【ディスクレビュー】カール・リヒター、ミュンヘン・バッハ管弦楽団/J.S.バッハ:マタイ受難曲(1979年セッション録音)

慇懃に無視された「本音」

最初に断っておくが筆者はバロック音楽が嫌いで「音楽の父」J.S.バッハの音楽も好んで聴くのはアレンジものくらい。「マタイ受難曲」に至っては長く退屈で御説教くさい作品と感じるほど。たまに第1曲を聴く程度である。

語る資格のはなはだ疑わしい人間の意見だが色々聴いた第1曲の録音の中で最も心に刺さるのはカール・リヒター(1926-1981)の1979年録音。遅く沈潜した響きに波打つ情念の大海原、まろやかなアタックが落とす影の濃さ、音楽の揺れのスケールにひきずりこまれる。

カール・リヒター指揮の同曲の録音では1958年セッション録音の人気が今も昔も圧倒的に高く、1979年盤は話題にのぼること自体少ない。
仮に言及されてもアルコール依存症と視力障害に苦しみ、録音から2年後に急逝するリヒターの「音楽的後退」の象徴として取り上げられるくらい。
リヒターの後半生の時期にはバロック、古典派の演奏スタイルが音楽学、演奏史学の研究の成果をビビッドにフィードバックするものに変化したことも等閑視の一因だった。

この1979年録音のSACDハイブリッド盤がリヒターの没後40年を記念してリリースされる。国内盤では約20年ぶりの再発。

リヒターは本録音に際してシュライアー(福音史家)、フィッシャー=ディースカウ(イエス)、マッティ・サルミネン(バス)、ジャネット・ベイカー(アルト)、エディト・マティス(ソプラノ)と国際色豊かで声質もそれぞれ異なる特徴を持つ歌手陣を揃え、器楽ソロにもヘッツェル、ニコレ、クレメントと名手を並べた。
レーベルが形作った「峻厳禁欲的なバッハの使徒」の仮面を脱ぎ、自身の内面が欲する情念の起伏をそのまま形にした演奏実現のためのメンバー選択だと感じる。
モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を好み、録音機会を切望したというリヒターの「本音」のバッハ、それが1979年録音の「マタイ」だ。

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