言葉と音楽とわたし
声の仕事をはじめる前。わたしにとって、自分を表現できるものは、音楽とそして、歌詞をかくことだった。最初はテレビから流れる歌を歌い、そのあとは自分の表現の道具として音楽をはじめた。
そしてあの頃の私は「話す」ことがとても苦手だった。言葉だけでは、どうしても私を表現するには足りなかった。だから、歌詞を書いて、歌を作った。正確には、歩きながらとか、インスピレーションにまかせていたので、「作った」というよりは「出来た」という感覚が強かった。そんなわけで、コンテストに出たとき、審査員から「あなたの作る歌詞は難解だ」と言われたこともある(笑)何が難解だったのか。ちゃんと聞かなかったけれど、毎回酷評をしていたその人が、あとから、私を育ててくれる人になるなんて、当時の私は知る由もなかった。
音楽をやっていた頃の私は泣かず飛ばずだった。歌を作り、レコード会社をめぐり、今で言うセクハラに合い、スタジオに呼ばれて「自分の歌にハモリをつけてみて」と言われて出来なくて怒鳴られ、売れる曲を作れと言われ、少しずつ、私は音楽に触れていることが苦しくなっていった。素直に音を楽しめなくなっていた。
ある日。もう、音楽はやめようと思って、ピアノに鍵をかけた。
スポットライトから離れて、OLになった(笑)。
毎日が単調で、営業という名目を利用して、名画座に通い、マクドナルドで時間をつぶして生きていた。「私は何のため生まれて来たんだろう」そんなことを日々考えていたのを思い出す。
ある日。音楽コンテストの司会をやっていた人と道端でばったり再会した。会社の古臭い制服姿の私に彼は言ったのだ。「何、似合わないことしてんの」「お前は音楽の才能ってよりは、その声を使った生き方をしたほうがいいとずっと思ってたんだよ」と。そして名刺という新しい扉の鍵を受け取った。彼が「気持ちが決まったら連絡よこして」と言って去ったあとも、少しの間そこから動くことが出来なくなっていた。
人にはこうして、何度かの転機が訪れる。
そしてそれがどんな風にやってくるのか、というと、それは様々で、誰かとの出会いや再会、言葉のこともあれば、何気なく開いた本に触発される場合や、パワハラやリストラなんていうのもある。
要はそれを転機がきたと捉えるか、偶然の出来事で流してしまうのか、いじめや慰めと受け取るのかで変わるということ。そして、忘れてはいけないのは、その何がしかの事が起きるのは、自分が転機を望んでいる場合が多いということ。
そこに居続けるのか、別の道を進むのか、決めるのは自分しかいない。
そして選ぶときには、
「見かけにだまされないこと」。
「自分の笑顔がイメージできる方を選ぶ」
私はこうして、音楽からOL生活を経て、声と言葉の世界へと歩を進めた。
この選択に後悔はない。
最近また、久しぶりにピアノを弾き始めた。
歌詞をつくるよりも、ピアノの音だけでメロディラインをつくるほうが気持ちがいい。人生って不思議なものだ。とつくづく思う。
時間は沢山のものを削ぎ落とし、大切なものを残すための篩いのようなものなのかもしれないなと思っている。