【公演レビュー】秀山祭九月大歌舞伎①

歌舞伎座新開場十周年
二世中村吉右衛門三回忌追善
秀山祭九月大歌舞伎

[要約]

秀山祭は二代目中村吉右衛門(1944~2021)が初代吉右衛門(1886~1954)の俳名を冠して2006年から始めたもの。
2019年までの毎年秋に催され、家の十八番はもとより、ときには能などを基に自身が構成した新作もかけた。
古典の名作上演では通常割愛する箇所の復活といった掘り下げを行い、歌舞伎の伝統を次世代に伝える二代目の意思が垣間見えた。
企画、上演の評価は高く、玄人受けのする秋の風物詩だった。

しかし、2020年の秀山祭は時勢を考慮して見合わせられ、翌年二代目中村吉右衛門は病に倒れ、世を去った。
二代目吉右衛門の灯した松明を受け継ぐため、実兄の二代目松本白鸚一家、播磨屋の五代目中村歌六と弟の三代目中村又五郎の一家が中心となり、2022年に「二世中村吉右衛門追善」として秀山祭がよみがえる。
そして2023年も「二世中村吉右衛門三回忌追善」のもとに催された。

昼の部はいわゆる「悪いヤツ」の魅力と超自然的プロットが楽しめる二演目の後、悲哀の漂う忠義に打たれる一幕が並んだ。
夜の部は役者同士のアンサンブルが織り成す人間ドラマと舞踊が繰り広げられた。

昼の部:2023年(令和5年)9月10日(日)

一.祇園祭礼信仰記 金閣寺
二.新古演劇十種の内 土蜘
三.秀山十種の内 二條城の清正 淀川御座船の場

「金閣寺」は天下を狙う悪役(歌舞伎で《国崩し》と呼ぶ)の松永大膳(近年戦国マニアの注目を集める松永久秀がモデル)と策略家の此下東吉(羽柴秀吉がモデル)の駆け引きに、絵師の妻の雪姫(設定は雪舟の孫)と大膳の因縁が絡んだ内容。
細かい心理劇、スケールの大きいアクション、幻想世界的急展開と歌舞伎らしい見せ場がふんだんに盛り込まれるので錯綜した登場人物の相関図が分からなくても楽しめる。

勘九郎の東吉が、天下人以前の機智でひとを転がしていくキャラクターを闊達に演じ、説得力があった。歌舞伎の「三姫」のひとつ雪姫は米吉(児太郎とのダブルキャスト)、大いなるチャレンジといえるが、まずは水準。
米吉の父君、歌六は大膳を初役で。どちらかといえば荒々しさより小技が得意なタイプゆえ若干物足りなかったが、碁立の押し引きはなかなかのもの。

「土蜘」は病気の英傑(源頼光)のもとに修行僧が現れ、祈祷すると持ち掛けるが、実はそれこそ英傑に祟り、命を狙う土蜘の精だったというストーリー。

超自然的展開ながら、明治以降の台本にしばしばある結構理屈っぽい進行なのが興味深い。
しかも、幕切れは一応土蜘は成敗されるが、最後まで一番目立つといういわば歌舞伎らしい「悪の華」が拡がる。
近代化の波のなか、「伝統芸能」として歌舞伎の存在理由を求めるべく、爾来の十八番の要素に立脚しながら、劇性を高める方向に動いていたことが実感できた。

この演目の持つ特徴が、「荒唐無稽な筋でも、いやだからこそ筋を通す」タイプだった二代目吉右衛門の芸風に合ったようだ。
本公演は十代目幸四郎が初役で土蜘の精をつとめた。ポイントは着実に押さえる一方、以前映像で見た叔父の演技の醸し出す「静かな、されどただならぬ圧」には至らず。
源頼光役の又五郎は品格に加え、重しをきかせる演技で円熟がうかがえた。錦之助の保昌の雄々しさも際立ち、立ち回りのキレには萬屋のDNAがにじむ。又五郎の孫、種太郎が太刀持でなかなかの面構え。四天王の一人、吉三郎が名題昇進披露。

「二条城の清正」をきちんと見るのは初めて。
本年のNHK大河ドラマ「どうする家康」でも終盤にあった、家康と秀頼の二条城における対面から着想を得たストーリー。
今回上演されたラストの「御座船」は、対面後の大坂への帰路、夜陰を進む船が舞台。秀頼に付き添い、その行く末を案じる加藤清正が太閤秀吉から受けた恩を語り、二条城での秀頼の立ち振る舞いを称える。一方、秀頼は清正の身体を案じる。
一時健康不安が取りざたされた二代目白鸚が、抑制の美学の奥行きある芝居で堂々たる清正を演じた。横で秀頼を演じた染五郎は改めて祖父の芸の深みに触れたことだろう。

夜の部:2023年(令和5年)9月24日(日)

一.菅原伝授手習鑑 車引
二.連獅子
三.一本刀土俵入

こちらについては項を改めて。

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