキリするが、その日はモヤモヤが晴れなかった。
「化粧って、変身するみたいで嬉しい」という友人の言葉は、私が初めて化粧をしたときの感情を思い起こさせた。小6の当時は、そこまで自分の顔が嫌いじゃなかったと思う。
年齢を重ねるにつれ、芸能人や同級生と自分の顔を比較するようになり、自分の顔に対するコンプレックスがどんどん増えていった。
私が最初に感じた化粧をすることの純粋な嬉しさは、次第に感じなくなった。とにかく、自分の本当の顔を覆い隠すために、厚くて濃い化粧をするようになっていった。
別に私は「自分の顔を好きになろう」とか「化粧が濃いのは、自分の顔に自信がないからだ」とか、そんな無責任で無神経なことを言いたいわけではない。他人の綺麗事でコンプレックスは軽減できないのだから。
しかし最近、私は化粧をする前に「今日もよろしく!」、化粧を落とした後に「一日世話になったね、明日もよろしく頼むわ!!!」と自分の顔に労いの言葉をかけるようになった。文章にすると若干怖いが、これをするのとしないのでは、その日の気分が変わってくる。
なんだか、スッピンはスッピンで愛嬌があって可愛いような気がしてくるのだ。私は次第にポジティブな感情で化粧ができるようになっていった。単なる自己暗示かもしれないけれど、結果的に前向きになれるのなら、したほうがいいに決まってるでしょ!!!
「化粧した顔が素敵なのは、本来の顔があるからだよね、蔑ろにしちゃダメだ。今まで無視しててごめんね〜!!!」と、鏡に向かって話しかけている私の姿は多分不気味だろうけど、続けていたらスッピンの顔もいつか好きになれると思う。なれたらいいなぁ〜、なれなかったら諦めるけど。
今回の日記もすごい長くなってしまった。
色々な話をしたけど、私は純粋に化粧が好きなのだと思う。工程が多ければ多いほど楽しい。自分の技術が向上していくのが分かるし、手を掛ければ掛けた分、魅力的になれる。
初期費用は多少かかるが、化粧は年齢性別関係なく誰でも始められる立派な趣味だと思う。
これを書いてるのは朝3時だ。なぜこんな朝というよりも深夜にnoteを書いているのかというと、友人と出かける用事があるからだ。
6時の電車に乗るために、3時に起きて朝食を食って化粧をしようと思ったが、全然眠れなかったので諦めて徹夜をした。深夜テンションでこれを書いている。エナジードリンクも飲んだので、目がギンギンだ。すごい、今ならなんでもできるぞ!
きっと14時あたりにガス欠になると思う。いつものことだから慣れているけど、確実に体へ負担をかけている。私の体、もうちょっと頑張って!!!今度温泉とかエステとか行って労うから許してちょ!!!
じゃあ、出かける準備をするので。
またね!!!!!